万葉集の時代の平等さや大らかさに
心を奪われた里中さん。
勉強するうち、ある人物が気になり始めます。
- ——
- 万葉集のおもしろさを発見して、
学校で古文はお好きだったんですか?
- 里中
- 学校の授業は正直いってつまらなかった。
どうしても、文法とかの説明になっちゃうでしょ。
下何段活用とか‥‥(笑)。
そんなことはどうでもよくて、
日本語として受け止めることができれば、
歌は感覚的に入ってくるわけですよ。
授業でショックを受けたのが、
有間皇子(ありまのみこ)の歌の解釈でした。
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕
旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る
こともあろうに先生は、
「家だったら椀に盛るごはんを椎の葉っぱに盛る。
ピクニックの歌だ」と言ったのです。
ものすごくショックを受けました。
この歌は何かといえば、
謀反の罪で処刑される有間皇子が、
護送される旅の途中で、
食事を葉にのせて食べざるを得ない。
その悲しみを歌っているわけです。
注釈を読めば、死を前にした
ただならぬ状況で詠んだことはわかる。
しかも、この歌を詠んだのはまだ十代。
我と我が身の運命がわかっていながら、
このように格調高い切々とした歌を
詠むことができた。
どれほど基礎教養が高かったんでしょうね。
でも、授業でそんな話はありませんでした。
- ——
- 『天上の虹』では、
とても印象的に描かれているシーンです。
- 里中
- 有間皇子がどんな人だったか知りませんけど、
いまでいえば高校生から大学生くらいの年齢。
不運な人生だったなあと思っていたのでは
ないでしょうか。
あとの時代の人に、ああだこうだ、
いわれたくはないでしょうし、
きっと、本人にも
いいたいことはあったと思うんです。
「ほんとは、こうだったんだ」って。
だから描くときは、どの人物も
敬意を込めて描きたいと思っています。
- ——
- 有間皇子は、『天上の虹』で
主人公の讃良(後の持統天皇)が
最初に恋心を抱く相手ですね。
- 里中
- そうです。
歌が気になったので、
この人はいったいどんな人だったんだろうか、と
気になり始めて、
この時代のいろんな人について調べていきました。
当時、あまり参考書はありませんでしたけれど、
読んでいくうちに、
あることに、ひっかかっちゃったんです。
- ——
- ひっかかった?
- 里中
- その頃、参考書を書いていたのは
ほとんどが男性の学者で、
その中で一部の方が、
「持統天皇というのはろくな女じゃない」
と書いていた。
その頃の持統天皇像といえば、
「父が天皇、夫が天皇。父の七光、夫の七光で
自らも権力志向で天皇位についた。
邪魔者を消して君臨した嫌な女で、
お母さんが強烈すぎて息子は早くに亡くなった」
みたいなことが書かれていたわけです。
いちばんひどいのは、
「子どもが1人しかいなかったのは、
夫に愛されてなかったからだろう」というもの。
受胎能力と夫婦の愛情をつなげて考えるのは、
「跡継ぎを産めない嫁を追い出す」みたいな、
古い間違った考えです。
当時、そういう本がけっこうあったんです。
それに私は、すごくひっかかりました。
- ——
- それは、ひっかかりますね。
- 里中
- この人は本当にそんな人なんだろうか。
そう思って、万葉集に残された歌を読んでみると、
構成力がしっかりしていて冷静な歌が多い。
たとえば、
春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の
ころも干したり天(あめ)の香具山(かぐやま)
(春が過ぎて夏が来るらしい。
真っ白な衣が干してあるから。香具山に)
こういう人は感情に走る人ではないだろうと、
歌からそういう印象を受けたんです。
それなのに、あれこれ勝手なことを言われて‥‥。
日本人は判官贔屓だから、
若くして亡くなった人、
悲運の中で亡くなった人が大好き。
逆に権力を握ったままの人が大嫌い。
男性学者たちの持統天皇嫌いには、
そういう背景もあるかもしれません。
でも、私は、現代人と同じで
当時の人たちも、その時々の決心を重ねながら、
それぞれ真剣に生きていたと思うのです。
さまざまな局面で
人が何を考え、どう動いたかを考えることで
物語が生まれます。
年表に書かれた史実は変えないけれど、
書かれていない部分は想像する。
そうやって描いたのが
持統天皇の物語でした。
(つづく)
2018-10-05-FRI
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN