中学生のときに万葉集に出会い、
以来、さまざまな発見をしながら、
何度も万葉集を読み返している里中さん。
ライフワーク『天上の虹』の中で、
その成り立ちについて
ひとつの解釈を示していらっしゃいます。
- 里中
- 最初にお話したように、
万葉集のすばらしさのひとつは、
身分や立場によって分け隔てなく、
テーマ別と、ざっくりした時代順に
編纂されていることです。
では、いったい誰が編纂したのでしょうか?
説はいろいろありますが、
おそらく巻1、巻2は、
柿本人麻呂がかかわっているでしょう。
そして、意識的に歌を並べたことは明らかです。
最初に、伝説上の歌ですけれど、
国のはじまりのころの歌、
民間伝承の歌も入れてあります。
国の成り立ちを記録しようという
意図を感じます。
- ——
- 『天上の虹』の中で、
柿本人麻呂が古事記や日本書紀と違い、
政治に左右されない記録を残そうとする。
公式な記録に残されない
封じられた部分も含めて、
人々の心の歴史を記そうとする
姿が描かれています。
これが万葉集の成り立ちであろうという
里中さんの解釈ですよね。
- 里中
- はい。そう描きました。
私は研究者ではないので、
勝手に想像しているだけですが、
人麻呂が個人的に歌を集めはじめたのが、
はじまりだったのではないかと思っています。
その後、テーマ別に並べたのが誰かは
わからないけれど、
大伴家持がかなりの部分関わっているのは、
はっきりしています。
万葉集は注釈が実におもしろいんです。
歌の解説だけかと思うと、
なんとなく、ほのめかしがある。
「こういわれているけど、ほんとは‥‥まあね」と、
読む人にわかってほしいといわんばかりの
注釈がけっこうあるんです。
- ——
- そうなんですか。
- 里中
- たとえば、大津皇子(おおつのみこ)と
大伯皇女(おおくのひめみこ)の姉弟について。
大伯皇女は神に青春を捧げ、その後も独身で、
謀反の罪に問われた弟の悲劇を抱えて生きた人です。
他にも歌はあったかもしれないのに、
万葉集に残されたのは、弟のことを詠んだ歌だけ。
2人が恋愛関係にあったという記録はないけれど、
私はそこに編纂者の意図を感じました。
- ——
- 2人の哀切な物語は、とても印象的です。
同様に、高市皇子(たけちのみこ)と
十市皇女(とおちのひめみこ)の悲恋も
漫画でドラマチックに描かれています。
- 里中
- 高市皇子と十市皇女も、
歴史の記録上は異母姉弟である以外に
関係はないということになっています。
でも、高市はあまり歌を残していないのに、
十市が亡くなったときの歌三首だけが
万葉集に残されている。
わたしはそこにも編者の意図を感じるのです。
- ——
- そこを汲んで、物語を広げられたのですね。
- 里中
- 奈良時代の漢詩集に『懐風藻(かいふうそう)』
というものがあり、
万葉集とあわせて読むと、
同じ人物についての少し違う表記があって
おもしろいのですが、
大津皇子(おおつのみこ)の幼なじみながら
裏切ったとされる
川島皇子(かわしまのみこ)について、
やはり「裏切り者」呼ばわりしています。
でも、私は人ってそんなに単純じゃないと
思っているんです。
- ——
- 妻を守ろるために友だちを裏切るという
苦渋の決断をしたと
『天上の虹』では描いていらっしゃいますね。
- 里中
- 川島皇子が実際のところ、
どう考えて行動したのかわからないけれど、
きっと人と人のつながりのなかで動いている。
いい奴とか悪い奴とか、
ひとくちにいえる人なんていないと思うんです。
しがらみと理想と、自分の実力。
そうしたものを秤にかけて、
家族の事情も抱えながら考える。
それは、きっと私たちと同じです。
そういう感覚で読むと
万葉集って、とても近いものになる。
1000年くらいで、人ってそう変わりませんから、
わからない世界じゃないんですよ。
(つづく)
2018-10-06-SAT
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN