ーー | お話をうかがっていると、 すごく強いエネルギーをお持ちだという 印象を受けます。 |
尾崎 | やっぱり、環境が自分を つくってくれたんだと思うんです。 専業主婦でしたので、家の中にいることが多く 発散したいエネルギーが 溜まっていったんでしょうね。 毎日、自分が決められることといえば 「今日の料理は何にするか」くらい。 主人のおかげで生活ができていることに 感謝していますし、 3人の子どもを育てるのに毎日必死でしたが、 社会から隔離されたような状態の中で、 私自身は何をしたいんだろう、という 自問自答が続いていました。 そして、父の死をひとつのきっかけに 「このまま何もしなかったら死ねない!」 という気持ちが一気に爆発したように思います。 |
ーー | 一気に‥‥。 ちなみに、ご活動をはじめたとき、 ご主人はどのような反応をされましたか? |
尾崎 | 主人は、私と真逆で ちゃんと常識があるので、 私のめちゃくちゃな行動を心配していましたね。 人からはよく 「尾崎さんはいいね、ご家族の理解があって」 と言われるんです。 私も「そうなんですよ」と返すんですけど、 本当は、歓迎されなかったからこそ、 ここまで来れたんだと思うんです。 主人に受け入れてもらいたいという気持ちで がんばれたので、 主人にはとても感謝しているんです。 |
ーー | 理解してもらおうと思ったからこそ かえって燃えた‥‥。 |
尾崎 | ええ、そうでしょうね。 孤立無援だと思い込んでいたときは 家族に対しても、 「もっとこうなってくれたら」って‥‥。 でも好きなことをやりはじめた今は、 相手じゃなくて自分自身の問題だと思うんです。 |
ーー | すごいです。 そんな環境のなかでも、 お嬢さまのブログによると 「家の中を外国に」なさったそうですね。 |
尾崎 | ええ、まず、壁中にフランスのポスターを貼りました。 |
ーー | すごい。今もたくさん貼られてますね。 |
尾崎 | そして、日中は 英語やフランス語のラジオを流していました。 で、主人が帰ってきたら、スイッチを バチッ。 |
ーー | (笑) |
尾崎 | 「お帰りなさい」と言った瞬間、 ヨーロピアンワールドだった場所を ジャポンに変えるわけ。 ですからこの家は、外枠は和風なんですけど、 ソフトの面はヨーロピアンスタイル。 今もそうですが、 昼間は外国人をよく呼んでいました。 |
ーー | どうやって外国人を ご自宅に呼んでいたんですか? |
尾崎 | 私、「外国人ストーカー」なんです。 |
ーー | ストーカー!? |
尾崎 | 電車に乗っていて 外国人がいたら、まず隣に座る。 「何しにきたの?」「どこが良かった?」 みたいに質問したり、 歩き遍路の外国人を家に呼んで 料理をふるまったり‥‥。 この話、都会の人が聞いたら、 外国人はそこらじゅうにいるのに、何で? と思うかもしれないけど、 やっぱり田舎は外国人が少ないし 触れる機会がないんです。 家では音楽や絵で外国に触れ、 外へ出ると外国人と話をし、 文化にも人にも興味がつきなくて とにかく近づきたい‥‥。 そういう思いで、ずーっとやってきました。 |
ーー | 何年も、そういう個人活動を‥‥。 |
尾崎 | はい。自分がしたいと思うことを してきただけなんですけどね。 今はフランス語の講師をしながら 「四国夢中人」という 四国とヨーロッパをつなぐ活動をはじめて、 「外国人は四国のどこに興味をひかれるのか」 「四国の良さは何か」という マーケティングを企画に反映させているんですが、 これも結局、ストーカー活動から はじまっているわけです。 |
(つづきます) |