2017年の12月、
写真家の幡野広志さんはブログ上で
ご自身が余命3年とされる末期ガンであることを
公表されました。
ツイッター経由で幡野さんの存在と
その写真やことばを知った糸井重里は、
「なにかお手伝いできることはないか」
と考え、ご迷惑にならないよう気を配りつつ、
幡野さんに声をかけました。
そして現在、おふたりを中心にして
たいせつなプロジェクトが進行しています。
幡野さんという写真家について、
ガンという病気について、
生きるということについて、
それから現在進行中のプロジェクトについて。
おふたりにあらためて語っていただきました。
また、わけあってこの対談はぼく、
ライターの
古賀史健
が進行役をつとめ、
原稿をまとめています。
そのあたりの理由も含めて、
全6回の対談をおたのしみください。
>幡野広志さんプロフィール
糸井
幡野さんのブログを見たとき、
プロフィールに「写真家、猟師」とあったんです。
幡野
はい。
糸井
つまり、狩猟についても
写真と同じくらい真剣にやっていた、
ということですよね。
幡野
真剣でしたね。
やっぱり動物の命を扱うことなので、
なんというか、アホじゃいられないんですよね。
もちろん、
なにも考えていない猟師もたくさんいるんですけど、
じぶんはそうなりたくないな、
という思いが強くあって。
糸井
うん。
幡野
だから、狩猟をやっていたから
いまのじぶんができたというよりは、
むかしからこういう人間だったんだと思います。
糸井
考えたい人。
幡野
はい。
糸井
だから、扱う対象への敬意もあるし。
幡野
そうですね。
動物たちへの敬意は、忘れないです。
糸井
でも、それだけ真剣だった狩猟を、
やめちゃうことになったわけですよね。
幡野
致し方ないですね、こればかりは。
病気になって、いろんな意味で
これ以上鉄砲を所持していられなくなったので。
ただ、もともと狩猟をやめようと
思っていた時期ではあったんですよ。
糸井
ああ、そうだったんですか。
幡野
狩猟については、
もうそろそろいいかな、と思っていました。
じぶんのなかで、
ある程度「答え」のところに行き着けたので。
糸井
そこまで、考えきれたんだ。
幡野
はい。
だから鉄砲を手放すことにも、とくに未練はなく。
しかも、鉄砲を手放してからのほうが
狩猟を一歩引いたところから深く考えられたんです。
糸井
ああー、そうか。
幡野
狩猟って、
やってるあいだはインプットだらけなんですよ。
インプットしたことを消化する時間もないくらいに。
だから、鉄砲を手放してからのほうが、
たくさん考えられましたね。
糸井
手放したからこそ、考えられる。
幡野
はい、狩猟という行為への批判も含めて。
糸井
その、幡野さんの持つ「考えたい」は、
ぼくも同じだなあ。
幡野
きっと、そうですよね。
糸井
うん。
好きとか、嫌いとか、興味があるというのは、
ついてまわるいやなことも含めて、
「そのことについて考える時間」を
過ごしたいんですよね。
幡野
いやなことも含めて・・・・。
たしかに、そうですね。
糸井
それで、「考える」の前には「思う」があって、
そのもうひとつ前には「感じる」があるはずなんです。
じぶんの感じたことが「思う」になって、
その先に「考える」が生まれる。
幡野さんの場合、
それが狩猟という場所だったのがおおきいですよ。
あたまで考えるだけじゃなくって、
常にボディとセットだったわけでしょう。
しかも鉄砲ひとつで、
殺せるし、死ねるわけですから。
幡野
はい。
命を扱っている。
糸井
それはねえ、読むぼくらの覚悟も違ってきますよ。
撮影/幡野広志
少し慌てて銃を取り出して弾を込める、
外すかもしれないので3発装填する。
呼吸を整えてゆっくり構える、
親とはぐれた子どものイノシシが自分の息子と重なる。
僕が死んだら息子のことは誰が守ってくれるのだろうか?
苦しめたくないので頭を狙い撃つ。
銃声とともに殴られたような衝撃が肩と頬に届く。
自分がガンになり数年で死ぬことが確定してから、
初めて動物を殺した。
嬉しさと切なさが混じる、初めての感情だ。
──幡野広志 ブログ
『最後の狩猟。』
より
幡野
あのブログにはたくさんの反響をいただいたのですが、
写真の影響もおおきかったんだと思います。
文章だけだったら、伝わらなかっただろうと。
糸井
そうですね、写真はおおきいですね。
文章がト書きだとしたら、
台詞として写真を載せていますから。
幡野
かといって写真だけだと伝わらないだろうし。
やっぱり、両方必要なんですよね。
糸井
まったくそうですね。
幡野
ぼくの場合、
考えたことは文章で伝えるしかないんですけど、
感じたことは写真にしかできなくて。
両方があると、強くなるというか、
伝えやすくなるんです。
糸井
そして幡野さんの写真と文章には
ひとつ共通していえることがあって。
どちらも「おれの腕前」を見せようとしていないんです。
幡野
ああー。
糸井
お手柄主義になって、
「おれの腕前」を見せたがる人は大勢いるんだけれど、
幡野さんはそこを見せない。
だから、見ているお客さんが
じぶんのほうから歩み寄って
それぞれに感じるんです。
幡野
そうですね。
恥ずかしいんです、
じぶんから腕前を見せようとするのは。
糸井
たとえば広告写真の人たちは、
じぶんの腕前を見せて、
被写体まるごとプロデュースしていくのが
大事なお仕事ですよね。
あるいはスクープ写真のようなものも、
「とっておきの獲物を仕留めたおれ」を見せつけて、
プロとしての商品価値を高めていますよね。
幡野
はい。
糸井
一方で幡野広志という写真家は、
それをしない。
幡野
下積み時代の経験が影響しているんでしょうね。
当時、ぼくの周辺には
「おれはあのタレントさんを撮ったんだぞ」
と自慢する先輩や師匠筋の方々がたくさんいて。
糸井
ええ、ええ。
幡野
あるいは、若い写真家が
「ぼく、こんな仕事をしたんです」と、
タレントさんの写真を自慢気に見せてくる。
でも、それって自分の写真というより、
「タレントさんの顔」で価値を測っている気がして。
撮影者として、ちょっと違うんじゃないか
という気持ちが若いころからずっとありました。
糸井
だから、被写体も選んでいますよね。
「とっておきの獲物を仕留めたおれ」にならないよう。
幡野
はい。
日常だけで、ぼくはいいので。
糸井
そういう幡野さんの在り方というか、
写真家である以前の人としての「居方」があったから、
ぼくはうれしくなったし、
この人のお手伝いができたらいいなあ、と思ったんです。
──
そこから実際にお会いするまでの流れは・・・・。
幡野
最初に、ほぼ日の永田さんからメールをいただいて。
糸井
そうでした。
ぼくの「お手伝いしたい」は、
いつも「でも、邪魔はしたくない」とセットなんです。
無理に押しかけていって、
かえって邪魔をするようなことだけは、
ぜったいに避けたかった。
幡野
ああー。
糸井
ぼくから直接「糸井重里です」と連絡すると、
もしかしたら断りづらくなって、
結果的に邪魔をしてしまう可能性もありますよね。
それはもう、最初っから思っていましたね。
「お手伝いしたい」と「邪魔はしたくない」の両方は。
幡野
そうだったんですか。
糸井
だって、ぼくが出ることで
「糸井重里がいるからいやだ」と思う人は、
確実にいますから。
ご迷惑をかける可能性って、いつでもあるんです。
だから、ほんとうはすぐにでも
ご連絡したかったんだけれど、
動き出すまでにけっこう時間がかかっちゃった。
幡野
いや、それは知りませんでした。
はじめて伺いました。
糸井
でも、
たとえばたくさん送られてきているであろう、
お仕事依頼やいろんなメールの整理だとか、
そんなことでもいいから、お手伝いできたらね。
幡野
もう、メールの返信だけで
一日が終わっちゃうような状態でしたから。
これ、ガンで死ぬ前にメールで死んじゃうな、って(笑)。
糸井
それで、
幡野さんが気軽に断ることができるような文面で、
永田くんからメールを出してもらったんです。
なにかぼくらにお手伝いできることはありますか、って。
そうしたら・・・・。
幡野
おおいにあります、と(笑)。
糸井
よかったですよね、それはぼくたちにとっても。
(つづきます)
2018-09-02-SUN
幡野広志さんのはじめての本
ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。
著:幡野広志
出版社:PHP研究所
価格:1512円(税込)
ISBN: 4569841252
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ガン(多発性骨髄腫)で
余命宣告を受けた35歳の父が、
2歳の息子さんに伝えたい大切なこと。
写真家であり、元猟師でもある
幡野広志さんのはじめての本。
幡野広志 作品展
「優しい写真」
開催日時:11月2日(金)~15日(木)
場所:
ソニーイメージングギャラリー
開館時間:11時~19時
(※最終日やイベント開催時に
閉館時間が早まる場合あり)
定休日:なし
(※銀座プレイス休館日を除く)
入場:無料
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN