これからのぼくに、できること。 これからのぼくに、できること。
2017年の12月、
写真家の幡野広志さんはブログ上で
ご自身が余命3年とされる末期ガンであることを
公表されました。
ツイッター経由で幡野さんの存在と
その写真やことばを知った糸井重里は、
「なにかお手伝いできることはないか」
と考え、ご迷惑にならないよう気を配りつつ、
幡野さんに声をかけました。
そして現在、おふたりを中心にして
たいせつなプロジェクトが進行しています。


幡野さんという写真家について、
ガンという病気について、
生きるということについて、
それから現在進行中のプロジェクトについて。
おふたりにあらためて語っていただきました。


また、わけあってこの対談はぼく、
ライターの古賀史健が進行役をつとめ、
原稿をまとめています。
そのあたりの理由も含めて、
全6回の対談をおたのしみください。
第4回 やさしさとお手柄主義。
写真
糸井
幡野さんはこれまで、
亡くなっていく身近な方の側にいた、
という経験はあるんでしょうか。
幡野
うーん。
18歳のころに父をガンで亡くしていますけど、
しっかり看取ったというほどではなかったと思います。
ふつうにお見舞いに行っていただけで。
糸井
そこではどんな立場で話をしていましたか?
つまり、お父さんは
じぶんがガンであることを知っている人として、
しゃべっていましたか?
幡野
おそらく父は、知らないままだったと思うんです。
まだ患者への告知が一般的ではない時代だったので。
こっちは、母からも医者からも「そう長くはない」と
聞かされていただけに・・・・まあ、複雑でしたよね。
糸井
むずかしいですよね。
幡野
はい。
なにを言ったらいいのか、わからなくて。
糸井
それ、ぼくも一緒です。
うちの父親もそうだったから。
幡野
だからもう、
「この部屋、暑いね」みたいな気温の話とか、
天気の話とか、そういう話題しか思いつかなくて。
糸井
かといって、
嘘はつきたくないじゃないですか。
幡野
つけない、つけないです。
糸井
ぼくも父親がそうだったとき、
嘘はつけないから、あるとき病室で黙ってみたんです。
天気の話でごまかしても仕方がないし。
すると父親が、ぼそっと「くやしいんだ」って。
写真
幡野
くやしい。
糸井
うん。
医者も看護師も、誰も彼も嘘ばっかりついて、
ほんとうのことを教えようとしない。
それがくやしいんだ、って。
隠しごとさえやめてくれれば、
おれはもうなんにもいらないのに、って。
幡野
ああー。
糸井
すごく救われましたね。
おれにそれを言ってくれたこと。
短い時間だとはいえ、
おれを共犯関係にしようとしてくれたこと。
それはとても、ありがとうって思ったんです。
幡野
ぼくはぜんぜんでしたね。
もう、ばかの塊みたいな18歳ですし。
当時、カメラは触りはじめていて、
いまだったら病室の父親を
躊躇なく撮ると思うんですけど、それもできず。
カメラマンとして、
なんの覚悟もなかったですね。
糸井
そういう18歳でもね、
あとになって当時の写真を見返すと
ちょっぴり「なにか」が入っているんですよ。
幡野さんを写真家にした、なにかが。
幡野
・・・・うーん。
若いころの写真、いいと思えないんですよねえ。
この前、ベトナムに再訪したときにも書いたんですが。
写真
撮影/幡野広志
ベトナムを訪れたのは9年ぶり2回目だ。
9年前、僕は写真業界で箸にも棒にもかからない存在で、
写真家を名乗る自信も覚悟も実績もない人間だった。
日本で撮影することがつまらないと感じていて、
海外で撮影することでやった気になっていた。
評価されない自分を認めることができずに、
評価されている人間を羨んだ。
当時の自分と作品を振り返ると、
日本で撮影することがつまらないのではなくて、
僕自身がつまらない人間だっただけだ。
それを誤魔化すために、
できるだけ遠くで普段見慣れない景色で撮影をしていた、
だから作品を見返すとやはりつまらない。
──幡野広志 ブログ『ベトナム旅行記』より
糸井
ああ、若いころのベトナム旅行はわかりませんが、
先日のベトナム旅行の話はよかったなあ。
行って、大正解でしたね。
幡野
行きたかったんです、どうしても。
抗ガン剤治療がはじまっちゃうと免疫力が下がるので、
海外に行くのがむずかしくなるんですね。
だから、行けるうちに行って、
妻と子どもに宛てた手紙を、ベトナムから書きたくて。
──
幡野さんは9年前、ベトナムのホテルから
奥さまに宛てて大切なお手紙を書かれたんですよね。
今回の旅は、その続編というか。
糸井
そのテーマがまた、すごくよかった。
つまらない人間が撮影しているんだから、
つまらない作品ができる。
評価されず、箸にも棒にもかからないのには
ちゃんと理由があった。
そんな時期に僕は妻と出会い、
9年前に滞在していたホテルの部屋に置かれていた
レターセットに妻へ手紙を書いていた。
その手紙を妻は今でも大切に持っている。
(中略)
9年前の手紙は意外なほどあっさりしていた、
9年前の自分を褒めてあげたい。
「いつか有名な写真家になって
自慢できるようにしてあげるよ。」と
手紙には書いてあった。
──幡野広志 ブログ『ベトナム旅行記』より
幡野
でも、あのベトナム行きも、
妻以外の人たちからはかなり反対されたんです。
糸井
けろっとさん以外は(笑)。
幡野
はい。
妻はけろっとひと言「いいよ」って(笑)。
その・・・・病気になって以来、
ぼくは「じぶんの命はじぶんのものだ」と思って
生きているんですね。
糸井
ええ。
幡野
でも、
たとえばぼくが余命3年ですとなったとき、
その3年間の使い途を
勝手に決めようとする人が大勢いるんです。
ああしなさい、こうしなさい、
それはやめておきなさいと。
糸井
ああー。
幡野
もちろん、
「病気なんだから、無理をしないで」
というのは、言っている本人からすると
やさしさのことばなんだけれど、
じゃあ残された時間のなかで
多少無理してでもベトナムに行くのと、
1週間なにもしないで横になっているのと、
ぼくにとってどちらが幸せなのかといえば・・・・。
写真
糸井
そこまでは考えられないんでしょうね。
──
あの・・・・
ここはおおきな違いだと思っていて。
糸井さんの場合は「お手伝いしたい」の前に、
「でも、邪魔はしたくない」があったわけですよね。
一方、幡野さんの邪魔になるような
善意の「お手伝い」に踏み出す人たちがいるわけで。
糸井
うん。
──
正直ぼくも、そうならない自信はなくて。
その違いは、どこにあるんでしょう?
糸井
それはさっき言った「腕前」の話と同じで、
お手柄主義なんですよ。
幡野
ああー、そうか。
糸井
みんな、
幡野さんにアドバイスすることで
なにかの「お手柄」を立てたいんです。
あの病院がいいとか、この薬が効くとか、
ここでお祓いするといいだとか、そういう話も含めて。
幡野
そうですね。ガンを公表してからというもの、
代替療法や食事療法の紹介、
それからへんな新興宗教の勧誘が
山ほどやってくるんですよ。
その何割かは、きっと善意の「お手柄」で。
写真
極端な例をあげるとお守りも同じことなんです。
コピペしたようにガンに効くお守が増えに増えて、
現在同じお守りが8個もあるんだけど、
残念ながら治療効果はないし
誰からどれを頂いたかもう判別もつかない。
患部に当てると良くなるって全員が説明してくれたけど、
僕は血液ガンなので
どこに当てておけばいいのか分からないうえに、
綿とポリエステルでできたお守りは
湿布のように粘着性もない。
──幡野広志 ブログ『溺れる人に藁をつかませる人。』より
糸井
ぼくは喘息だったとき、
あらゆる治療をやりましたよ。
民間療法から拝み屋さんみたいなものまで、
ぜんぶ試して。
幡野
へえー、そうだったんですか。
糸井
もちろん、インチキばかりだとわかったうえで。
とにかくたくさんくじを引いて、
ひとつでも当たればいいと思っていたんです。
ただ、当時かなりディープなところまで勉強した
免疫の話は、のちにとても役立ちましたね。
幡野
免疫の話が。
糸井
うん。
けっきょく喘息もアレルギー症状の一種で、
免疫の病気ですよね。
それで免疫というのは、
身体に「じぶんじゃないもの」が入ってきたときに
攻撃して、排除しようとする働きのことですよね。
それが過剰になった焼け野原みたいな状態が、
アレルギー性の炎症で。
幡野
はい。
糸井
これって、
「自己」と「他者」ということで考えれば、
世のなかのいろんなことが見えてきます。
つまり、「じぶんじゃないもの」を
少しでも目にしたり、耳にしたりするだけで、
じぶんを攻撃する敵だと勘違いして
過剰に反応する人がいる。
いまは、社会全体が免疫疾患になっていますよね。
幡野
なるほど、なるほど。
糸井
ただ、
そういう防御なのか攻撃なのかわからないことに
じぶんの限られたエネルギーを使うのは、
ものすごいロスなんです。
幡野
痛感しています。
とくにぼくの場合、命がかかっちゃっているんで。
糸井
だから、いろんなことについて
「しない」「聞かない」「降りる」を決めていくほど、
つまりノータッチのラインを決めていくほど、
じぶんは充実していきますよね。
幡野
はい。
糸井
いまぼくは、
どんなに文句を言われようと、
冷たい人間だと思われようと、
ノータッチのラインを決めていますよ。
じぶんのやるべき仕事をやる、休む、遊ぶ。
それ以外は、しない。
幡野
大事なことですよね。
ぼくもいま、まわりの声を無視してでも
やりたいことだけをやって、
たのしいことだけを選んでいて。
そうすると、
最初はいろんな軋轢があって苦しいんですけど、
ぐるっと回って
人生がまたたのしくなってくるんです。
写真
糸井
うん。
その思考法は相似形として、
いろんなところで応用できますよね。
ぼくはやっぱり、震災のときにそこを学んだんです。
幡野
ああー。
糸井
あれもやりたい、これもやらなきゃ、で考えていると、
なんにも身動きが取れなくなります。
あのとき思いきって
「ここについては、おれはできない」を決めたおかげで、
じぶんにできることが見えてきたんです。
幡野
できないことが、できるを見せてくれる。
糸井
ただ、そこの判断は本気で苦しまないとできない。
幡野
そうですね、簡単な話じゃないです。
(つづきます)
2018-09-04-TUE
幡野広志さんのはじめての本
ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。
写真
著:幡野広志

出版社:PHP研究所

価格:1512円(税込)

ISBN: 4569841252
ガン(多発性骨髄腫)で
余命宣告を受けた35歳の父が、
2歳の息子さんに伝えたい大切なこと。
写真家であり、元猟師でもある
幡野広志さんのはじめての本。
幡野広志 作品展
「優しい写真」
開催日時:11月2日(金)~15日(木)

場所:ソニーイメージングギャラリー

開館時間:11時~19時

(※最終日やイベント開催時に
閉館時間が早まる場合あり)


定休日:なし

(※銀座プレイス休館日を除く)

入場:無料