33の悩み、33の答え。

読者から寄せられた
数百の悩みや疑問から「33」を選びました。
そして、それらの悩みや疑問に、
33人の「はたらく人」が答えてくれました。
6月9日(火)から
毎日ひとりずつ、答えをアップしていきます。

Q024

なやみ

好きなことを仕事にしたとき、
好きのままでいられますか。

(20歳・大学生)

ぼくの父は売れない陶芸家です。父の影響で、ぼくも、ものづくりが大好きです。でも、父は人からお金をもらって粘土をこねるときは、ひどくつまらなそうにしています。就活本格始動する前に、おうかがいしたいです。好きなことを仕事にしたとき、好きのままでいられるのでしょうか?

こたえ

できるだけ
好きなことを仕事にしたほうが、
いいと思います。
ただし「好きなことだけ」に
とらわれないことも大事だと思います。

こたえた人川村元気さん(映画プロデューサー/小説家)

川村
学生時代、映画を年500本くらい観てたんです。
映画館とレンタルビデオ屋に通って。
──
ええ、何かで読んだことがあります。すごい数です。
川村
それくらい映画好きだったんですけど、
就職活動のとき、ある先輩から
「好きなことを仕事にしないほうがいい」
と言われて。
──
就活生へのアドバイスとして。
川村
そう。当時、先に社会に出た先輩の言葉だから、
ちょっと真に受けたんです。

「そうか、好きなことを仕事にしたら、
お金の代わりに妥協して、
嫌なことまでしなきゃならなくなるんだな、きっと」
って。
でも結局、映画業界に就職したんです。
──
ええ、東宝に入社されました。
川村
結論から言わせてもらうと
「好きなことを仕事にしたほうがいい」です。
──
おお。
川村
平均して「1日8時間の週に5日」は
「仕事」をしているわけです。

学校を卒業して社会に出てから死ぬ直前まで、
つまりは「生きている時間のほとんど」を
「仕事」に費やしている。
──
そうですね。
川村
だとするならば、その「人生の大部分の時間」を
「自分の好きなこと」に使わなかったら、
なかなか大変だと思います。
──
そのことに気づいたのは、いつごろですか?
川村
入社して早々ですね。
──
映画の業界に入ってよかったと。
川村
はい。
──
でも、これも有名なエピソードですが、
最初は劇場の「モギリ」だったわけですよね。

映画をプロデュースする仕事ではなく。
川村
ええ。
──
そんなときに書いた企画書が
企画部門の目に止まって、
プロデューサーの道へ……という流れだと
思うんですけど、
モギリ時代に
「やりたいこととはちがう」みたいな不満は
なかったんですか。
川村
なかったです。

当時は、ちょうど『千と千尋の神隠し』の
公開直後で、
大勢のお客さんが
劇場へ詰めかけていた時期でした。
──
2000年代のはじめのころですね。
川村
だから、かなり忙しかったんですけど、
すごく勉強になったので。

映画というものは、
どんな大作であろうとアート作品であろうと、
「お客さんひとりひとりが払ってくれるお金で
成り立っているんだ」
ということを実感できたのも、
そのときでしたし。
──
やりたいこととはちがう現場でも
「映画を学ぶ」ことができた。
川村
クリエイティブのほうにだけ顔を向けていたら、
見失うことがあると思うんです。

いったい誰のお金で、
自分たちは映画をつくっているのか……とか。
──
なるほど。
川村
もちろん、映画をつくるのは、
直接的には「出資者の出したお金」です。

でもそれも、
お客さんが払ってくれる料金がなかったら
成立しないんです。
──
はい。
川村
映画というのは、その積み重ねでできている。

そのことを理解したときに、
ようやく自分も
「映画のプロ」になれたんだろうなと思います。
──
やりたいと思っていなかった仕事でも
「やってみたら、おもしろかった」ってこと、
たくさんありますもんね。
川村
あくまで「企画・創作」に
軸足を置いてさえいれば、
それが「人から頼まれた仕事」なのか
「自分でやりたかった仕事」なのかは、
たいして重要じゃないと思います。

ピカソも頼まれた絵をたくさん描いてるし、
モーツァルトだって
多くは依頼された曲ですよね。
──
必ずしも「自分発」じゃなくたって、いいと。

いったん「好きなこと」を軸にしたら、
そこにとらわれすぎないことも重要なんですね。
川村
思いもよらない仕事を頼まれて
「ああ、実は自分は
こんなこともやりたかったのかあ」
って気づかされることも多いです。
──
川村さんは、そうやって、
小説も、絵本も、音楽もやってこられたんですね。
川村
そうですね、だいたい「依頼された仕事」です。
──
川村さんには『仕事。』というご著書があって、
そこでは
「インタビューア」もやってらっしゃいますよね。
川村
あの本では「主に60歳以上」で
「いまだに現役で楽しげに仕事をしてる方たち」に
「20代、30代のころの仕事の話」を
聞いて回ったんです。
──
横尾忠則さん、宮崎駿さん、山田洋次さん、
坂本龍一さん……そうそうたるラインナップです。
川村
糸井重里さんにも。

詳しくは『仕事。』を読んでいただければと
思うのですが、
「ショートケーキの上にイチゴを乗せる仕事」
という糸井さんの言葉には、非常に感銘を受けました。
──
その節はありがとうございました。
川村
全員に共通していたのは、
どこかで「自分の運命を誰かに委ねている」
ということ。

鉄のような主体性をもって
人生を決めてきたわけじゃなく、
偶然の要素が、けっこう大きいんだなあと。
──
はい。そこが、おもしろかったです。
川村
たまたま見たピカソの絵がきっかけで
グラフィックデザイナーを辞め、
画家に転身した横尾忠則さん。

大河ドラマをクビになり、
逃げた先の北海道でお酒を飲み倒して
貯金残高「7万円」になったときに
『北の国から』が書けたという倉本聰さん。
──
ええ、ええ。
川村
横尾さんが
「トラックにはねられて転んだ先に、
新しい道が見つかるんだ」
って言ってましたけど
「まさに、それだよなあ」
って最近、つくづく思います。
──
ひとつ、表現方法のちがいというのは、
創作にとって、
やはり大きなファクターですか。
川村
細かく言えば
「映像では表現できなかったけど、
小説だったら伝えられる」とか、
そういうことはあると思います。

でも、つくり手が
「世界をどう見ているか」のほうが、
よっぽど重要です。
「どう表現するか」という「手段」よりも
「何に気づいているか」のほうが、断然。
──
何に、気づいているか。
それは、時代に対して。
川村
時代や人間、でしょうか。

ぼくはそれを「気分」と呼んでいて、
「気分」をその都度、
映画や小説や音楽などいろんな「手段」で
表現してきたんだと思います。
──
なるほど。

川村さんの学生時代の話に戻るんですが、
多いときには「年間500本」ってことは
「1日2本」みたいな日も、
けっこうあったってことですよね。
川村
それくらいのペースでしたね、実際。
──
ただ「好き」というだけで、
そんなに観れるものなんですか。

何か「目標」というか
「決意」みたいものがなければ
無理なんじゃないかと、
ぼくなんかは思ってしまうのですが。
川村
まあ、本当に「ただ好き」ってだけ
だったんですが、
あえて言えば「追いつきたかった」んです。
──
追いつきたい……というのは、何に?
川村
映画の歴史に。

ヒッチコックにしても、チャップリンにしても、
歴代のカンヌやアカデミー作品にしても、
時代を遡ってぜんぶ観ようと思ったら、
年間100本とかのペースじゃ
「追いつかない」と思ったんです。
──
はあ……追いつきたいって思うことじたい、
想像を超えてるなあ(笑)。
川村
まあ、若くて時間もあり余ってたし、
当時はそんな気持ちで観てたんですけど、
結局、自分の中の
「映画の文脈」みたいなものって、
その時期に培われたと思っています。
──
映画の文脈。
川村
たとえば、ヒッチコックの『めまい』は、
どんなカット割りで、
どこからどこまで音楽が鳴っていて、
ジェームズ・スチュワートは
どんな動きで、どんなセリフを……というようなこと
を覚えてるんです、ぼく。

いちいち。
──
覚えてるというのは、何度も繰り返し観たから?
川村
映画監督のクセや特徴をつかむのが、
得意だったんだと思います。

で、そのときの記憶で、今の仕事ができてるんです。
25歳のときに『電車男』をつくったんですけど、
映像の編集は最初から案外できました。
ここからここまで音楽を入れようとか。
──
そういうことって、
ふつうは映画学校とかで学ぶものでしょうけど。
川村
技術として習得したものじゃなく、
まずは「たくさん観てた」からできたことなんです、
ぼくの場合。
──
まさしく
「好きこそものの上手なれ」ってやつですね。
川村
昔から
「この場面で、自分の心が動いたのはなぜだろう」
ということを気にしていたんです。

俳優の芝居で動いたのか、
音楽で動いたのか、
カメラワークで動いたのか。
そういうことを、無意識のうちに。
そのことも、大きいかも。
──
あの、話は変わるんですけど。
川村
ええ。
──
川村さんは、「物語」とは、
人間にとってなぜ必要なんだと思われますか。
川村
物語がないと、
人は「理解できない」からじゃないですかね。
──
理解。
川村
たとえば今、
新型コロナウィルスが蔓延してますよね。

ぼくらは日々、ニュースを見て、
感染者の数字を見たり、識者の意見を聞いたり、
政治家の会見を見たりしてますけど。
──
ええ。
川村
そんなのだけでは、
本当には理解できないと思うんです。

でも、
今のこの事態が「物語化」されたときに、
はじめて
「起こっていたのは、こういうことなのか」
と腑に落ちる。
──
つまり、物語とは、世界を理解するためのもの。
川村
『聖書』という「物語」は、
その最たるものですよね。
──
なるほど。では最後に、
川村さんの「次にやりたいこと」を、教えてください。
川村
自分は絶えず「新人になれる場所」を
探してきたような気がします。

あくまでホームグラウンドは「映画」なんですけど、
そこで「自分の手癖」がついてきちゃったら、
小説にチャレンジしてみたり、音楽をやってみたり。
──
ええ。
川村
映画の分野でも「実写」に慣れが出てきたら
「アニメ」に挑戦したり。

フィールドが変わると、
その都度「勉強」せざるを得ないんですが、
そうすることが、やっぱり楽しいんです。
──
そうなんでしょうね。なんだか、わかります。
川村
で、次に「新人になれる場所」はどこだろうと
考えたら……。
──
ええ。
川村
アメリカと、中国。
──
おお、リアルな「場所」というか、国。
川村
自分は、日本の映画業界では
知られているかもしれないけど、
ハリウッドでは「アジアからきた若造」にすぎない。

いちいち「誰だこいつ?」からはじまるんです。
それが今、おもしろくて。
──
おもしろい、んですか。
川村
はい、おもしろいです。

「舐められてんなあ、俺」ってところから、
はじめられるので。
──
おお。
川村
でも、武術で組み合ったときに、
すぐ相手の実力がわかるのと同じように、
打ち合わせをして数分で、
「あ、こいつおもしろいな」
と相手の反応が変わる瞬間があって。

今は、それがおもしろくて仕方ないですね。
【2020年3月27日 千代田区有楽町 
STORY inc.のオフィスにて】

このコンテンツは、
ほんとうは‥‥‥‥。

今回の展覧会のメインの展示となる
「33の悩み、33の答え。」
は、「答え」の「エッセンス」を抽出し、
会場(PARCO MUSEUM TOKYO)の
壁や床を埋め尽くすように
展示しようと思っていました。
(画像は、途中段階のデザインです)

照明もちょっと薄暗くして、
33の悩みと答えでいっぱいの森の中を
自由に歩きまわったり、
どっちだろうって
さまよったりしていただいたあと、
最後は、
明るい光に満ちた「森の外」へ出ていく、
そんな空間をつくろうと思ってました。

そして、このページでお読みいただいた
インタビュー全文を、
展覧会の公式図録に掲載しようか‥‥と。
PARCO MUSEUM TOKYOでの開催は
中止とはなりましたが、
展覧会の公式図録は、現在、製作中です。

書籍なので一般の書店にも流通しますが、
ほぼ日ストアでは、
特別なケースに入った「特別版」を
限定受注販売いたします。
8月上旬の出荷で、
ただいま、こちらのページ
ご予約を承っております。

和田ラヂヲ先生による描きおろし
「はたらく4コマ漫画」も収録してます!
どうぞ、おたのしみに。