「ほぼ日カルチャん」をはじめる前から、
自分がいいと思った映画や音楽や舞台を
友人にすすめることはふつうにやってきました。
基本的には冷静さを保つよう心がけ、
「よかったよ」とすすめる。
時と場合と相手を確認しながらけっこう慎重に、
「時間があったらみてみるといいよ」などと。
おすすめするのはちょっとした勇気がいることだから、
いくらかの臆病さがでるのでしょう、
「気に入らないかもしれないけどね」
という保険を付け加えたりしながら。
なのですけれど。
半年、1年、数年に一度、
つまり、ごくまれに、
そういう冷静さをふきとばす作品に出合うことがあります。
すすめた相手が気に入らないかもしれないことなんか、
どーでもよくなり、
ただただ「すばらしかった! 観て」と言う。
上手に伝えようとする工夫さえほっぽりだして、
「いいんだよ! 観て!」をばかみたいに繰り返す。
そんな映画を観ました。
『37セカンズ』
これを書いているのは観終わって数時間後です。
だいぶ落ち着いたけど、
でも、まだ、心が熱い。
評判は口コミで伝わってきてはいました。
時間ができたら観たいな、くらいの気もちでいました。
障害をもつ若い女性が主人公というこだけ知っていました。
「真面目に観なきゃ」と、
映画館のやわらかい椅子に腰をおろしました。
‥‥そこから約2時間。
なんてすばらしい時間だったことだろう。
ストーリーは随所でこちらの予想をひらりとかわして、
心地よく意外な方向へ進みます。
半歩先を進む物語を、観客が追いかけてゆく感じ。
この感じで進む表現が、ぼくはほんとうに好みです。
障害をもつ人の映画ということが、
はじまってほどなく
自分から消えかけているのに気づきました。
スクリーンの主人公はずっと車椅子で移動しています。
すべての動作が、思うに任せません。
でも、それは、ただそういうこと。
主人公は私(あなた)でもあり、
起きることはきっと誰にでも起きること。
普遍性を強く感じながら、
ひたすら主人公の行動力に拍手をしながら観ていました。
あのですね、すごいんですよ、行動力が。
もう、みごとなんです。
痛快。
「周囲の涙をあてにしない」んです、彼女は。
同情みたいなものはどんどん横において、
まっすぐ自分の意志で動きます。
はたらきたい、恋がしたい、好きな人に会いたい。
誰もが望むことへと、すっと手をのばす。
「どうしよう?」と思ったら、誰かに訊く。
ヒントを見つけたら、やってみる。
車椅子の速度でぐいぐい進みます。
高速ではないけれど、あの前進力はすごい。
もう、ある意味アドベンチャー映画です。
主人公が車椅子に座っていると聞くと、
そのことが涙を誘うのかなと思いそうですが、
そういうことではないんです。
たとえば彼女は、最後までほとんど泣きません。
でも、観ているほうはもう、たいへんです。
「泣けた!」は、すべての価値ではないけれど、
でも、たいへんでした。ぼくは。
これ以上は(というかもうすでにけっこう)、
いわゆるネタバレになるので止めておきます。
ちなみにぼくはまだ、
あの物語の中にいたいので
監督のことや出演者のこと、
公式サイトもウィキペディアも読んでいません。
調べない、というのもいいものですね。
全力投球でおすすめします。
受け止めてください。