ほぼ日刊イトイ新聞

C・シルヴェスター編『THE INTERVIEW』
(1993年刊)によれば、
読みものとしての「インタビュー」は
「130年ほど前」に「発明された」。
でも「ひとびとの営み」としての
インタビューなら、もっと昔の大昔から、
行われていたはずです。
弟子が師に、夫が妻に、友だち同士で。
誰かの話を聞くのって、
どうしてあんなに、おもしろいんだろう。
インタビューって、いったい何だろう。
尊敬する先達に、教えていただきます。
メディアや文章に関わる人だけじゃなく、
誰にとっても、何かのヒントが
見つかったらいいなと思います。
なぜならインタビューって、
ふだん誰もが、やっていることだから。
不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

クリスティアン・クレーネスさんプロフィールフロリアン・ヴァイゲンザマーさんプロフィール

クリスティアン・クレーネス

1985年、オーストリアのテレビ局に入社。
1990年、ドイツのテレビ局に移籍すると同時に、
ウィーンに映像プロダクションを設立し、
フリーランス・プロデューサーとして多くの仕事をこなす。
英国のアカデミー賞受賞俳優で、
小説家、脚本家、劇作家、映画監督の
ピーター・ユスティノフと仕事を通じて知り合い、
長年テレビや舞台製作を共にする。
その後、ピーター・ユスティノフが設立した、
難民の子供たちを支援する
ピーター・ユスティノフ・ファンデーションの
アドバイザー兼マネージャーを務める。
2006年、ブラックボックス・フィルム & 
メディアプロダクションを設立し、
30年間に及ぶ映像業界の知識を使い、会社経営、
プロデューサー、ディレクター業を兼務する。

フロリアン・ヴァイゲンザマー

ウィーン大学で政治学とコミュニケーション学を
専攻した後、
オーストリアの著名な政治誌「Profil」で
ジャーナリストとして働く。
1995年、ウィーンを拠点にする通信社に転職し、
ヨーロッパ全土に向けて
多くのニュース記事やルポタージュを書く。
その後、クリスティアン・クレーネスと、
東欧とアジアをテーマにした
数多くの政治・社会テレビ番組を制作する。
同時に、映像やマルチメディアなど
多岐に渡るアーティストとコラボレーションし、
美術館での展示映像の製作なども行う。

01
相手といい関係を築けなければ、
いいインタビューにはならない。

──
有名なナチスの宣伝大臣・ゲッベルスの
秘書を務めていた
ブルンヒルデ・ポムゼルさん、
撮影当時103歳の女性のドキュメンタリーを
制作されたおふたりに、
「インタビューとは、何か」について、
おうかがいできればと思います。
クレーネス
はい。
──
映画は、ポムゼルさんという高齢の女性が、
自分の生きた時代と人生のことを、
たんたんと語っている、という印象でした。

インタビュアーに誘導されるふうでもなく、
インタビュアーに強く迫られるでもなく。
クレーネス
そういう映画にしたかったので。
──
最終的には、
ポムゼルさんの独白、モノローグとして
編集されていますが‥‥。
ヴァイゲンザマー
我々は彼女に、いろいろ質問しましたが、
誘導的、攻撃的な質問はしませんでした。
彼女に、自由に、語ってもらったんです。
──
つまり‥‥。
ヴァイゲンザマー
もちろん、彼女が語っていることは、
質問に対する答えなんですが、
より大きな、重要な事柄に関しては、
彼女自身、
自ら語り出す場面も多かったんです。
──
つまり「自由に」ということが重要?
ヴァイゲンザマー
最初に「ある種の期待」を持って
誰かに何かを聞きに行く‥‥ということは、
我々にも、当然、あります。

だから少なからず期待して、意気込んで、
心を躍らせながら、
インタビューの現場へ向かうわけですが、
往々にして、
期待とは別方向に行くことが多いんです。
──
ええ、そうですよね。
こちらの思いどおりには、まあならない。
ヴァイゲンザマー
はい。でも、ならないからと言って、
自分の思い描く方向性を
押し付けてしまうようなことをしたら、
インタビューは、うまくいきません。
──
はい。
ヴァイゲンザマー
むしろ、相手の話したい方向へゆだねる、
自由に語ってもらって、
その会話の流れに乗っていくほうが、
結果的には、
ずっとたくさん語ってくれると思います。
──
自分の意見は、ひとまず脇に置いて。
クレーネス
そのことが、非常に大事だと思いますね。

相手の話したいことに沿って、
インタビューをすすめていくことが、
仮に短い時間であっても、
いい関係を築くことにつながります。
──
いい関係、ですか。
ヴァイゲンザマー
そう、我々のインタビューにとっては、
いい関係が築くことが重要です。
──
ポムゼルさんの場合は、どうでしたか。
ヴァイゲンザマー
彼女に対する期待は、当然ありました。

同時に、我々には、
「本当のことを、話してくれるだろうか」
「自分たちに心を開いてくれるだろうか」
という心配も、あったんです。
──
はい。
ヴァイゲンザマー
と言うのも、彼女‥‥ポムゼルさんの場合、
出演をオーケーしてくれるまでに、
まるまる1年間の時間が必要だったんです。
──
え、そんなにですか。
クレーネス
以前に一度だけ、ドイツの新聞に、
自分の過去を語ったことがあったんですが、
そのときに、
ずいぶん嫌な思いをしたそうなんです。

だから、
もう二度と、メディアのインタビューには
答えたくないと考えていたんです。
──
では、その状態から、どうやって?
ヴァイゲンザマー
結局、彼女がオーケーしてくれたのは、
我々が彼女のことを批判したり、
何か「判決」を下すような、
そんなことがしたいんじゃないんだと、
わかってもらえたからでしょうね。
──
おふたりはポムゼルさんに、
何を語ってほしいと思っていたんですか。
ヴァイゲンザマー
彼女はナチスの宣伝省に勤務していましたが、
そのことについて、
悪いとか、ひどいとか、ダメじゃないかとか、
そんな映画にしたいわけじゃなかった。

だって彼女は、100年‥‥1世紀もの歴史を、
生き抜いてきたわけです。
──
ええ。それも、容易ではない時代を。
ヴァイゲンザマー
そう、ですから、我々は、
そのことに対して、敬意を持っているんです。

だから彼女に、
そのことについて、語ってほしかったんです。
──
ブルンヒルデ・ポムゼルという女性の人生と、
彼女の生きてきた時代、について。
クレーネス
ドイツの新聞から受けたインタビューは、
その逆で、
インタビュアーがとても攻撃的で、
「あなた、あんなところに勤めていて!」
と、とにかく批判的だったんです。
ヴァイゲンザマー
あるいは、話す前から偏見を持っていて、
自分たちのイメージの型に、
都合よく彼女をはめ込もうとしていたり。

話したくもないことを、
あまりに引きだそう引きだそうとされて、
嫌になってしまったんですよ。
──
そういう強引な雰囲気のインタビューも、
世の中には、あるんでしょうね。
クレーネス
センセーショナルな記事にするためにね。

だから、そのドイツの新聞記者も
ポムゼルさんに
「こうでしょう? こうでしょう?」と
強く迫ったわけです。
──
でも、おふたりの場合は、そうじゃなく。
クレーネス
むしろ、そんなつもりはないんですって、
わかってもらうために、
1年間という時間を費やして話しました。
──
それはつまり「説得」ですか?
クレーネス
信頼を勝ち得ること、ですね。
──
信頼。
クレーネス
わたしたちは、彼女に
長い時間、語ってほしいと思っていました。

都合のいい部分だけを切り取った、
センセーショナルなインタビューになんて
したくなかったし、
ドイツの歴史と自分の人生に対する、
彼女のパースペクティブを尊重したかった。
──
ええ。
クレーネス
そのためには、彼女には、
ある程度長い時間、語ってもらう必要が、
あると思ったんです。
──
じゃ、そのリクエストに、
ポムゼルさんのほうでも、応えてくれて。
ヴァイゲンザマー
むしろ、インタビューの時点で、
彼女はすでに
「103歳」という高齢だったこともあって、
当初、単純な質問ばっかりしていたら、
バカにされたくらいです。

「なんて幼稚な質問をするの?
 もっとまともなことを聞いて」と(笑)。
──
つまりポムゼルさんは、ある意味で、
話を聞いてほしかった、ということも‥‥。
ヴァイゲンザマー
そういう気持ちは、あったと思います。
クレーネス
ともあれ、我々のインタビューにとって
大事なことは、長い時間をかけて、
答えてくれる人との間に、
ある種のシンパシーを共有することです。
──
それが「いい関係」を築くこと。
ヴァイゲンザマー
そう、そしてそれは、
その人を全肯定することとは、ちがいます。

必ずしも何もかも認めるわけじゃないけど、
その人の話を聞いて、受け入れて、
できることならば、人間として好きになる。
──
ええ。‥‥好きになる、まで。
ヴァイゲンザマー
我々のインタビューの場合、
そこまでいかなければ、成り立たないんです。

そして、そういう関係が出来上がってからは、
彼女は、どんどん自由に、自然に、
のびのびと話をしてくれるようになりました。

<つづきます>

2018-06-18-MON

映画『ゲッベルスと私』、公開中です。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

モノクロ画面の中、在りし日のポムゼルさんは、
ナチス政権下の自らの生活を、
静かに、たんたんと、振り返ります。
大きな歴史の中の、半径数メートルの出来事を。
上司だったゲッベルスについても、
「見た目のいい人だった。
手もよく手入れされていた。
きっと毎日、爪のケアを頼んでいたのね」
と回想します。
映画のタイトルは「ゲッベルスと私」ですが、
ブルンヒルデ・ポムゼルという女性の人生を、
その100年以上に及ぶ人生を描いた、
より大きくて、ちいさな物語だと思いました。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

この映画は、有田浩介さんという「個人」が
配給しています。
たったひとりで映画を買い、劇場と交渉し、
宣伝し、配給している人は、
映画界広しといえども、めずらしいそうです。
今回、原稿のやり取りをする中で、
有田さんのくれたメールが、
映画に対して自分が感じたことと似ていたので、
そしてそれが、より的確に表現されていたので、
ご本人の了承を得た上で、紹介いたしますね。

「最初、この映画を見たとき、
ポムゼルさんは嘘をついていると思いました。
ポムゼルさんのインタビューの中に、
ちいさな矛盾を感じたのです。
同時に、そのことが、
映画のメッセージでないこともわかりました。
3回目を見終えたところで、
ポムゼルさんを通じて、
4人の監督が伝えようとしていることを、
うっすら感じることができました。
衝撃ではなく、静かな力強さ。
私がこの映画を買ったきっかけは、
それがすべてだったと、
インタビューを読みながら、振り返りました」

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

東京・岩波ホールにて公開中。
ほか全国劇場で順次ロードショー。
くわしくは、公式ホームページでご確認ください。

有田さんの配給会社サニーフィルムのHPはこちら。