宮本 やっぱり、監督という仕事は、
全部ですからね。
糸井 全部ですねぇ。
宮本 仕事として、彼にとってはすごく
よかったんじゃないでしょうか。
そのかわり、もういちど
すごく孤独になったと思います。
糸井 その孤独はしょうがないんだよなぁ。
宮本 しょうがない、
それはしょうがないです。
糸井 よくわかります。
だけどひとつだけ、ほかと違うところがある。
それは、映画で近くにいる主演女優が
家にもいる、ということです。
伊丹さんの孤独に対して、
2か所に宮本さんがいるんですよ。
それは、とんでもない大きさだと思います。
宮本 ‥‥そうですね‥‥うーん、
そうでしょうね。
あんまりそういうこと、
考えたことがないんですけど。
糸井 他人から見たらすごいことです。
家にかみさんがいる、
家でだけは、まぁ、鍋でもつついて、
ホッとする。
だけど、現場にはふつう、いないんだ。
宮本 私がいると
安心するということは、
あったでしょうね。
糸井 どんだけ大きかったかと思います。
宮本 というかね、控室に(笑)、
監督が来るんですよ。
とっても困るんです、私の部屋に
監督が来ちゃったら。
糸井 (笑)
宮本 私は衣裳さんたちといっしょにいて、
自分の役をつくっていたいのに、
ガチャッとドア開けて、
お弁当持って
「もうごはん、食べた?」
糸井 参りますね(笑)。
宮本 しょうがないから
「じゃあ、どうぞどうぞ」と
部屋に入れるんですけどね。
撮影所では、私は
監督と女優の立場でいたいんですけど、
男の方ってどうなんでしょう?
糸井 どうなんだろう(笑)。
宮本 助監督さんは
「監督は?」
って、探してるんです。
「宮本さんの部屋にいます」
「また!」
ってね。ですから、
「あなたね、スタッフルームに
 いらしたほうがいいですよ」
と忠告したんです。
糸井 そういうときは、敬語なんですか?
宮本 ふたりのときは「困るじゃない!」と
言いますけれども、
みなさんいらっしゃいますからね、
「向こうにいらしてください」
と言います(笑)。
またしばらくすると、ガチャッとドアをあけて
「ちょっと、お茶」
なんて、お茶を持って
部屋に入ってくるんです。
結局、一緒にいただきますが、
私は気が休まりません(笑)。
糸井 はい(笑)。
宮本 でもね、そこはしょうがないな、
と思っていました。
やっぱり監督ってたいへんです。
糸井 伊丹さんは、ずいぶん休まったでしょうね。
宮本 今日こんなふうにお話ししてしまって、
伊丹さん、怒るかもしれない。
でも、監督の使う神経って、
ほんとうにすごいですから。
伊丹さんなんか、特にそうでした。
亡くなったから言えることなんですが、
そういった意味では、
私が現場にいて、
少しはよかったのかしらと思います。
ピリピリなので、
「これはかわいそうだ」という気持ちに
なっていましたから。
糸井 そうだと思います。
現場と家の2か所に宮本さんがいたのは
どんだけすごいことかと、
いまお話しして気づいて、
ちょっとゾッとしました。
どっちかがいなかったら、
伊丹さんはきっと、
やんなかったんだろうなぁ。
宮本 そんなことないでしょう。
糸井 いえ、そんな事実はないから、
そうだとは言えないんですが、
ぼくは、そう思います。
(続きます!!)
column伊丹十三さんのモノ、コト、ヒト。

37. 『大病人』。

伊丹作品第7作目は、映画監督が癌に冒され、
入院してから亡くなるまでを描いた『大病人』です。

この映画は前年の1992年に起こった、
前作『ミンボーの女』にまつわる暴力事件で
入院した経験から伊丹さんが構想した‥‥、
と、思われやすいようですが(私もそう思っていました)、
実はその前から、病院の映画になることが
決まっていたのでした。

1990年に出版され、大ベストセラーとなった
『病院で死ぬということ』に触発されて
映画のプロットを考えていた伊丹さんは、
この本の著者である山崎章郎さんと会って、
すでに取材が進んでいました。
(暴漢に襲われた当日も、取材後でした。)

この取材のようすを書いた伊丹さんのメイキング本
『「大病人」日記』によると、
映画に出てくるエピソードや、癌に対する考え方、
ペインクリニックや延命ケア、ホスピスといった
死を前にした患者に対する考え方についての
山崎さんとのやりとりが、
多く映画に生かされていることがわかります。

この映画は、医療技術の発展するこの時代に、
反するような考えを提示する一方、
撮影には最先端技術、
SFXをふんだんに取り入れています。
『マルサの女2』から、
そのころ日本でハリウッド式の特撮スタジオを
持っていた、島村達雄さん率いる白組という集団と組み、
デジタル合成で、臨死体験を映像化しているのです。

ちなみにこの臨死体験のシーン、
画家の横尾忠則さんと作るというアイデアもあったそうで、
実際にご本人と話もしていたのだそうです。

この映画だけではないのですが、
伊丹さんは映画の公開時に販売されるプログラムにも
凝りに凝っていました。

映画に関係して、知っているとおもしろいことを入れるのが
伊丹さんは好きだったため、
この『大病人』のプログラムには、
エンゼル・ケアのHOW TOが掲載されていました。

エンゼル・ケアとは、遺体の処置や死化粧のことで、
近年話題の映画『おくりびと』で描かれた
「旅(立ち)のお手伝い」もこのひとつです。

伊丹さんはこの映画のキャッチフレーズを
「僕ならこう死ぬ」とつけていました。
余命を宣告される病気になったらどうするか、
だれしもこの映画を観たら考えてしまうと思います。
(ほぼ日・りか)


参考:伊丹十三記念館ホームページ
   『伊丹十三記念館 ガイドブック』
   DVD『13の顔を持つ男』
   『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』ほか。



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2010-02-08-MON