宮本 主演については、
ほかの女優さんがいい場合もありますから、
それは、おやりになってくださいと
いつも言っていました。
でもそれは、結局なかったんですけど。
糸井 なかったんですよ、事実としてはね。
ぼくはおふたりのことを、
夫婦愛情物語にするつもりは
まったくないんです。
宮本 はい。
糸井 だけど、自分の考えの延長線上に妻を置けたり、
妻の側から、
考えの延長線上に自分を置いてくれたり、
あるいは、自分の体のように、
なにかを取ってもらったり、
なにかをしてもらったりできる。
もともと夫婦は他人ですけども、
それは、他人ではできません。
親子でも難しいことです。
しかし、夫婦のあいだでは、
そういうときがありますよね。
宮本 ありますよねぇ‥‥。
もうね、わかってるんですよ。
糸井 うん。
宮本 わかっちゃう。
糸井 さっきまでケンカしてたとしても、
それはありますよね。
宮本 あります。
糸井 それはとてもおもしろいことだな、と
ぼくは思ってます。
「あいつ、なんて憎らしいんだ」
と思いながらも、
それがあるということは、
なんだろうな、
人類の最後の希望のような気がする。
宮本 うん(笑)。
ですから、ケンカしていてもいいんです、
だけど仲がいいほうが、いいですよ。
糸井 そうですよね。
ぼくがもし男性を好きな人間だったら
男性同士で、
そういう関係がつくれるんだと思います。
宮本 もちろんそうです。
糸井 夫婦というのはつまり、
社会的関係であり、愛情の関係であり、
という、よくわからないセットです。
そのセットが実現できることが
確実にあると思います。
宮本 結婚したとき、私は
仲人をしてくださった山口瞳さんに、
「一に辛抱、二に我慢、
 三四がなくて、五に忍耐」
って言われたんです。
そういう時代だったんですよ。
糸井 特に山口さんですからね。
宮本 ですから、私は
伊丹さんと結婚するということは、
伊丹さんが帰ってきてくつろげること、
神経が休まること、
それをいちばんに考えることだと思ったんです。
ほんとにそれは、そう思ったんです。
糸井 それは、ご自分が
仕事を続けるという前提があって?
宮本 仕事を辞めようと思ったことはないです。
伊丹さんも、辞めろなんて
ひと言も言わないし。
はじめっからそうでした。
糸井 宮本さんは、
監督をやりたい、と思ったことは
ないんですか?
宮本 ぜんぜんないです。
まず脚本が書けない。
糸井 脚本は書けないかもしれないけど、
「こういう話を観たいなぁ」
くらいは、あります?
宮本 ちょっと、あるのはある。
糸井 ということは、原案はできるってことですね。
宮本 はははは。
それでちょっと
思い出したことがあるんですけどね。
私が家に帰ると、
伊丹さんはだいたい居間で寝転んでいる。
そうするとね、必ず、
「今日なにか、いいことあった?
 たのしいことあった?
 おもしろいことなかった?」
って聞くんですよ。
糸井 うん、うん。
宮本 だから私は、
「今日はこういうことがあって
 こういうことがたのしかった」
と、得意げにウワーッと話します。
それがけっこう、台本の中に入ってます。
糸井 なるほど(笑)。
宮本 いつもそうでした。
ただいま、といったらすぐに出てきて
「今日は計画はなんかある?」
とかね。
そうそう、伊丹さんの口癖は、
「今日おもしろいこと、なんかあった?」
「計画は?」
「今日のおかずなに?」
って、これ3つです。
糸井 たのしそうだなぁ、
そのあたりの感じ。
宮本 たのしいですよ。
糸井 ねぇ。
宮本 たのしくしなくちゃ、と思ってた。
糸井 なんだかいちばん、伊丹さんの
たのしい時間だという感じがします。
監督をやってるということは、
どんなにたのしいと言われていても
苦しいに決まってるわけだし。
宮本 あ、でもね、
監督のときは、たのしんでましたよ。
もっとたのしいのは編集してるとき。
いちばんいきいきしてた。
そのあと、たいへんな
興行が待ってるんですけどね。
糸井 興行がつらいんだ。
宮本 たいへんだと思います。
だからよけい、
「編集いいなぁ、たのしいなぁ!」
糸井 ひとり仕事だもんね。
宮本 誰にも邪魔されないで、
イライラしなくてすむ、
どんどんよくなるだけ。
編集の鈴木晄さんといっしょに
「ねぇー!」ってニッコニコしながら
作業してました(笑)。

(続きます!)
column伊丹十三さんのモノ、コト、ヒト。

38.『静かな生活』と大江健三郎さん。

伊丹十三監督の映画の中で、唯一、
原作を持つ作品が1995年の『静かな生活』です。
この原作は伊丹さんの親友であり、
義弟でもある、作家・大江健三郎さんの同名小説です。

伊丹さんと大江さんは松山東高校で知り合い、
一緒に音楽を聴いたり文学を語ったり、
お互いに影響し、刺激しあう間柄でした。

大江さんは、自身の家族の記録
『ゆるやかな絆』の中で伊丹さんをこう書いています。

「少年時にはじめて会った時から、伊丹さんはまったく特別な人でした。お母さんが特注されたネービー・ブルーのラシャの半外套を着たかれは――もとより高校でそれが許可されていたはずはありません――なんとも美しい少年でした。かれは翻訳されたばかりのカフカの『審判』について確実な意見を持っており、ランボーの詩集をガリマール版で読み、そしてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を深く楽しんでいる、という若者でした。」

一方伊丹さんは、『ヨーロッパ退屈日記』の中で

「大江健三郎より書簡。
 来年の六月に子供が生まれる由。子供の名に、戸祭などはどうだろう、という。苗字とあわせて大江戸祭になる、というのだ。ふざけた男である。」


と、のちの世界的文豪のユーモラスな一面を書いています。

大江さんは1958年、23歳の若さで『飼育』で
第39回芥川賞を受賞されます。
1960年には、伊丹さんの妹であるゆかりさんと結婚。
近しいひとりとして、親交がつづきます。
1994年、大江さんはノーベル文学賞を受賞。
これまで『個人的な体験』『万延元年のフットボール』
『洪水はわが魂に及び』『同時代ゲーム』
『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』など、
名作をたくさん生み出されています。

1995年に公開された『静かな生活』は、
それまでの伊丹組の常連の役者さんではなく、
主役級に新人の佐伯日菜子さん、渡部篤郎さんを配し、
また音楽には、全編、大江さんの息子・光さんの音楽が
つかわれています。
そのため、とても若々しくまぶしい昨品になっています。

この映画で、音楽の才能をもつ障害者の兄・
イーヨーを演じた渡部篤郎さんは、
1996年の日本アカデミー賞の優秀主演男優賞、新人俳優賞を
ダブル受賞されています。

また宮本信子さんは、本作では出番は多くないのですが、
この映画のテーマ「なんでもない人」について語る、
重要な人物として、登場します。

伊丹さんはこの映画のパンフレットで

「[なんでもない人]として誠実に生き、[なんでもない人]として懸命に人を理解しようとするところに、人間としての品位、大江君のいうところのディーセンシーというものがあるのだ、そして、それが人間の生き方として一番立派なことなんだということを感じてもらえるのではないかと思います」

と書かれています。
伊丹さんと大江さんのお互いの理解から生まれた、
すばらしい共作となったのではないでしょうか。
(ほぼ日・りか)


参考:伊丹十三記念館ホームページ
   『伊丹十三記念館 ガイドブック』
   DVD『13の顔を持つ男』
   『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』ほか。



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2010-02-09-TUE