2013-03-04
2013-03-05
2013-03-06
2013-03-07
2013-03-08
今日の更新
今日、お話をさせていただいて、
ダイアモンドさんは本当にクリアな知性を
お持ちの方という印象をぼくは受けました。
それで、教えていただきたいのですが、
ダイアモンドさんご自身は、
何が今の自分の形成に
とくに大きな影響を与えてきたと思いますか?
いい親のもとに生まれ、
育ったことだと思います。
ああ、なるほど。そうですか。
父は医学の研究者でした。
母はピアノのプロでありながら、
言語学者でもありました。
ですので私はかなり幼い頃から
両親、特に母から言葉を教わりました。
そして、ボストンに生まれたこと。
平和な時代であったし、
いい学校に通えたことも、よかったと思います。
また、非常に面白い時期に
ヨーロッパに行けたというのも。
いい妻に巡り会えて、子供二人にも恵まれました。
妻は今も元気ですし。
総じて言うと、
いい時代に、いい場所に生まれた、
という意味で運がよかったのと、
一所懸命やってきたかな、というところでしょうか。
ご自身のことも、著書での分析のように
まるでいくつもの「条件」が重なった結果のように
お話しになりますね。
「条件」さえ揃えば、まるでほかの人でも
同じような人が育っていたかのように(笑)。
あ、それについては私、
ある程度そういうものだと思っているんです。
私は現在、カリフォルニア大学で
地理学の教授をしているのですが、
私がとても大切に思っている
地理学のとても重要な教えのひとつに、
こういう言葉があるんです。
「初めて会った相手がどんな人物かを知りたければ、
聞くべき質問は2つだけだ。
『いつ生まれたの?』
『どこで生まれたの?』
この2つを聞けば、ある程度のことがわかる」
はああー、なるほどねえ。
たとえば1937年生まれでも、
ボストンに生まれたか、ベルリンで生まれたか、
東京で生まれたかで、
その後の人生は、ずいぶん変わるわけですよね。
同じベルリン生まれた人でも、
1937年に生まれるのと、1957年に生まれるのとでは
これまた大きな違いであるわけです。
もちろん個人の個性や自由意志というのは
当然ありますし、
1937年にボストンで生まれた人間が
みんな同じかというと
もちろんそんなことはありません。
ですが、
「いつ」「どこで」生まれたかということが
それぞれの人の形成のかなり大きい部分を
占めているのは明らかなんですよ。
それは人間を「だいたい同じだ」と
大きな括りで捉える考え方でもありますよね。
そして、もしかしたら
それでいいのかもしれない。
ぼくらは「人間」を考えるときに
細かい枝葉のところを
見すぎているのかもしれない、と思いました。
ちなみにその教えは
ダイアモンドさんご自身が考えたことですか?
そうですね(少し考える)、
‥‥振り返ってみるとおそらく、
私は自分の直接的な経験から
今のことを学んだと思いますね。
私は1937年に生まれ、1957年から62年まで
ヨーロッパで学生をしていました。
若かったので、友達の多くは同年代の人たちでした。
そうすると、1937年にボストンに生まれた自分は、
ほかの多くのアメリカ人の友人たちと同じように、
平和な子供時代を過ごしていたのですが、
同じ年頃のイギリス人で、
子供時代にロンドンで暮らしていた友人たちは、
毎晩のように空襲があって、疎開して、
ということを経験していました。
ドイツ人の友達の多くは孤児になって、
あるいは、爆撃を避けるために家を出て、
橋の下で夜を過ごすことが多かったり、
あるいは学童疎開のようなことがあって、
遠くの町に爆弾が落ちて火の手があがるのを見ながら、
「お父さん、お母さんは大丈夫かな‥‥」と
心配するような子供時代を送っていました。
さらにユーゴスラビア出身の友達もいたので、
そうすると彼らが戦時下の4年間に
どれほど酷い目をみてきたかというのは、
もう、言うまでもないわけです。
そうした個人的な友人関係を
さまざまな人たちと結んでいくなかで、私は
「どこで生まれたか、という偶然が、
大きな差を生むんだ‥‥」
ということを、とても深く胸に刻みました。
自分と違う境遇の人がいると知るだけでも、
とても重要なことですよね。
ええ。さらに、ニューギニアを
訪れるようになってその思いは強まりました。
ニューギニアには、とても頭のいい
知的好奇心の旺盛な人たちが大勢いるのですが、
彼らは日々、
サツマイモを育てて暮らしているんです。
そういった人々に出会ったことでも、
「やはり『いつ』『どこで』なのだ」
と、より強く考えるようになりました。
なんだか、
「人はひとりひとり、みんな違う」
ということと、
「人というものは、おおむね一緒だ」という
2つの要素がいつでも
ダイアモンドさんの中にありますね。
そうだと思います。
ぼくは、自分が「忘れてはいけないな」と
よく思い出していることがあるんです。
それは、あるとき交差点で
信号を待ってるときに思ったことです。
信号を待ちながら、自分の周りにも
同じように歩道を渡ろうと
いっぱい待っている人たちがいました。
向こう側にもいました。
車で道を通り過ぎていく人もいました。
そこでぼくは、はたと気づきました。
「この交差点で、ここにいる人たちは
みんなが違うことを考えているのか‥‥」
当たり前のようですけど、
あらためてそのことをはっきり認識して、
びっくりしました。
それで、今でもその感覚を、
自分の「地図」みたいにしています。
人ってどうしても、
他人が何か考えていることを忘れて、
「自分だけが、何かを考えている」
と思ってしまいがちなので。
ええ、ええ。
それは、とても大切な視点ですね。
ありがとうございます。
そして‥‥お時間がきてしまいました。
今日はたいへん長い時間、ありがとうございました。
高校生になったような気持ちで
いろいろと聞いてしまいました。
いえ、こちらこそありがとうございました。
でも私の感覚では、私の方が高校生に思えました。
好奇心の源は何なのか、上手に導いてくれる先生と
お話ししていたような気分でしたよ。
いえいえそんな、とんでもないです。
それにしても面白かったです。
改めて学校に行きなおしたくなりました。
お会いできてよかったです。
ありがとうございます。
ぼくも、お会いできてうれしかったです。
(ジャレド・ダイアモンドさんと糸井重里の対談は
これで終わりです。
お読みいただきまして、ありがとうございました)
2013-03-11-MON
工業化社会に移行する前の、
農耕や狩猟・採集を中心とした小規模社会
「伝統的社会」に
現代の社会は学べることがあるのではないか、
という視点で書かれた、
ジャレド・ダイアモンドさんのいちばん新しい本。
「紛争」「子育て」「高齢者への対応」
「言語教育」「現代病」「宗教」などにおける
伝統的社会の数多くの例が、
さまざまな物事を違う目で見るための
ヒントになってくれます。
(日本経済新聞出版社)
ジャレド・ダイアモンドさんの
本の中でも特に有名な、
ピュリッツァー賞受賞の世界的ベストセラー。
「どうして人類は、それぞれの大陸で
異なる発展を遂げたのか」
という問いの答えを
人類が世界に拡がったところから
じっくりと追いかけて、さまざまな手法で
丁寧に解き明かしていきます。
壮大なミステリーを読んでいるようで、
読み進めながら、いくつも感動があります。
(草思社文庫)
「歴史から消えてしまった文明は
なぜ、崩壊に至ったのか」を探った
ジャレド・ダイアモンドさんの名著のひとつ。
歴史から消えた数々の文明の事例を
ひとつひとつ検証しながら、
そこに共通する崩壊要因を導いていきます。
今の社会や組織を崩壊させないためには
どうすればよいか、ということを
考えるきっかけにもなる本です。
(草思社文庫)