見えないものを見ようとして
今日は土曜日。
布団にダラーっと寝っ転がって
『オードリーのオールナイトニッポン』を
聴きながらこの文を書いている。
もう、この時間がただただ幸せだ。
本当に、もう。
さて、初回で述べたように、
ラジオというものは目を使いません。
では、我々はどこの部位を一番使って
ラジオを聴いているのでしょう。
僕は、「脳みそ」だと思います。
耳を使うのももちろんですが、脳みそをフル回転させて、
想像力をふんだんに使い、聴くことになるのです。
映像がないということは、喋っている
パーソナリティーの方の表情が全く見えません。
表情が見えないとなると、リスナーの僕たちは、
想像力をビンビンに高ぶらせて、放送局のブースの中の
パーソナリティー達を想像するのであります。
ラジオを聴いていると、
「これラジオだから伝わらないよ~」
というような会話がよく聴かれます。
確かにいくら面白い表情や激しい動きをして
もらっていても、目で見ることはできません。
トークの内容こそが醍醐味なのかもしれません。
しかし、「ラジオだから伝わらない」ことをしている
瞬間こそが、ラジオを聴いていて
一番面白い瞬間であると思うのです。
決してリスナーは目で見ることは
できないのだけれども、
笑いながらエピソードトークを話していたり、
真剣な表情で時事を語っていたり、
顔にマジックで落書きをしていたり、
ブースの中で素っ裸になっていたり。。
そういう部分を、想像力を働かせて必死に
見ようとしているのです。
そうすると、見えてくるのです。
聞けば、見えてくるのです。
本当は見えていないけれども、見えるのです。
あえてこういう言い方をすると、
ラジオというものは、見えないから面白いのです。
見えないものを見ようとして、望遠鏡ならぬ、
想像力を使ってリスナーは必死に覗いているのです。
昨今、見えるラジオという新しいラジオのスタイルが
生まれつつあります。ブースの中にカメラが入り、
表情を映し出してくれる新しいスタイルです。
もちろんリスナーとしては見ていて面白いし、
今まで伝わらなかったものが伝わってくるので
ありがたいなぁという気持ちはあるのですが、
見えないからこそ、パーソナリティーは喋りという
ただ一つの指標で勝負できるのに、
ラジオにまで絵が求められてしまっては
ラジオはラジオでなくなってしまうのではないのだろうか。
とも思ったりします。
(ただ、アイドルのラジオではやっぱり
表情を見れた方が嬉しいかも。)
10年、20年先、ラジオはどのように残っているのだろう。
そんな将来への想像を膨らませながら、今夜もまた
ラジオのスイッチをつけるのであります。
笑える世の中作った人が一番偉いよ。
今回で最後のエッセイになります。
10日間という期間、ラジオの事について考えて、
それを言語化するという作業はとても難しく、
疲れるものでありました。
ちゃんと文脈を作れて、頭の中のイメージを
翻訳できただろうか。
読んでもらって失礼になる事を書いていないだろうか。
たぶん、僕の綴った文字の列は
とてもエッセイと呼べるクオリティはないだろう。
エッセイごっこのようなものかもしれない。
それでも、最後まで読んでいただいた方、
この場に文を書く機会を提供してくださったほぼ日さん、
そして、ラジオに関わる全ての皆さまに、
心の底から感謝感謝でございます。
さて、
表題にした「笑える世の中作った人が一番偉いよ。」
とは、2015年にテレビ東京で放送されていた
『SICKS〜みんながみんな、何かの病気〜』
という番組の最後のセリフであり、
僕の心にずっしりと残った、印象的なセリフである。
ラジオのエッセイで最後にテレビの事を書くのかよ!
とツッコまれてしまうかもしれないが、
僕はこの言葉が本当に好きだ。
ラジオ、テレビ、いや、
その他いろいろな場所において、
結論、笑える世の中を作った人が一番偉いのだ。
そしてゆくゆくは、
何年先になるか分からないが、
笑える世の中を作れる仕事。
大好きなラジオに関わる仕事をして
自分が、世の中が笑っていられたら
幸せなことだなと思っているし、
そういう将来でありたいと願っています。
それでは、
わーわー言ってきましたが、お時間です。
さようなら。