もくじ
第1回自分たちの手で建物を。 2016-06-28-Tue
第2回モザイクタイルをどう見せる? 2016-06-28-Tue
第3回町のこれからのために。 2016-06-28-Tue
第4回はじまりのお話 2016-06-28-Tue
第5回素敵な夜の会 2016-06-28-Tue
第6回アイデンティティを持つ 2016-06-28-Tue

岐阜県生まれ。建築、料理と気ままな旅が好きです。暮らしを考え、提案する仕事をしてきました。今は、次どこへ行こうか模索中です。

ミュージアムができるまで。

担当・ecoromo

第2回 モザイクタイルをどう見せる?

――
あの、今更なんですけど、
モザイクタイルの基準は、
一辺が8センチ以下でしたっけ?
村山
ええっと、面積にして、
50平方センチ以下ですね!
――
それ以下のタイルは、
みんなモザイクタイルなんですね。
村山
はい。
――
モザイクタイルを並べた柄って、
すごくレトロなものが多い気がするんですが、
職人の人たちはどうやって柄を作っていたんですか?
村山
私もまだちゃんと調べてられていないんですけど、
一つは、その柄を考えるのに洋服のファッション誌などを
参考にしていたみたいです。
――
すごく身近なところのものですね。
京都の古典柄のような古いけど新しい感じっていうか、
初めて見るのに昔からあるような懐かしいさとか、
そういった感じの力のようもの・・・
着物の柄のような雰囲気を感じました。
村山
あながち全然違うものじゃないと思います。
古典柄なんかも着物を参考にしてたみたいなので。
――
展示を見たときに、部屋に飾りたいとか、
コレクションしたいって思ったのですが、
モザイクタイルには、彫刻のような
アート性があるんでしょうか?
村山
うーん。
アート性って、本当はなんでしょうね。
今、全体的に問われてきていると思うんです。
芸術に長けた人でないとできないものなのか。
芸術家っていうものが独立した存在として認められる前は、
日々の人々の、営みの中で生まれているものの中にも、
そうじゃない人たちの生み出してきたものが
生活を彩ってきたわけで。
――
確かにそうですね。
村山
そういったところが今、
いろんな美術館や博物館でどう見直すかの議論もあって、
そこに対して、
このミュージアムが何かしらの問いかけが
できる可能性があるのかなっていう気もしますね。
――
面白いですね。
モザイクタイルは建築資材なので、
民芸や工芸でもない、
新しい分野からの問いかけかもしれませんね。
――
そもそも、どうしてモザイクタイルを収集が
始まったんでしょうか?
村山
最初は、自分たちの作ってきたタイルが
建物と一緒に壊されていくので、
「なんかもったいないな」っていうところからですね。
――
それは何年くらい前からですか?
村山
自分たちが作ってきたものを、
もう一回集めてみようっていうことを始めて、
もう20年近く前らしいです。
――
20年!そんな前からだったんですね。
村山
はい。
そこから、どんどんタイルが集まって相当な数になってきて、
これは誰かに見せたいっていう思いが高まってきたようで、90年代後半からミュージアム構想みたいな声が
少しずつ高くなってきました。

当初は手段として「道の駅」として開発するのが
有効と思って、この制度を使おうとしていたんです。
駅の中で産業振興の一環として、
タイルも売りたいっていうことになっていたんですけど。
2006年、多治見市と笠原町が合併するということになって、
合併特例債という制度を使うことになったのですが、
道の駅にするメリットがあまりないと分かってきて、
道の駅自体は重要じゃないから、
切り離して考えることになったそうです。
それで、もう少し規模を縮小して、場所も検討しなおして、
こういう施設にしようっていう。

――
元の道の駅には、ミュージアムも
一緒に併設して建てるような構想があったんですか?
村山
ミュージアム併設だったのかは、
私もよくは知らないんですけど。
あの、ちょっと聞いた話では、
温泉を作って
タイルいっぱい貼ろうっていうことも・・・
――
そっちの方が、
もしかしたらメインだったのかもしれないですね(笑)
村山
その計画がうまくいっていれば、
温泉ができてたかもしれませんね(笑)
――
この辺、温泉は出るんですかね?
村山
どうですかね。
多治見市って、意外とないんですよね、天然温泉は。
隣りの土岐市はあるんですけど。
――
あ、そうなんですか。
もしかしたら、掘れば出るかも・・・
もしかしたら、これから出来るかもですね(笑)
村山
かもですね。
――
先日来た時に、館長の各務さんから、
温泉施設に対して、かなり熱い思いがあるって伺ったので、いつかは・・・
村山
ふふふ。(笑)
――
温泉は載ってなかったですけど、
市役所のHPに、
このミュージアム建設までの流れがわかる年表があって。
最初の構想から、もう10年以上経っていました。
村山
そうですね(笑)
――
20年前から活動している地元のタイル団体の方たちは、
いつかいつか何かの形でっていう思いが
ずーっと冷めずにあり続けていたんですね。
村山
それに対する思いっていうのは、
館長の各務や事務局長の堀江は、
そうとう強いものがあるので、たぶん語らせたら、
ちょっと一泊していかなきゃいけないくらい(笑)
――
ぜひ聞きたいですけどね(笑)
≪※後日聞きまして、第4回以降に載っています!≫

(つづきます)

第3回 町のこれからのために。