- 各務
- そういうやり取りをしながら、
藤森先生には、何度も講演に来ていただいて。
その間、我々も全国からタイルを集めてくる。
それを展示保存する場所をなんとか作って欲しいと。
だけど、笠原町としては予算がない。 - ――
- はい。
- 各務
- それで当時は、道の駅を政府や推進していて、
これだと思って、進めようと町長と話をしていたんだよ。
道の駅には、「特産品」が必要で、
普通だと農産物とかだけど、
ここはタイルなわけ(笑)
だから、町長と一緒にいろんなところへ
タイルの説明に行ったよ。 - ――
- その時は、今のような一般財団法人とか
何かの団体に入られていたんですか? - 各務
- いや、勝手に仲間を集めてただけ。
でも、河原町の小さなの町の中では、
タイル業者を集めて収集活動するってことは、
タイルに対して、それなりの存在価値を
求めてるってことだからね。
だから、収集するのにものすごくお金がかかるものとかは、
町長にも相談して、市から援助してもらったりとかね。 - ――
- 市の財産として、認められつつあったんですね。
- 各務
- もちろん、勝手なことしてるのにって
言われることもあったよ。
でも、そうじゃないんだ。
これは一つの目的のために動いているだって、
市に対して言える立場になっってったんだ。 - ――
- タイル収集は、特産品だからって理由もあったんですか?
- 各務
- 違う違う。
タイルは、捨てちゃうでしょ?
産業廃棄物だから。
だから、残そうという気持ちがなければ残らないわけ。
どんどん捨てられちゃう。 - ――
- そうですね。
- 各務
- タイルは、焼き物の歴史と違って、新しいんだ。
ほとんどは外国からの輸入品だったんだ、産業的には。
それを国産で作り出した。
それが戦前からだから、まだ100年も満たない歴史なんだ。 - ――
- はい。
- 各務
- ただ100年と言えど、この笠原町に圧倒的に集中してきた。
モザイクタイルの生産会社がね。
この町の7割以上の人が、タイルの生産に関わって、
生活してきたわけだよ。
それを、何も残らなくていいんですか?
というお話を町長はじめ、
みんなにしてきたんだ、オレは。 - ――
- 確かに過去には、地方で栄えたにも関わらず、
後に衰退して、文献の記録にしかないものも
たくさんありますよね。 - 各務
- そう。
10年後、20年後、どんどん衰退していった先で、
もう限界になって、産業が途絶えましたと。
そういう場所や産業がいくらでもある。
それでも、何も残りませんでしたというよりも、
何かの痕跡をきちっと残しておいた方が、
今度は100年先、200年先にそれを見て、
あぁ、ここで歴史の1ページに書いてある
モザイクタイルってここなんだって言って、
見てくれる人があれば、
その後の歴史の中でそういうものを
作ってみようっていう人が現れるかもしれない。 - ――
- うんうん。
- 各務
- こんなキレイなものを作ってくれたんだっていう
誇りにもなるかもしれない。
ってか、なって欲しいねって思ったわけ。 - ――
- そういう思いがあって、
呼びかけて仲間を集めて、収集を始めたんですね。 - 各務
- うん。
大事にしなきゃいけないのは、
社会的に役に立った産業なんだ。
この辺には、たくさん陶芸作家がいるでしょ?
そういう陶芸作家の作品を並べるところは、
いっくらでもあるわけ。
そういう美術館も、多治見市にも土岐市にもある。
でも本来は、地元の産業の在り方、
生活の基盤となった在り方をきちっと整理して、
何が正しくて何が正しくないとかじゃなく、
偏ることのないバランスを持って、
やることが必要なんじゃないかと思って、
みんなに呼びかけてきたし、
行政にも話してきたわけ。 - ――
- ありのままの真実を残すことは大切ですよね。
どうしても、煌びやかな方へ
目が行ってしまいがちですが。 - 各務
- たまには良いことも言うんです(笑)
- ――
- (笑)いや、すごくわかりますよ!
そうやって残してくれていたから、
今、知れて次につながったものや役に立ったのものも
たくさん在りますから。
踊りや工芸の伝統文化の復活なんてのも、ありますし。 - 各務
- うん。
その土地のアイデンティティというか、
他の町との違いっていうのは、
その歴史であり、生活基盤であり、
そして産業なんだよね。 - ――
- そうですね。
- 各務
- それをベースにしておかないと、
何をもっておかないと、
今どこも同じコンビニもあるし、
スーパーもあるしで、みんな同じような町になってく。 - ――
- あぁ・・・
- 各務
- それで果たして、
日本の田舎が正しい在り方として
維持できますか?と。
このままじゃ、みんな東京や都会へ出てく、
どんどん街へ出てってしまう。
故郷に未練が残りますか?誇りは?
自分の親に対する尊敬の念であるとか、
地元に対する誇りは残りますか?と。 - ――
- 大切ですね、本当に。
確かに、自分の故郷や地元の産業のこと、
あまりよく知らないから、
そういう文化を持っている地域が
羨ましく思うことがたくさんありました。
特に産業は、見えにくいです。
農業は、畑があるのである程度目に見えてわかる。
でも、産業は建物に覆い隠されていて、
知ろうとしないと見えない。 - 各務
- そう。
それをね、きちっと残していく必要が
やはりあると思ったんだ。
タイルなんかは、
壊したら捨てちゃうものだけにね。 - ――
- そうですね。
- 各務
- だから収集をはじめた。
オレのカミさんね。
10何年か前から、
自動車屋さんから貰ってきた車に
タイルを貼りだして、展示を始めたんだ。 - ――
- 1階に展示されていたものですね。
- 各務
- 元々はとなりの公民館にあったものを移動したんだけどね。
「タイル、何してやーすな?」って言われたり。
こっちの方言だよ。
我々の活動でも、
そんなもの集めてどうするのって言われて・・・
そんなもんだったんだよ、
タイルなんて誰が見に来るの?って。
だから、まずは家庭の中から運動を始めて、
なんとか展示するスペースを作ってくれって、
頼んだんだよ。 - ――
- 収集だけでなく、作品も作っていったんですね。
でも、やっぱり業界の中の人には、
見に来るような価値があると思えなかったんですね。 - 各務
- そう。
タイルなんて誰が見に来るんだ?
そんなことにお金使っていいのか?
誰が責任取るんだ?
オレの会社がやってくれるのか?
ってね、声もあったよ。 - ――
- 外から見るのと内側にいるのでは、
見え方が違いますよね。
それだけ外から見て、魅力的に見えていても。 - 各務
- でも、これは外の人が見てくれるからってことよりも、
自分たちのやってきた生活の中での基盤となった産業の
きちっとした痕跡を残していこうって思いで
やってきたわけだ。
作ってきたオレらが、
「こんなもの」っていう感覚でいいのか。
そこにプライドや誇りはありますか?って。
そういう思いだったんだ。 - ――
- はい。
- 各務
- 最初は、業界のほとんどの人に白い目で見られたよ。
自分たちがつくっているモザイクタイルに、
価値があるもんだっていう認識は
あまりなかったんじゃないかなぁ。
「紺屋の白袴」ていうことわざがあるんやけど、
それと一緒だわなぁ。 - ――
- 染物屋さんが、自分の袴は染めずに、
いつも白袴をはいているっていう・・・ - 各務
- 要は、自分たちの仕事に対する恥ずかしさがあったから。
そこに誇りを持ってもらいたいっていう気持ちが
強かったんだ。 - ――
- 当時この辺りでは、タイル産業で仕事をするってことが、
普通で、当たり前過ぎていたってことですか? - 各務
- そうそう。
今は焼き物の町として、この近辺は知られているけれど、
固定相場から変動になって、円高になって、
高度成長からバブルになって、弾けて、
その流れで産業は縮小していく中ね、
止めていく人もある、
もうタイルなんか二度と見たくないって
言う人もあったね。
気持ちはわからなくないよ。 - ――
- はい。
- 各務
- そんな中ね、せっせとせっせと
タイルを集めてくるヤツがいると、
「そんなもん集めてどうしやーすの?」
って言う人が大半だったわけだ。でもね、
このミュージアムを作り始めて、
足場が取れてから、
そういう批判の声が、
スーーっと消えていったのは。 - ――
- え、最近じゃないですか。
- 各務
- そう、一年くらい前。
- ――
- そうだったんですね。
先日、学芸員の村山さんにも
インタビューさせてもらった際に、
早く収集されたタイルのデータベースを作りたいと
おっしゃってたんですが、
今どれくらい集まってるんですか? - 各務
- もう一万点以上だよ。
今でも、全国から集まってくるよ。
高山の方で、今ある駅舎を建て替える話があって、
昭和の初めの駅舎でね、
そこにモザイクタイルが貼ってあるんだって。 - ――
- あぁ、味がありそうですね!
- 各務
- 九州大学からも、そういう話が来てる。
ミュージアムができるって聞いて、
そういう依頼がどんどん増えてきてる。 - ――
- 取り壊される前に、
一部でも残したいって思いの方が多いんですね。 - 各務
- そう。
東京の文京区にね、
文京建築会ユースっていう会があって、
文京区の古い建物の保存活動や調査・研究を
ボランティアでやっているんだけど、
壊すことが決まってしまった建物の
なんとか一部だけでも残したいので
使われているタイルを預かってもらえないかって
話があって、見に行ったりもしてる。 - ――
- タイルって装飾であるからこそ、
記憶に残ることが多い気がしますね。 - 各務
- でもね、日本だけなんだよ。
壊して、新しい別のものを建てるのって。
ヨーロッパなんかは、
作り変えても新しいタイルを貼るんだ。 - ――
- 確かに、新しい挑戦のような建物も多いですね。
それは日本の国民性でしょうか? - 各務
- タイルだけ見ても、
海外のマーケットは右肩上がりだけど、
日本のマーケットは縮小傾向だね。
息子がアメリカにいるんだけど、
向こうの人たちは、
住宅を借りたり買ったりする時は
内装を自分たちで作り変えて住むんだけど、
タイルも生活に馴染みがあるから、
自分で貼れちゃうわけ。
息子の友人の家を見せてもらったけど、
出来はプロ顔負けだったよ(笑) - ――
- おぉー。
それは何年前のお話ですか? - 各務
- もう10年も前かな。
で、アメリカのホームセンターも見に行ったさ。
そしたら、タイルを貼るための道具や、
作る材料にあらかじめタイルの溝が彫ってあったりして、
売られているからビックリしたよ! - ――
- 日本にもその流れは来ていますか?
- 各務
- うーん、当時のアメリカは人件費が高いから
自分でやるって風潮だったけど、
日本人は、自分でやる人は少ないね。 - ――
- 完成品を買ったり、プロに頼んだりですかね。
- 各務
- 日本人は完璧を好む人が多いからね。
目地の真っすぐな線が少しでも曲がっていると
気になる人とか多い。
だから、手間やお金がかかることよりも
クロスとかでキレイに壁を貼っちゃうわけだ。 - ――
- ・・・わかる気がします。
- 各務
- なんで日本人はー!ってそこで思ったけど、
ある人に言われたことがあって、
なるほどなと思ったんだ。 - ――
- どんなことですか?
- 各務
- 「日本の神様でもね、新しい家に住みたがる」と(笑)
全部壊してね一度、お伊勢さんでもそうでしょ? - ――
- 確かに!(笑)
- 各務
- だからね、神よって崇める時代からそうなんだから、
仕方がないぞって。
確かにって思ったわけだよ、それからは。 - ――
- そういう風習が昔からあったわけですね。
言われてみれば、そういう考え方が
身についている気もします。 - 各務
- だからね、普段の努力をして、
タイルを使っていこうよと。
これは素晴らしいものなんだってことを
常にPRしないと、日本では使ってもらえないんだと。
ただ、80年くらい前からモザイクタイルを作り始めてから、
戦後アメリカへの憧れもあったかと思うんだけど、
日本の隅々にまでタイルは広まったんだ。
特に水まわりに。 - ――
- そうですね。
- 各務
- その後は、輸出がメインになっていったんだ。
アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアや中近東、
そして東南アジアとね。 - ――
- 笠原のモザイクタイルは
世界中に広まっていったんですね! - 各務
- そうや。でも、為替が変動になって
どんどん円高になって、
100円台になってから輸出はもうダメだなってなった。
そしたら、今度はバブルや。
作れば作れるだけ売れる。
この時に麻痺しちゃってたんやね。 - ――
- その頃には、
大量生産も可能になっていたんですよね。 - 各務
- でも、その後バブルがはじけて、
姉歯の構造の事件があって、
リーマンショックも起きてって、
どんどん打撃を受けて、
階段を転がるように落ちてきたわけさ。 - ――
- なんだか悲しくなってきました。
- 各務
- だから、また新しい時代があるんじゃないかと。
きちんと歴史を評価することによって、
次の歴史が生まれてくるんじゃないかと。
そういう話をみんなにしていく中で、
このミュージアムを作ろうと思い至ったわけだ。 - ――
- はい。
- 各務
- 誰が何と言おうとやりますよ、とね。
- ――
- あぁ、なんだかすごい物語を聞いた気分です。
- 各務
- 本当はね、温泉施設を作りたかったこともあるんだけどね。
- ――
- あ、それ村山さんにも聞きました(笑)
- 各務
- 御岳山が見える山がこの先にあってね、
そこに温泉施設作ったら最高だろうなって。
もちろん、モザイクタイルでね。 - ――
- それ、最高ですね!!
絶対行きます。 - 各務
- 老後はそうやって過ごしたいなって思ったんだ(笑)
- ――
- 夢ですね。
あー、想像するだけでワクワクします。
時間も迫って来たので、今日はこの辺りで。
たくさんのお話、ありがとうございました。 - 各務
- いつでも、また聞きに来てな。
いらっしゃいませって待ってるから。 - ――
- はい、ありがとうございました!!
