もくじ
第1回自分たちの手で建物を。 2016-06-28-Tue
第2回モザイクタイルをどう見せる? 2016-06-28-Tue
第3回町のこれからのために。 2016-06-28-Tue
第4回はじまりのお話 2016-06-28-Tue
第5回素敵な夜の会 2016-06-28-Tue
第6回アイデンティティを持つ 2016-06-28-Tue

岐阜県生まれ。建築、料理と気ままな旅が好きです。暮らしを考え、提案する仕事をしてきました。今は、次どこへ行こうか模索中です。

ミュージアムができるまで。

担当・ecoromo

第6回 アイデンティティを持つ

各務
そういうやり取りをしながら、
藤森先生には、何度も講演に来ていただいて。
その間、我々も全国からタイルを集めてくる。
それを展示保存する場所をなんとか作って欲しいと。
だけど、笠原町としては予算がない。
――
はい。
各務
それで当時は、道の駅を政府や推進していて、
これだと思って、進めようと町長と話をしていたんだよ。
道の駅には、「特産品」が必要で、
普通だと農産物とかだけど、
ここはタイルなわけ(笑)
だから、町長と一緒にいろんなところへ
タイルの説明に行ったよ。
――
その時は、今のような一般財団法人とか
何かの団体に入られていたんですか?
各務
いや、勝手に仲間を集めてただけ。
でも、河原町の小さなの町の中では、
タイル業者を集めて収集活動するってことは、
タイルに対して、それなりの存在価値を
求めてるってことだからね。
だから、収集するのにものすごくお金がかかるものとかは、
町長にも相談して、市から援助してもらったりとかね。
――
市の財産として、認められつつあったんですね。
各務
もちろん、勝手なことしてるのにって
言われることもあったよ。
でも、そうじゃないんだ。
これは一つの目的のために動いているだって、
市に対して言える立場になっってったんだ。
――
タイル収集は、特産品だからって理由もあったんですか?
各務
違う違う。
タイルは、捨てちゃうでしょ?
産業廃棄物だから。
だから、残そうという気持ちがなければ残らないわけ。
どんどん捨てられちゃう。
――
そうですね。
各務
タイルは、焼き物の歴史と違って、新しいんだ。
ほとんどは外国からの輸入品だったんだ、産業的には。
それを国産で作り出した。
それが戦前からだから、まだ100年も満たない歴史なんだ。
――
はい。
各務
ただ100年と言えど、この笠原町に圧倒的に集中してきた。
モザイクタイルの生産会社がね。
この町の7割以上の人が、タイルの生産に関わって、
生活してきたわけだよ。
それを、何も残らなくていいんですか?
というお話を町長はじめ、
みんなにしてきたんだ、オレは。
――
確かに過去には、地方で栄えたにも関わらず、
後に衰退して、文献の記録にしかないものも
たくさんありますよね。
各務
そう。
10年後、20年後、どんどん衰退していった先で、
もう限界になって、産業が途絶えましたと。
そういう場所や産業がいくらでもある。
それでも、何も残りませんでしたというよりも、
何かの痕跡をきちっと残しておいた方が、
今度は100年先、200年先にそれを見て、
あぁ、ここで歴史の1ページに書いてある
モザイクタイルってここなんだって言って、
見てくれる人があれば、
その後の歴史の中でそういうものを
作ってみようっていう人が現れるかもしれない。
――
うんうん。
各務
こんなキレイなものを作ってくれたんだっていう
誇りにもなるかもしれない。
ってか、なって欲しいねって思ったわけ。
――
そういう思いがあって、
呼びかけて仲間を集めて、収集を始めたんですね。
各務
うん。
大事にしなきゃいけないのは、
社会的に役に立った産業なんだ。
この辺には、たくさん陶芸作家がいるでしょ?
そういう陶芸作家の作品を並べるところは、
いっくらでもあるわけ。
そういう美術館も、多治見市にも土岐市にもある。
でも本来は、地元の産業の在り方、
生活の基盤となった在り方をきちっと整理して、
何が正しくて何が正しくないとかじゃなく、
偏ることのないバランスを持って、
やることが必要なんじゃないかと思って、
みんなに呼びかけてきたし、
行政にも話してきたわけ。
――
ありのままの真実を残すことは大切ですよね。
どうしても、煌びやかな方へ
目が行ってしまいがちですが。
各務
たまには良いことも言うんです(笑)
――
(笑)いや、すごくわかりますよ!
そうやって残してくれていたから、
今、知れて次につながったものや役に立ったのものも
たくさん在りますから。
踊りや工芸の伝統文化の復活なんてのも、ありますし。
各務
うん。
その土地のアイデンティティというか、
他の町との違いっていうのは、
その歴史であり、生活基盤であり、
そして産業なんだよね。
――
そうですね。
各務
それをベースにしておかないと、
何をもっておかないと、
今どこも同じコンビニもあるし、
スーパーもあるしで、みんな同じような町になってく。
――
あぁ・・・
各務
それで果たして、
日本の田舎が正しい在り方として
維持できますか?と。
このままじゃ、みんな東京や都会へ出てく、
どんどん街へ出てってしまう。
故郷に未練が残りますか?誇りは?
自分の親に対する尊敬の念であるとか、
地元に対する誇りは残りますか?と。
――
大切ですね、本当に。
確かに、自分の故郷や地元の産業のこと、
あまりよく知らないから、
そういう文化を持っている地域が
羨ましく思うことがたくさんありました。
特に産業は、見えにくいです。
農業は、畑があるのである程度目に見えてわかる。
でも、産業は建物に覆い隠されていて、
知ろうとしないと見えない。
各務
そう。
それをね、きちっと残していく必要が
やはりあると思ったんだ。
タイルなんかは、
壊したら捨てちゃうものだけにね。
――
そうですね。
各務
だから収集をはじめた。
オレのカミさんね。
10何年か前から、
自動車屋さんから貰ってきた車に
タイルを貼りだして、展示を始めたんだ。
――
1階に展示されていたものですね。
各務
元々はとなりの公民館にあったものを移動したんだけどね。
「タイル、何してやーすな?」って言われたり。
こっちの方言だよ。
我々の活動でも、
そんなもの集めてどうするのって言われて・・・
そんなもんだったんだよ、
タイルなんて誰が見に来るの?って。
だから、まずは家庭の中から運動を始めて、
なんとか展示するスペースを作ってくれって、
頼んだんだよ。
――
収集だけでなく、作品も作っていったんですね。
でも、やっぱり業界の中の人には、
見に来るような価値があると思えなかったんですね。
各務
そう。
タイルなんて誰が見に来るんだ?
そんなことにお金使っていいのか?
誰が責任取るんだ?
オレの会社がやってくれるのか?
ってね、声もあったよ。
――
外から見るのと内側にいるのでは、
見え方が違いますよね。
それだけ外から見て、魅力的に見えていても。
各務
でも、これは外の人が見てくれるからってことよりも、
自分たちのやってきた生活の中での基盤となった産業の
きちっとした痕跡を残していこうって思いで
やってきたわけだ。
作ってきたオレらが、
「こんなもの」っていう感覚でいいのか。
そこにプライドや誇りはありますか?って。
そういう思いだったんだ。
――
はい。
各務
最初は、業界のほとんどの人に白い目で見られたよ。
自分たちがつくっているモザイクタイルに、
価値があるもんだっていう認識は
あまりなかったんじゃないかなぁ。
「紺屋の白袴」ていうことわざがあるんやけど、
それと一緒だわなぁ。
――
染物屋さんが、自分の袴は染めずに、
いつも白袴をはいているっていう・・・
各務
要は、自分たちの仕事に対する恥ずかしさがあったから。
そこに誇りを持ってもらいたいっていう気持ちが
強かったんだ。
――
当時この辺りでは、タイル産業で仕事をするってことが、
普通で、当たり前過ぎていたってことですか?
各務
そうそう。
今は焼き物の町として、この近辺は知られているけれど、
固定相場から変動になって、円高になって、
高度成長からバブルになって、弾けて、
その流れで産業は縮小していく中ね、
止めていく人もある、
もうタイルなんか二度と見たくないって
言う人もあったね。
気持ちはわからなくないよ。
――
はい。
各務
そんな中ね、せっせとせっせと
タイルを集めてくるヤツがいると、
「そんなもん集めてどうしやーすの?」
って言う人が大半だったわけだ。

でもね、
このミュージアムを作り始めて、
足場が取れてから、
そういう批判の声が、
スーーっと消えていったのは。

――
え、最近じゃないですか。
各務
そう、一年くらい前。
――
そうだったんですね。
先日、学芸員の村山さんにも
インタビューさせてもらった際に、
早く収集されたタイルのデータベースを作りたいと
おっしゃってたんですが、
今どれくらい集まってるんですか?
各務
もう一万点以上だよ。
今でも、全国から集まってくるよ。
高山の方で、今ある駅舎を建て替える話があって、
昭和の初めの駅舎でね、
そこにモザイクタイルが貼ってあるんだって。
――
あぁ、味がありそうですね!
各務
九州大学からも、そういう話が来てる。
ミュージアムができるって聞いて、
そういう依頼がどんどん増えてきてる。
――
取り壊される前に、
一部でも残したいって思いの方が多いんですね。
各務
そう。
東京の文京区にね、
文京建築会ユースっていう会があって、
文京区の古い建物の保存活動や調査・研究を
ボランティアでやっているんだけど、
壊すことが決まってしまった建物の
なんとか一部だけでも残したいので
使われているタイルを預かってもらえないかって
話があって、見に行ったりもしてる。
――
タイルって装飾であるからこそ、
記憶に残ることが多い気がしますね。
各務
でもね、日本だけなんだよ。
壊して、新しい別のものを建てるのって。
ヨーロッパなんかは、
作り変えても新しいタイルを貼るんだ。
――
確かに、新しい挑戦のような建物も多いですね。
それは日本の国民性でしょうか?
各務
タイルだけ見ても、
海外のマーケットは右肩上がりだけど、
日本のマーケットは縮小傾向だね。
息子がアメリカにいるんだけど、
向こうの人たちは、
住宅を借りたり買ったりする時は
内装を自分たちで作り変えて住むんだけど、
タイルも生活に馴染みがあるから、
自分で貼れちゃうわけ。
息子の友人の家を見せてもらったけど、
出来はプロ顔負けだったよ(笑)
――
おぉー。
それは何年前のお話ですか?
各務
もう10年も前かな。
で、アメリカのホームセンターも見に行ったさ。
そしたら、タイルを貼るための道具や、
作る材料にあらかじめタイルの溝が彫ってあったりして、
売られているからビックリしたよ!
――
日本にもその流れは来ていますか?
各務
うーん、当時のアメリカは人件費が高いから
自分でやるって風潮だったけど、
日本人は、自分でやる人は少ないね。
――
完成品を買ったり、プロに頼んだりですかね。
各務
日本人は完璧を好む人が多いからね。
目地の真っすぐな線が少しでも曲がっていると
気になる人とか多い。
だから、手間やお金がかかることよりも
クロスとかでキレイに壁を貼っちゃうわけだ。
――
・・・わかる気がします。
各務
なんで日本人はー!ってそこで思ったけど、
ある人に言われたことがあって、
なるほどなと思ったんだ。
――
どんなことですか?
各務
「日本の神様でもね、新しい家に住みたがる」と(笑)
全部壊してね一度、お伊勢さんでもそうでしょ?
――
確かに!(笑)
各務
だからね、神よって崇める時代からそうなんだから、
仕方がないぞって。
確かにって思ったわけだよ、それからは。
――
そういう風習が昔からあったわけですね。
言われてみれば、そういう考え方が
身についている気もします。
各務
だからね、普段の努力をして、
タイルを使っていこうよと。
これは素晴らしいものなんだってことを
常にPRしないと、日本では使ってもらえないんだと。
ただ、80年くらい前からモザイクタイルを作り始めてから、
戦後アメリカへの憧れもあったかと思うんだけど、
日本の隅々にまでタイルは広まったんだ。
特に水まわりに。
――
そうですね。
各務
その後は、輸出がメインになっていったんだ。
アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアや中近東、
そして東南アジアとね。
――
笠原のモザイクタイルは
世界中に広まっていったんですね!
各務
そうや。でも、為替が変動になって
どんどん円高になって、
100円台になってから輸出はもうダメだなってなった。
そしたら、今度はバブルや。
作れば作れるだけ売れる。
この時に麻痺しちゃってたんやね。
――
その頃には、
大量生産も可能になっていたんですよね。
各務
でも、その後バブルがはじけて、
姉歯の構造の事件があって、
リーマンショックも起きてって、
どんどん打撃を受けて、
階段を転がるように落ちてきたわけさ。
――
なんだか悲しくなってきました。
各務
だから、また新しい時代があるんじゃないかと。
きちんと歴史を評価することによって、
次の歴史が生まれてくるんじゃないかと。
そういう話をみんなにしていく中で、
このミュージアムを作ろうと思い至ったわけだ。
――
はい。
各務
誰が何と言おうとやりますよ、とね。
――
あぁ、なんだかすごい物語を聞いた気分です。
各務
本当はね、温泉施設を作りたかったこともあるんだけどね。
――
あ、それ村山さんにも聞きました(笑)
各務
御岳山が見える山がこの先にあってね、
そこに温泉施設作ったら最高だろうなって。
もちろん、モザイクタイルでね。
――
それ、最高ですね!!
絶対行きます。
各務
老後はそうやって過ごしたいなって思ったんだ(笑)
――
夢ですね。
あー、想像するだけでワクワクします。
時間も迫って来たので、今日はこの辺りで。
たくさんのお話、ありがとうございました。
各務
いつでも、また聞きに来てな。
いらっしゃいませって待ってるから。
――
はい、ありがとうございました!!