ゾマホンさんと2人ではじめたのが
「たけし日本語学校」でした。
それはベナンにこんな諺があったことがきっかけです。
「魚を欲しがる友に、毎日魚を与えるよりも
その捕り方を教えたほうがいい。」
いわゆる途上国に対する支援は
物資や寄付金を送るといったものが主流でした。
しかし、それは現地の人たちの生産意欲を失くし、
自立しようという意思まで失うことになってしまいます。
そこに危機を感じていたゾマホンさんは、留学生を
育て、自分たちの国のことは自分たちで変えていける
人材を育てたいと思っていました。
歴史を振り返れば、日本という国もかつては留学生が
世界から知恵や知識、技術、思想を学び、持ち帰って
繁栄の礎を築いてきたことと同じことです。
日本人のぼくは、留学生が日本という国を知ってもらい
好きになってもらうことが、将来を考えたとき
日本のためにもなると思っていました。
ゾマホンさんとぼくはお互い共感するところがあり、
2003年に西アフリカでは初となる「日本語学校」を
つくりました。
しかし問題もたくさんありました。
一番の問題はお金です。
これは非常に難しく、例えるなら施主と大工の関係です。
大工は自分の意思に反することがあっても
施主の希望を叶えないといけません。
ぼくたちも人からお金をもらってやると
本当に自分たちのやりたいことができないと考え
寄付を募ることはしませんでした。
また助成金という方法もありますが、
日本語学校をつくる助成金はありませんでした。
結局ぼくたちは助成金を頼ることもやめました。
そして、日雇いで仕事をしながらお金をため、
ようやくベナンに小さな日本語学校をつくることができました。
なぜ日雇いだったのかは、シフト制の仕事をすると
外務省やその他の役所、留学生を受け入れてくれる大学への
営業ができなくなるからです。
(つづく)