もくじ
第1回物語のはじまり。 2016-06-28-Tue
第2回人を育てる。 2016-06-28-Tue
第3回航空券がない。 2016-06-28-Tue
第4回本当にやりたいことが。 2016-06-28-Tue

1979年6月22日生まれ。
富山県出身
20歳の時に、バスの隣席が偶然
ベナン共和国出身で、当時上智大学留学生の
ゾマホンさん(現:駐日ベナン共和国全権大使)
だった。
目的地までの数分間の会話がきっかけで、
大学卒業後、就職先をすべて断り、ゾマホンさんと共に
ベナンと日本のために活動することを決意。

2003年、現地に「たけし日本語学校」を
開校し、西アフリカでは初となる日本語と日本文化を学べる
拠点を作った。また今日までも継続的に学校運営を行う。

また、日本語学校以外に、留学生の招致、
小学校6校建設、井戸掘り20本等、
16年間、ゾマホンさんとともに活動を続ける。

ただ、この活動は収益が出る活動が生まれるまで
ボランティアで行っており、
現在は株式会社グラフィコの人事として
仕事をしながら活動を続けている。

NPO法人IFE(イフェ)代表理事
※IFEとはベナンの言葉で「愛、分かち合う」の意味

ゾマホンとぼく

担当・山道昌幸

第3回 航空券がない。

ベナン人の留学生を受け入れてもらうために
沢山の大学に行き、お願いをしました。
いまでもそうですが、大学にはアフリカからの留学生が
多くはいません。
それだけまだ受入れるハードルが高いのです。

13年前は今以上に少なく、ようやく個人的なつながりで
3ヶ月間という短期ではありましたが、受入れていただける
短期大学が見つかりました。

あの時の感動はいまでも鮮明に覚えています。
しかし、それも束の間、次の問題がありました。

ベナンから日本に来るための渡航費用がとても高いのです。
当時日本からベナンに行くためには、ベナンの旧宗主国の
フランスを経由するのが一番の最短ルートでした。

しかし正規の金額で航空券を購入しようとすると、
なんと100万円もします。

100万円。

それでは、せっかく受入れてくれる大学が見つかっても
呼ぶことはできません。

そこでやったことは、
都内の格安航空券が購入できるところに
片っ端から行って、直接担当者と交渉しました。

担当者もベナンのチケットを購入したことがないので、
様々な航空会社の人をつなぎ、なんとか日本でチケットを
購入できるようにしました。

そこで生まれたルートが
日本→中国→フランス→リビア→ベナン
でした。

総額約27万円。
これで留学生をなんとか日本に呼べるルートができました。

その当時の気持ちを素直に振返ると、
海外青年協力隊でアフリカに行っている人たちが羨ましいと
感じることも多々ありました。
でも、ぼくの目的は留学生を受け入れることです。

それ以外にも大小様々な問題が次々とありましたが、
いまでは日本、ベナン両国に大使館も設置され
国内でビザをもらうことまで可能になりました。

そしていまでは数多くの留学生が日本に来日するまでに
なりました。

(つづく)

第4回 本当にやりたいことが。