- 糸井
- 浅生さんには、人生を変えるような
経験があったと思いますが。
それについても、もう何万回もしゃべってる?
- 浅生
- そうですね。
- 糸井
- 聞いてもいいですか。
- 浅生
- すごく簡単に言うと、
ぼくが31歳のころ、オートバイに乗ってて、
大型の車とぶつかって、足をほぼ切断し、
身体も内蔵もいっぱい破裂し、
要するにもう「死んでる状態」で病院に運び込まれて、
そこから大手術をして復活したんです。
ぼくはそれで「死ぬ」ということがどういうことかを‥‥、
もちろんほんとに死んだわけじゃないんですけど、
「死ぬとは何か」をちょっと理解したんですよ。
- 糸井
- 身体でね。
- 浅生
- 体験した。
ほんとのところはわからないにしても。
そうしたら、死ぬことが怖くはなくなったんですよ。
だからといって死ぬの嫌ですから。
怖いのと嫌なのは別じゃないですか。
- 糸井
- 死にかける経験をしたら、
死ぬのが、より嫌になるでしょうね、きっと。
- 浅生
- より嫌になる‥‥、うーん。
- 糸井
- どうですかね、そのへんは。
- 浅生
- なんか、死ぬことは、
すごく淋しいことだと思ったんですよね。
- 糸井
- それはね、若くして年寄りの心をわかったね。
俺は歳をとるごとに、死ぬことに対する
怖さが失われてきたの。
で、最後に「あー、おもしろかった」って言って
死ぬのがいいなって結構長いこと思ってた。
でも、この頃は違うの。
さぁ命尽きるっていう最期に言いたいのは、
「‥‥人間は死ぬ」(笑)
- 浅生
- 真理を(笑)
- 糸井
- そう。「人間は死ぬもんだから」っていう、
それを、みなさまへの最期の言葉に
かえさせていただきたいと思いますよ。
- 浅生
- 養老先生でしたっけ、人間の死亡率100%であるって。
- 糸井
- うん。明らかにわかってることはね、
それは遺伝子に組み込まれてるからっていう。
- 浅生
- そうなんです。
- 糸井
- 「死ぬ」がリアルになったときに、
同時に「生きる」ことを考える機会が多くなりますよね。
それはどうです?
- 浅生
- そうですね。
何か世の中に遺したいとか、そういう気は毛頭なくて。
死ぬということが、すごく淋しいことだと
ぼくは体験したので、生きてる間は「楽しくしよう」と。
知らない人とワーッてやるのは苦手なので、
パーティー行ったりとかする気は全然ないし、
むしろ避けて引きこもりがちな暮らしなんですけど、
それでも極力楽しく人と接しようかなっていう。
ニコニコするのは上手じゃないので、
「ニヤニヤ」して生きていこうみたいな感じです。
- 糸井
- そのまとめ方って、なんか展開がなくていいね。
ニヤニヤで全部まとめちゃうもんね。
- 浅生
- そうですね。ニヤニヤして生きていきたい。
- 糸井
- カブリオレとか買ってるじゃないですか。
ああいうのもニヤニヤ?
- 浅生
- ニヤニヤです。
自分自身が楽しむだけじゃなくて、
あれを見た人の反応も想像して楽しめるというか。
- 糸井
- 車に屋根がないだけで、
ちょっとおもちゃっぽくなりますよね。
- 浅生
- そうなんです。
で、あれを見た人たちが、やっぱり「派手な車だ」とか。
- 糸井
- 「寒いんじゃない」とか。
- 浅生
- いろんなことを言うじゃないですか。
そこがおかしいというか。
車が壊れて屋根がないときは、
みんなもっと緊迫感あること言うんですけど、
最初から屋根ない車だと、もっといいことを
言ってくれるっていうか。
不思議ですよね、同じ屋根ないだけなのに。
- 糸井
- 前に、浅生さんのカブリオレに
乗せてもらいましたけど、
100キロ近く出ると、もうちょっと怖いぐらいですよね。
緊張感がちょっとあるときって、
ニヤニヤしがちですよね。
- 浅生
- 先生に怒られてるときとかも、ニヤニヤしますよね。
- 糸井
- ニヤニヤすると、さらに怒られる。
- 浅生
- さすがに、生まれたときは
ニヤニヤしてないと思うんですけど。
- 糸井
- 生まれたときは、神戸ですよね。
- 浅生
- はい。神戸で生まれ育って、
高校出てから東京にやってきた。
- 糸井
- 神戸で、何をしてたんですか?
‥‥そういえば、犬をなくした話がありましたよね。
次は、犬がなくなった話、しましょうか。
(つづきます)