- 糸井
- いやあ、浅生鴨のインタビューって、
むずかしいですよ。
- 浅生
- (笑)。
なんか、キャッチボールじゃないんですよね。
- 糸井
- このあいだの読売新聞のインタビューみたいなの、
これからも増えていくと思うんですけど、
それは本を出したりする関係で、
「作家」として聞かれていますよね。
- 浅生
- はい。
- 糸井
- 作家としてだったら、
何とかインタビューが成り立つ?
- 浅生
- いやぁ。
成り立つのかなぁ。わかんないです。
ぼく、聞かれたときにはわりと
丁寧に答えてはいるんですけど、
どうもその答えの方向が求められてるのと
違うことらしくて(笑)。
- 糸井
- いや、違ってもいないですよ。
違ってもいないですけど‥‥。
次の質問をさせない答えなんですよ。
- 浅生
- はぁ。
- 糸井
- ふつうは、答えの中に「次の質問の隙間」があって、
目がそっちに行くように話ってできてるんだけど、
あなたと話してると、1つ終わると
終わっちゃうんですよ(笑)。
- 浅生
- なんでですかね?
ご飯の食べ方もそうなんですよ。
普通におかずとご飯とってありますよね。
ぼく、1品ずつ全部食べるんです。
- 糸井
- そういう感じですよ。
やめなさい、それ。
三角食べとかあるじゃないですか。
- 浅生
- 三角食べができなくて。
1つずつ全部キレイになくなってから‥‥、
だからいつもご飯がすごい余るんです。
- 糸井
- さっきバイトの子が買ってきたコーヒーも、
インタビューの途中は飲みゃしない(笑)。
- 浅生
- 今、慌てて飲んでる。
- 糸井
- インタビューアーになったこともあるでしょ?
- 浅生
- あります。
ぼく、インタビューすごく得意です。
- 糸井
- それ、ちょっと思うんだけど、
相手が「何とかしたい」って思っちゃうんだろうね。
- 浅生
- ぼく、質問して相手が話し始めたら、
わりと黙ってじーっと聞いてるんですよ。
テレビのインタビューだと、カメラ回ってるときに、
「あれも聞かなきゃ」「これも聞かなきゃ」って
焦っていろいろ聞く人が多いんですけど、
ぼくは、じーっと黙ってる。
すると、沈黙に耐えられなくなって、
いろいろ言い始めるんですよね。
それでうっかりなことしゃべっちゃったりするので、
結構なネタ拾えたりとかするんです。
- 糸井
- ちょっとわかります。
聞く側としても辛いけど、聞かれる側でも辛いもん。
- 浅生
- すいません。
沈黙とか孤独が、全然怖くないので。
- 糸井
- 相手が怖がってるっていうのについて、
多少思いやりとか無いもんなのかね。
相手は孤独とか沈黙、嫌だよ。
- 浅生
- 嫌だと思いますけど、
でもまぁぼくじゃないので。
- 糸井
- (笑)。
- 浅生
- 嫌なら自分で何とか。
- 糸井
- 他人っていうの考えたことないの?
- 浅生
- うん、多分。
自分がどう思ってるかだけで、
もういっぱいいっぱいというか。
もちろん、相手の気持ちとか、
「この人はこういうふうに感じてるだろうな」
とかっていうのは、わりと
わかるほうではあるんですけど。
だからといって、そこを何とかしてあげたい、
とまでは思わないんですよね。
- 糸井
- でも、女川の手伝いとか、
そういうのはするじゃないですか。
- 浅生
- それは、ぼくがやりたいから
やってるんであって、嫌なら行かないですから。
- 糸井
- 神戸のときは?
- 浅生
- 地震がおきた当時、座間のほうのある
大きな工場みたいなところで働いてて。
そこの社員食堂のテレビを見てたら、
街がワーッと燃えてて、死者が2千人、3千人に
なるたびに周りで盛り上がるんですよ。
「おぉーっ」とか、言ってみればもう
「やったー」みたいな感じで。
「2千超えたー」「3千いったー」みたいな感じで、
ちょっとゲーム観てるみたいな感じで
盛り上がってるのが、ちょっと耐えられなくて。
それですぐに神戸に戻って、水運んだり、
避難所の手伝いしたりっていうのを
しばらくずっとやってたんです。
- 糸井
- あれが神戸じゃなかったら、
もし実家のある場所じゃなかったら
また違ってたかしらね。
- 浅生
- 全然違うと思います。
多分、ぼく行ってないと思います。
もしかしたら「2千人超えたー」って
言う側にいたかもしれない。
そこだけは、ぼくが「やったー」って
言う側にいないとは言い切れないです。
むしろ言っただろうなという。
- 糸井
- それは、すごく重要なポイントですね。
自分が批難してる側にいないっていう
自信のある人ではないっていうのは、
大事ですよね。
- 浅生
- ぼくいつも、自分が悪い人間だっていうおそれがあって。
人は誰でもいいところと悪いところがあるんですけど、
自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対する
すごい恐怖心もあるんですよ。
だけど、それは無くせないので、
「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、
わりといつも意識はしてますね。
- 糸井
- そのとき、その場によって、
どっちの自分が出るかっていうのは、
そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
- 浅生
- わからないです。
- 糸井
- 「どっちでありたいか」っていうのを
普段から思ってるっていうことまでが、
ギリギリですよね。
- 浅生
- だから、よくマッチョな人が
「何かあったら俺が身体を張って
お前たちを守ってみせるぜ」って言うけど、
いざその場になったらその人が
最初に逃げることだって十分考えられるし。
多分それが人間なので、そう考えるといつも、
「もしかしたらぼくはみんなを
捨てて逃げるかもしれない」って不安も持って
生きてるほうが、いざというときに
踏みとどまれるような気はするんですよ。
- 糸井
- 選べる余裕みたいなものを作れるかどうか。
- 浅生
- 不思議なんですよね。人間ってそういう、
しょせん裏表がみんなあるのに、
ないと思ってる人がいることがわりと不思議で。
- 糸井
- そう。「私はそっちに行かない」とかね。
- 浅生
- そんなのわかんないですもんね。
- 糸井
- そのへんは、それこそ浄土真宗の考えですよ。
縁があればするし、縁がなければしないんだよ
っていう話でさ。
東洋にそういうこと考えた人がいたおかげで、
俺はほんとに助かってる。
- 浅生
- もともと、仏教のそもそもが「何かしたい」とか、
「何かになりたい」とか、「何かが欲しい」って思うと、
それは全て苦行だから、
それ全部捨てると悟れるっていうものですよね。
だから、別にやりたいことがないほうが。
- 糸井
- ブッティストですね(笑)。
- 浅生
- ブッティストなんです(笑)。
(つづきます)