もくじ
第1回めんどくさいから、嘘をつく。 2016-10-18-Tue
第2回「ニヤニヤ」して、生きていたい。 2016-10-18-Tue
第3回「ほんとうのこと」が、怖い。 2016-10-18-Tue
第4回みんなを捨てて、逃げるかもしれない。 2016-10-18-Tue
第5回「受け身」だけど、表現したい。 2016-10-18-Tue

去年の春に京都からやってきて、東京のIT企業ではたらいている、まだ社会人2年目の若者です。「サイボウズ式」というメディアの編集に携わっています。

浅生鴨 × 糸井重里</br>浅生鴨さんの、生きる姿勢。

浅生鴨 × 糸井重里
浅生鴨さんの、生きる姿勢。

第4回 みんなを捨てて、逃げるかもしれない。

 

糸井
いやあ、浅生鴨のインタビューって、
むずかしいですよ。
浅生
(笑)。
なんか、キャッチボールじゃないんですよね。
糸井
このあいだの読売新聞のインタビューみたいなの、
これからも増えていくと思うんですけど、
それは本を出したりする関係で、
「作家」として聞かれていますよね。
浅生
はい。
糸井
作家としてだったら、
何とかインタビューが成り立つ?
浅生
いやぁ。
成り立つのかなぁ。わかんないです。
 
ぼく、聞かれたときにはわりと
丁寧に答えてはいるんですけど、
どうもその答えの方向が求められてるのと
違うことらしくて(笑)。
糸井
いや、違ってもいないですよ。
違ってもいないですけど‥‥。
次の質問をさせない答えなんですよ。
浅生
はぁ。
糸井
ふつうは、答えの中に「次の質問の隙間」があって、
目がそっちに行くように話ってできてるんだけど、
あなたと話してると、1つ終わると
終わっちゃうんですよ(笑)。
浅生
なんでですかね? 
ご飯の食べ方もそうなんですよ。
普通におかずとご飯とってありますよね。
ぼく、1品ずつ全部食べるんです。
糸井
そういう感じですよ。
やめなさい、それ。
三角食べとかあるじゃないですか。
浅生
三角食べができなくて。
1つずつ全部キレイになくなってから‥‥、
だからいつもご飯がすごい余るんです。
糸井
さっきバイトの子が買ってきたコーヒーも、
インタビューの途中は飲みゃしない(笑)。
浅生
今、慌てて飲んでる。

糸井
インタビューアーになったこともあるでしょ?
浅生
あります。
ぼく、インタビューすごく得意です。
糸井
それ、ちょっと思うんだけど、
相手が「何とかしたい」って思っちゃうんだろうね。
浅生
ぼく、質問して相手が話し始めたら、
わりと黙ってじーっと聞いてるんですよ。
 
テレビのインタビューだと、カメラ回ってるときに、
「あれも聞かなきゃ」「これも聞かなきゃ」って
焦っていろいろ聞く人が多いんですけど、
ぼくは、じーっと黙ってる。
 
すると、沈黙に耐えられなくなって、
いろいろ言い始めるんですよね。
それでうっかりなことしゃべっちゃったりするので、
結構なネタ拾えたりとかするんです。
糸井
ちょっとわかります。
聞く側としても辛いけど、聞かれる側でも辛いもん。
浅生
すいません。
沈黙とか孤独が、全然怖くないので。
糸井
相手が怖がってるっていうのについて、
多少思いやりとか無いもんなのかね。
相手は孤独とか沈黙、嫌だよ。
浅生
嫌だと思いますけど、
でもまぁぼくじゃないので。
糸井
(笑)。
浅生
嫌なら自分で何とか。
糸井
他人っていうの考えたことないの?
浅生
うん、多分。
自分がどう思ってるかだけで、
もういっぱいいっぱいというか。
 
もちろん、相手の気持ちとか、
「この人はこういうふうに感じてるだろうな」
とかっていうのは、わりと
わかるほうではあるんですけど。
 
だからといって、そこを何とかしてあげたい、
とまでは思わないんですよね。
糸井
でも、女川の手伝いとか、
そういうのはするじゃないですか。
浅生
それは、ぼくがやりたいから
やってるんであって、嫌なら行かないですから。
糸井
神戸のときは?
浅生
地震がおきた当時、座間のほうのある
大きな工場みたいなところで働いてて。
そこの社員食堂のテレビを見てたら、
街がワーッと燃えてて、死者が2千人、3千人に
なるたびに周りで盛り上がるんですよ。
「おぉーっ」とか、言ってみればもう
「やったー」みたいな感じで。
 
「2千超えたー」「3千いったー」みたいな感じで、
ちょっとゲーム観てるみたいな感じで
盛り上がってるのが、ちょっと耐えられなくて。
 
それですぐに神戸に戻って、水運んだり、
避難所の手伝いしたりっていうのを
しばらくずっとやってたんです。
糸井
あれが神戸じゃなかったら、
もし実家のある場所じゃなかったら
また違ってたかしらね。
浅生
全然違うと思います。
多分、ぼく行ってないと思います。
もしかしたら「2千人超えたー」って
言う側にいたかもしれない。
 
そこだけは、ぼくが「やったー」って
言う側にいないとは言い切れないです。
むしろ言っただろうなという。
糸井
それは、すごく重要なポイントですね。
自分が批難してる側にいないっていう
自信のある人ではないっていうのは、
大事ですよね。

浅生
ぼくいつも、自分が悪い人間だっていうおそれがあって。
人は誰でもいいところと悪いところがあるんですけど、
自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対する
すごい恐怖心もあるんですよ。
 
だけど、それは無くせないので、
「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、
わりといつも意識はしてますね。
糸井
そのとき、その場によって、
どっちの自分が出るかっていうのは、
そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
浅生
わからないです。
糸井
「どっちでありたいか」っていうのを
普段から思ってるっていうことまでが、
ギリギリですよね。
浅生
だから、よくマッチョな人が
「何かあったら俺が身体を張って
お前たちを守ってみせるぜ」って言うけど、
いざその場になったらその人が
最初に逃げることだって十分考えられるし。
 
多分それが人間なので、そう考えるといつも、
「もしかしたらぼくはみんなを
捨てて逃げるかもしれない」って不安も持って
生きてるほうが、いざというときに
踏みとどまれるような気はするんですよ。
糸井
選べる余裕みたいなものを作れるかどうか。
浅生
不思議なんですよね。人間ってそういう、
しょせん裏表がみんなあるのに、
ないと思ってる人がいることがわりと不思議で。
糸井
そう。「私はそっちに行かない」とかね。
浅生
そんなのわかんないですもんね。
糸井
そのへんは、それこそ浄土真宗の考えですよ。
縁があればするし、縁がなければしないんだよ
っていう話でさ。
 
東洋にそういうこと考えた人がいたおかげで、
俺はほんとに助かってる。
浅生
もともと、仏教のそもそもが「何かしたい」とか、
「何かになりたい」とか、「何かが欲しい」って思うと、
それは全て苦行だから、
それ全部捨てると悟れるっていうものですよね。
だから、別にやりたいことがないほうが。
糸井
ブッティストですね(笑)。
浅生
ブッティストなんです(笑)。
 
 
 
(つづきます)
第5回 「受け身」だけど、表現したい。