つじつまは、合わなくってもいいじゃない
浅生鴨的、共生の倫理学
第4回 本当は悲しい、飼い犬の話
- 糸井
- 浅生さん自身の、飼ってた犬の話もしましょうか。
俺、好きなんですよ、あの話。
- 浅生
- 犬はね、もう思い出すと悲しいんですよね。
- 糸井
- ときにはそういうの混ぜないとさ。
- 浅生
- そうですか‥‥
かつて、かわいい、かわいい、
柴とチャウチャウのミックスという、
どう見ていいのかわからない犬を飼っていました。
ぼくが中学か高校の始めぐらいに、
子犬としてうちにやってきて、
本当に頭のいい犬で言うことも聞きましたね。
ぼくが東京に出てきてからは親が面倒を見ていましたが、
うちの親も震災のあとに東京に出てきたんです。
そのとき犬は連れてこられませんでした。
実家は広い庭があって、
しかも山につながっているような場所。
普段から庭で放し飼いにしていたんです。
うちの母は、東京と神戸を行ったり来たりして、
週に何回か神戸の家に帰って
犬のエサとか水とかを用意して、
犬は犬で山の中で勝手に暮らし、
庭に流れている川で水を飲む生活を送っていました。
- 糸井
- 半野生みたいな。
- 浅生
- 子犬のときからそういう感じだったんですね。
勝手にどっかに行ってて「ご飯だよー」って呼ぶと、
山の向こうから「ワウワウ!」って言いながら、
ガサガサっと現れる、ワイルドな犬でした。
- 糸井
- ほぉ。ま、そういうところに犬がいた。
- 浅生
- で、結局、ある日犬は‥‥、
年老いて17歳18歳なり‥‥
- 糸井
- あ、そんなになってたの? それは初耳だよ。
- 浅生
- そう。結構な年だったんです。
- 糸井
- お母さんが、行ったり来たりしてる時期って
何年ぐらい続いたんですか?
- 浅生
- 何年ぐらいだろう。
長く見積もって6年くらいだった思うんですけどね。
- 糸井
- そんなにそういう暮らししてたの。
- 浅生
- ええ。それで、最終的には、
山から犬が戻ってこなかったんですね。
ぼくも神戸に帰るたびに、
大声で呼ぶと犬が山の中から現れていたのが、
ついに現れなくなったんですよ。
ってことは、普通に考えると年を取ってたし、
山の中で亡くなったんだろうなと思うんですけど。
最期を見ていないので、
亡くなったって信じきれない感じがあるんです。
山の中でまだ生きているんじゃないか
という思いがひとつと、もうひとつは、
やっぱりぼくとか母が東京に来ちゃってる間、
犬としてはもちろん山の中は楽しいだろうけど、
時々家に戻ってきたときに誰もいないのは、
ほんとに淋しかっただろうなって考えるようになりました。
だから、本当に悪いことをしたと思っています。
犬に淋しい思いさせるのは、1番よくないかもしれない。
- 糸井
- 「彼女は彼女で、悠々自適だ」と思ってたけど、
それはそうとは限らなかった、と。
- 浅生
- そうなんです。
ほんとに淋しかったんじゃないかなと思って。
無理してでも東京に連れてくれば良かった。
ぼくは自分ちの水道が止まるかどうかの暮らしで、
そんなことできないんですけど、
それでも何とかして東京連れてきたほうが、
もしかしたら淋しくなかったかもしれない。
走り回れはしないけど、
少なくとも誰か人といることができた。
もう、それを思うと後悔が‥‥。
- 糸井
- 今まで、浅生さんのお話では、
犬がそんなに長く生きていた犬だってことを
まず語ってなくて、
山と家の間を行ったり来たりしてたんだけど、
ある日呼んだら来なかったっていう、
おもしろい話として語られてたけど、
ちゃんと時間軸をとると、切ない話ですね。
- 浅生
- 切ないんです。でも、物事はだいたい切ないんですよ。
- 糸井
- まあね。
犬って、飼い主の考えてる愛情の形のまんまですよね。
- 浅生
- そうなんです。それが怖いんです。
- 糸井
- 怖いんですよね。
同棲生活をしてる家で飼われてる犬が、
愛の終わりとともに押し付けあわれたり、
だんだんと見てやれなくなったりみたいな、
愛と名付けたものと犬って同じですよね。
だから、飼えるぞっていうときに飼ってもらわないと。
- 浅生
- 迂闊に飼うと、ほんとになんか‥‥。
犬も人もどっちも後悔するというか、
どっちも悲しい思いをするので。
- 糸井
- 犬の話は、聞くんじゃなかったっていうほど
悲しいですね。
- 浅生
- そうなんです。悲しいんです。
- 糸井
- この間までは、クライマックスのおもしろいとこだけを
ぼくら聞いてたんだよ。
今までは呼んだらピューっと走ってきてたのに、
それがある日来なくなっちゃったんですよ、
だからまだ走ってるんですよっていう、
小説じみたお話だったんですけど。
案外リアリズムっていうのは悲しいですよね。
- 浅生
- 悲しいんです。だから、そういうところで
ぼくは嘘をついちゃうわけですよね。
悲しいところを常に削って
おもしろいとこだけを提示してるので。
だから、突きつめていくと、いろいろとあれあれ?
みたいなことがいっぱい出てきちゃうんですよね。
- 糸井
- そうだね。だからもしかしたら、
インタビューとかされちゃダメなのかもしれないね。
- 浅生
- 本来は、そうだと思います。
だから、隠れて生きてたっていうところに
立ち戻るんですけど。
- 糸井
- でも、大概人って、
物事について2段ぐらい深くまで聞くと、
言いたくないことにぶち当たる。
それは、フィクションの中に混ぜ込んだりすれば、
書けるだろうけれど。
- 浅生
- 多分、根掘り葉掘り聞けば、
その人が思ってなかったことも
出てきちゃうじゃないですか。
そこがおもしろくもあり怖くもあります。
人の「本当」を聞いてしまう恐れもある。
他人の本当のこと、ぼくどうでもいいというか、
背負いきれない。
- 糸井
- それって、
水面下の話にしておきましょうっていう約束事が、
お互いが生きていくためにあるような気がしますね。
- 浅生
- でも、みんなが持ってる箱を
無理やり開けようとする人たちが
たくさんいる気がするんです。
その箱は開けちゃいけないよねっていう箱を、
勝手に来て無理やり奪い取って、
勝手に開けて中身出して「ホラ」って見せてしまう。
開けてみたら大した中身ではないこともありますが、
それでも本人にとっては大事な箱なんです。
- 糸井
- この間ぼくも書いたことなんだけど、
自分から言う底の底の話はいいんだけど、
人が「底の底にこんなものがありましたよ」っていう、
たとえば引き出しの中から
穴の空いたパンツが出てきて、
自分から「なんだこれ〜」って言って
笑いをとるのはいいけど、
他人が探して「このパンツなに!」って言ったら、嫌だよね。
- 浅生
- 人の隠れた底根なんて見えなくていいし、
話のつじつまなんて、
合ってなくてもいいんです、別に。
最近ずっと書いてる短編なんかは、
もう、つじつまを合わせないほうがおもしろいんですよね。
- 糸井
- つじつまの話はね、
また違うテーマでゆっくり語れるような話だね。
みんな、
つじつまを合わせることに夢中になっているけどさ。
- 浅生
- みんな決着を付けたがります。
でも、ものごとってつじつまが合うことばかりじゃない。
- 糸井
- つじつまの話は、どっかで特集したいですね。
特集「辻褄」とかね。
- 浅生
- 「俺と辻褄」
- 糸井
- 「阪妻(注:昭和の俳優、阪東妻三郎の愛称)と辻褄」
みたいな。
- 浅生
- 「いい辻褄、悪い辻褄」。
- 糸井
- あの、きりがないんで、つじつまをやめます(笑)。
きっと、浅生さんが人生を変えるような経験についても
さんざん聞かれてますよね。
でも、ここでもう1回してくれる?
- 浅生
- 交通事故で死にかけた話ですよね。
30歳を過ぎた頃、一瞬心臓も止まって、
「今晩もたないだろう」みたいな状態に
なったことがありました。
もちろんほんとに死んでるわけじゃないんですけど。
ぼくはそれで「死ぬ」ということがどういうことかを
ちょっと理解したんですよ。
- 糸井
- 身体でね。
- 浅生
- ほんとかどうかわからないにしても体験しました。
よく、死ぬのが怖くないから、
俺は何でもできるみたいな人がいるけど、
それは嘘だと思う。
別にぼく、「死ぬ」はそんなに怖くないんですけど、
だからといって死ぬの嫌ですから。
「死ぬってこういうことか」と、
怖くはなくなっても、嫌ですね。
- 糸井
- 事故の前より、嫌になったの?
- 浅生
- うーん、なんか、
死ぬってすごく淋しいんですよ。
- 糸井
- それはね、若くして年寄りの心をわかったね。
俺は年を取るごとに、死ぬの怖さが失われてきたの。
で、自分が「お父さん」とか呼ばれながら
死ぬシーンをもう想像してるわけ。
そのときに、何か一言いいたいじゃない。
それ、しょっちゅう更新してるの。
さぁ命尽きるっていう最期に、
「何か言ってる、何か言ってる」って言ったらね、
「人間は死ぬ」(笑)
- 浅生
- 真理を(笑)。
- 糸井
- あ、そうだ、最後にこれを聞こう。
浅生さんは、臨終の言葉、どうする?
受注、今したよ。自分の死ぬときの言葉。
- 浅生
- はい、死ぬときですよね。
前死にかけたときは、
すごく「死にたくない」って思いました。
今もし急に死ぬとして‥‥
「仕方ないかな」(笑)。
- 糸井
- 俺と変わらないじゃん(笑)
