もくじ
第1回受注体質、めんどくさがり屋の「表現欲」 2016-10-18-Tue
第2回目立たないために、つきぬける 2016-10-18-Tue
第3回優しさをゆえの、意地悪なまなざし 2016-10-18-Tue
第4回本当は悲しい、飼い犬の話 2016-10-18-Tue

編集やライティングを生業にしています。日々原稿を書いたり、たまに取材に出かけたり。家族と野良あがりの猫3匹と、甲府盆地を見下ろす山の上で暮らしています。

つじつまは、合わなくってもいいじゃない</br>浅生鴨的、共生の倫理学

つじつまは、合わなくってもいいじゃない
浅生鴨的、共生の倫理学

第4回 本当は悲しい、飼い犬の話

糸井
浅生さん自身の、飼ってた犬の話もしましょうか。
俺、好きなんですよ、あの話。
浅生
犬はね、もう思い出すと悲しいんですよね。
糸井
ときにはそういうの混ぜないとさ。
浅生
そうですか‥‥
かつて、かわいい、かわいい、
柴とチャウチャウのミックスという、
どう見ていいのかわからない犬を飼っていました。
ぼくが中学か高校の始めぐらいに、
子犬としてうちにやってきて、
本当に頭のいい犬で言うことも聞きましたね。
 
ぼくが東京に出てきてからは親が面倒を見ていましたが、
うちの親も震災のあとに東京に出てきたんです。
そのとき犬は連れてこられませんでした。
実家は広い庭があって、
しかも山につながっているような場所。
普段から庭で放し飼いにしていたんです。
うちの母は、東京と神戸を行ったり来たりして、
週に何回か神戸の家に帰って
犬のエサとか水とかを用意して、
犬は犬で山の中で勝手に暮らし、
庭に流れている川で水を飲む生活を送っていました。
糸井
半野生みたいな。
浅生
子犬のときからそういう感じだったんですね。
勝手にどっかに行ってて「ご飯だよー」って呼ぶと、
山の向こうから「ワウワウ!」って言いながら、
ガサガサっと現れる、ワイルドな犬でした。
糸井
ほぉ。ま、そういうところに犬がいた。
浅生
で、結局、ある日犬は‥‥、
年老いて17歳18歳なり‥‥
糸井
あ、そんなになってたの? それは初耳だよ。
浅生
そう。結構な年だったんです。
糸井
お母さんが、行ったり来たりしてる時期って
何年ぐらい続いたんですか?
浅生
何年ぐらいだろう。
長く見積もって6年くらいだった思うんですけどね。
糸井
そんなにそういう暮らししてたの。
浅生
ええ。それで、最終的には、
山から犬が戻ってこなかったんですね。
ぼくも神戸に帰るたびに、
大声で呼ぶと犬が山の中から現れていたのが、
ついに現れなくなったんですよ。
ってことは、普通に考えると年を取ってたし、
 
山の中で亡くなったんだろうなと思うんですけど。
最期を見ていないので、
亡くなったって信じきれない感じがあるんです。
山の中でまだ生きているんじゃないか
という思いがひとつと、もうひとつは、
やっぱりぼくとか母が東京に来ちゃってる間、
犬としてはもちろん山の中は楽しいだろうけど、
時々家に戻ってきたときに誰もいないのは、
ほんとに淋しかっただろうなって考えるようになりました。
 
だから、本当に悪いことをしたと思っています。
犬に淋しい思いさせるのは、1番よくないかもしれない。
糸井
「彼女は彼女で、悠々自適だ」と思ってたけど、
それはそうとは限らなかった、と。
浅生
そうなんです。
ほんとに淋しかったんじゃないかなと思って。
無理してでも東京に連れてくれば良かった。
ぼくは自分ちの水道が止まるかどうかの暮らしで、
そんなことできないんですけど、
それでも何とかして東京連れてきたほうが、
もしかしたら淋しくなかったかもしれない。
走り回れはしないけど、
少なくとも誰か人といることができた。
もう、それを思うと後悔が‥‥。
糸井
今まで、浅生さんのお話では、
犬がそんなに長く生きていた犬だってことを
まず語ってなくて、
山と家の間を行ったり来たりしてたんだけど、
ある日呼んだら来なかったっていう、
おもしろい話として語られてたけど、
ちゃんと時間軸をとると、切ない話ですね。
浅生
切ないんです。でも、物事はだいたい切ないんですよ。
糸井
まあね。
犬って、飼い主の考えてる愛情の形のまんまですよね。
浅生
そうなんです。それが怖いんです。
糸井
怖いんですよね。
同棲生活をしてる家で飼われてる犬が、
愛の終わりとともに押し付けあわれたり、
だんだんと見てやれなくなったりみたいな、
愛と名付けたものと犬って同じですよね。
だから、飼えるぞっていうときに飼ってもらわないと。
浅生
迂闊に飼うと、ほんとになんか‥‥。
犬も人もどっちも後悔するというか、
どっちも悲しい思いをするので。
糸井
犬の話は、聞くんじゃなかったっていうほど
悲しいですね。
浅生
そうなんです。悲しいんです。
糸井
この間までは、クライマックスのおもしろいとこだけを
ぼくら聞いてたんだよ。
今までは呼んだらピューっと走ってきてたのに、
それがある日来なくなっちゃったんですよ、
だからまだ走ってるんですよっていう、
小説じみたお話だったんですけど。
案外リアリズムっていうのは悲しいですよね。
浅生
悲しいんです。だから、そういうところで
ぼくは嘘をついちゃうわけですよね。
悲しいところを常に削って
おもしろいとこだけを提示してるので。
だから、突きつめていくと、いろいろとあれあれ?
みたいなことがいっぱい出てきちゃうんですよね。
糸井
そうだね。だからもしかしたら、
インタビューとかされちゃダメなのかもしれないね。
浅生
本来は、そうだと思います。
だから、隠れて生きてたっていうところに
立ち戻るんですけど。
糸井
でも、大概人って、
物事について2段ぐらい深くまで聞くと、
言いたくないことにぶち当たる。
それは、フィクションの中に混ぜ込んだりすれば、
書けるだろうけれど。
浅生
多分、根掘り葉掘り聞けば、
その人が思ってなかったことも
出てきちゃうじゃないですか。
そこがおもしろくもあり怖くもあります。
人の「本当」を聞いてしまう恐れもある。
他人の本当のこと、ぼくどうでもいいというか、
背負いきれない。
糸井
それって、
水面下の話にしておきましょうっていう約束事が、
お互いが生きていくためにあるような気がしますね。
浅生
でも、みんなが持ってる箱を
無理やり開けようとする人たちが
たくさんいる気がするんです。
その箱は開けちゃいけないよねっていう箱を、
勝手に来て無理やり奪い取って、
勝手に開けて中身出して「ホラ」って見せてしまう。
開けてみたら大した中身ではないこともありますが、
それでも本人にとっては大事な箱なんです。
糸井
この間ぼくも書いたことなんだけど、
自分から言う底の底の話はいいんだけど、
人が「底の底にこんなものがありましたよ」っていう、
たとえば引き出しの中から
穴の空いたパンツが出てきて、
自分から「なんだこれ〜」って言って
笑いをとるのはいいけど、
他人が探して「このパンツなに!」って言ったら、嫌だよね。
浅生
人の隠れた底根なんて見えなくていいし、
話のつじつまなんて、
合ってなくてもいいんです、別に。
最近ずっと書いてる短編なんかは、
もう、つじつまを合わせないほうがおもしろいんですよね。
糸井
つじつまの話はね、
また違うテーマでゆっくり語れるような話だね。
みんな、
つじつまを合わせることに夢中になっているけどさ。
浅生
みんな決着を付けたがります。
でも、ものごとってつじつまが合うことばかりじゃない。
糸井
つじつまの話は、どっかで特集したいですね。
特集「辻褄」とかね。
浅生
「俺と辻褄」
糸井
「阪妻(注:昭和の俳優、阪東妻三郎の愛称)と辻褄」
みたいな。
浅生
「いい辻褄、悪い辻褄」。
糸井
あの、きりがないんで、つじつまをやめます(笑)。
  
きっと、浅生さんが人生を変えるような経験についても
さんざん聞かれてますよね。
でも、ここでもう1回してくれる?
浅生
交通事故で死にかけた話ですよね。 
30歳を過ぎた頃、一瞬心臓も止まって、
「今晩もたないだろう」みたいな状態に
なったことがありました。
もちろんほんとに死んでるわけじゃないんですけど。
ぼくはそれで「死ぬ」ということがどういうことかを
ちょっと理解したんですよ。
糸井
身体でね。
浅生
ほんとかどうかわからないにしても体験しました。
よく、死ぬのが怖くないから、
俺は何でもできるみたいな人がいるけど、
それは嘘だと思う。
別にぼく、「死ぬ」はそんなに怖くないんですけど、
だからといって死ぬの嫌ですから。
「死ぬってこういうことか」と、
怖くはなくなっても、嫌ですね。
糸井
事故の前より、嫌になったの?
浅生
うーん、なんか、
死ぬってすごく淋しいんですよ。
糸井
それはね、若くして年寄りの心をわかったね。
俺は年を取るごとに、死ぬの怖さが失われてきたの。
で、自分が「お父さん」とか呼ばれながら
死ぬシーンをもう想像してるわけ。
そのときに、何か一言いいたいじゃない。
それ、しょっちゅう更新してるの。
さぁ命尽きるっていう最期に、
「何か言ってる、何か言ってる」って言ったらね、
「人間は死ぬ」(笑)
浅生
真理を(笑)。
糸井
あ、そうだ、最後にこれを聞こう。
浅生さんは、臨終の言葉、どうする?
受注、今したよ。自分の死ぬときの言葉。
浅生
はい、死ぬときですよね。
前死にかけたときは、
すごく「死にたくない」って思いました。
今もし急に死ぬとして‥‥
「仕方ないかな」(笑)。
糸井
俺と変わらないじゃん(笑)