もくじ
第1回何万回も話した「めんどくさい」話 2016-10-18-Tue
第2回受注ではなく、自分からやったこと 2016-10-18-Tue
第3回「ぼくはあっち側にいるかもしれない」 2016-10-18-Tue
第4回「表現する欲」への発注 2016-10-18-Tue

台湾高雄出身、来日10年です。「Q」は名字の「邱(きゅう)」が由来。
台灣高雄人。工作於東京。「Q」這個名字來自本名姓氏「邱」的日文讀音「kyu」。

受注で進んでいく、 表現する欲

受注で進んでいく、 表現する欲

第4回 「表現する欲」への発注

糸井
表現しなくて一生を送ることだってできたじゃないですか。
でも、やっぱり表現しない人生は考えられないでしょう。
浅生
そうですね。
糸井
受注なのに。
浅生
そうなんです。それが困ったもんで。
糸井
そこですよね、ポイントはね。
浅生
そこが多分一番の矛盾。
糸井
矛盾ですよね。
「何にも書くことないんですよ」とか
「言いたいことないです」「仕事もしたくないです」。
だけど、何かを表現してないと‥‥。
浅生
生きてられないです。
でも、受注ない限りはやらないっていうね。
ひどいですね。
糸井
「受注があったら、
ぼくは表現する欲が満たされるから、
多いに好きでやりますよ、
めんどくさいけど」。
自分もちょっと似てるんじゃないかなという気がしますね。
浅生
かこつけてるんですかね。何かに。
糸井
そうね、何かを変えたい欲じゃないですよね。
浅生
変えたいわけではないです。
糸井
表したい欲ですよね。
表したい欲って、裏表になってるのが「じっと見たい欲」ですよね。
浅生
「じっと見たい欲」?
糸井
うん。多分表現したいってことは、
「よーく見たい」とか「もっと知りたい」とか
「えっ、今の動きみたいなのいいな」とか、
そういうことでしょう?
浅生
画家の目が欲しいんですよ。
あの人たちって、違うものを見るじゃないですか。
画家の目はきっとあるとおもしろいなって。
糸井
それはでも絵を描いてたほうが、
画家の目が得られるんじゃない?
浅生
そうかな。そうかもしれない。
糸井
画家の目って、ほんとうにすごいですよね。
違うものが見えてるんですからね。
浅生
あと、見えたとおりに見てるっていうか、
見たとおりに見えてるじゃないですか。
ぼくらは見たとおりに見てないので。
糸井
そこに画家は個性によって、実は違う目だったりする。
受け取る側の話をしてるけど、
でもそれはやっぱり表現欲と表裏一体だよね。
 
これでどうでしょうね。
さっきぼく臨終の言葉を言ったので、
浅生さんの自分の死ぬときの言葉を。
受注、今した。
浅生
死ぬときですよね。
まえ死にかけたときは、「死にたくない」って思ったので、
今もし急に死ぬとして
 
‥‥「仕方ないかな」?
 
「仕方ないかな」っていうので終わる気がしますね。
糸井
(笑)
「人間は死ぬ」と
あまり変わらないような気がしますけどね。
糸井
ありがとうございました。
浅生
ありがとうございました。