イジワルなふたり。
浅生鴨 × 糸井重里
第3回 それでも、覚悟が必要だと思った。
- 糸井
- 「自分がやりたいと思ったことないんですか」「ない」というのは、ぼくもずっと言ってきたことなんだけどさ。でも、たまにやりたいことが混じることはあるじゃない?
- 浅生
- うーん…
- 糸井
- 「あれやろうか」みたいにさ。
- 浅生
- 例えばですけど…
NHKにずっといて、東北の震災の直後にCMを2本作ったんです。それは自分から企画しました。
そこで、東北ではなく神戸の話をしようと思ったんです。
- 糸井
- 東北ではなく、神戸を。

- 浅生
- はい。
「きずな」という言葉とかがワーッと出始めた時に、そんな話をしても意味がないと思ったんです。
そこで「神戸は17年経って日常を取り戻しました」というCMを作ろうと思って企画を出しました。
東北に向けてのCMというよりは、単に神戸のいまを伝えるという趣旨のもので。
でも「なんで東北じゃなくて神戸なんだ」って言われて。
はじめは通らなかったんです。
- 糸井
- それはね、判断した人の心はわかんないんだけど、たぶんこういうことだと思うよ。
神戸が復興するのにどのくらい時間がかかったみたいな話って、東北の人自身が聞いてすごくがっかりしたの。「えっ、そんなに時間がかかるんですか」ってね。だから…
- 浅生
- でも、ある種の覚悟が必要だなと思ったんです。
17年経ってやっと笑えるようになったんだ、という覚悟。
ぼく、30年かかると思ったんですよ、東北の時に。
だけど、必ず戻るものがあると。
「神戸の人は大変な思いをしました、けど17年経ったいま笑顔で暮らす毎日があります」と。

- 糸井
- うんうん。
- 浅生
- ただ、やっぱり傷つく人がいっぱい出るかもしれないという怖さはあったので、東北へ行きました。「こんなCMを考えてるんですけど、どう思いますか?」と聞いて回って。
そしたら、たくさんの人が「これだったら見ても平気だ」と言ってくれたので「よし、じゃあ作ろう」と。

- 糸井
- 神戸と覚悟の話については、ぼくも考えさせられることがあってさ。
東北の人たちとミーティングをしてるときに、みんなでここぞとばかり夢を語ってたんだよ。震災のあと、1年2年ぐらい。「そこでヤギを飼ってさ」「ここを緑地にしてさ」とかね。
- 浅生
- はい。
- 糸井
- またある時に、17年経ってようやく最後のテント村がなくなってという神戸の話もしたの。そしたら、事務の女性が涙声になっちゃったんだよね。
夢を語っても、それが20年先の話だったらそんなに待てないよ、というか。若い人だったら、大事な10代をずっとこの中で生きるんですかっていう話なわけだもんね。
- 浅生
- うんうん。
- 糸井
- 夢や、それこそ「きずな」も効果がある時には力になるんだけど、「いくら言ったってダメじゃない」って時はもうダメだし。だから、「きずな」とかそのときそのときの気休めを欲しい人にも、きっと覚悟は必要なんだろうね。神戸は17年経ってやっと笑えるようになったんだ、というさ。

- 浅生
- そう思います。
- 糸井
- 感情の部分をいったん横に置いてロジックや概念上でものを語れる人と、そのときそのときの気休めを欲しい人と、両方いて。だから当時、気休めとロジックっていうのを自分の中でどう使い分けるかみたいな話はだいぶ考えたなぁ。
- 浅生
- そこはむずかしいですよね。
- 糸井
- うん。あの頃はそんなことをいっぱい考えさせられた時期だった。
それで、CMの方はどうなったの?
- 浅生
- 企画を通してくれなかったので、自腹で勝手に作っちゃいました。NHKが流してくれなかったら、ほかの会社を探してお金を出してもらえばなんとかなると思ったので。
- 糸井
- 「もういいや、作っちゃえ」
- 浅生
- そしたら、最後の最後にNHKがお金を出してくれたんです。
そのおかげで、家庭が崩壊せずに済みました。
おそらく、自分からやろうと思って作ったのはこれぐらいですね。
