もくじ
第1回「ニヤニヤして生きていきたい」 2016-10-18-Tue
第2回飛び抜けたほうが楽になる 2016-10-18-Tue
第3回受注体質 2016-10-18-Tue
第4回あの時期の、2人の決断 2016-10-18-Tue
第5回書くことは、めんどくさい 2016-10-18-Tue

書いたり、歌ったり、自転車こいだりが好きです。神戸生まれの26歳です。

あそうかもって、どんなひと? </br> 対談 浅生鴨×糸井重里

あそうかもって、どんなひと? 
対談 浅生鴨×糸井重里

第4回 あの時期の、2人の決断

浅生
自分から手をあげてやったことというと、
NHKにいた頃、
東北の震災のあとにCMを2本作ったんです。
 
CMでは神戸の話をしようと思って。
「絆」みたいな言葉がいっぱいワーッと出始めた頃に、
今すぐにそのことを話したって意味がないから、
「神戸は17年経って日常を取り戻しました」
っていうCMを東北に向けてではなく、
単に「神戸の今」って形でCMにしようと思って。
それで企画を出したんですけど、
「何で東北じゃなくて神戸なんだ」って言われて。
糸井
神戸がどのくらいかかったかみたいな話って、
東北の人自身がものすごく聞いてがっかりしたの。
だからだよ、きっと。
こうなるまでにだいたい2年ぐらいかかったんだよね、
って言ったら「ええっ、2年ですか」って驚いて。
2年を長く感じていて。
浅生
でも、覚悟はやっぱり必要で。
17年経ってやっと笑えるようになったというような、
ある種の覚悟を持たなきゃいけない。
ぼく、30年かかると思ったんですよ。東北のときに。
だけど、必ず戻るものがあるっていうのも含めて、
「神戸」っていうCMを作ろうと思って。
神戸で今暮らしてる人が17年前に大変な思いをしたけど、
17年経った今、笑顔で暮らす毎日があります、ってCMを。
 
でも怖いんで、CMを企画してから東北に行ったんですよ。
「こんなCMを考えてるんですけど、どう思いますか?」
っていうのをまず聞いて回って。そしたら
「これだったら、ぼくたちは見ても平気だ」
ってたくさんの人が言ってくれたんで
「よし、じゃあ作ろう」と思って。
ただNHKでは企画が通らなかったんです。
「もういいや、作っちゃえ」って思って、
勝手に作っちゃったんですよ、自腹で。
NHKが流してくれなかったら、
ほかの会社でもどこでも持ってって、
お金出してもらっちゃおうと思って。
最終的にはNHKが全部お金を出してくれたんですけど。

糸井
神戸の話で気付いたことがあって。
東北の震災から1年2年の間、
みんなでミーティングをしてるときに、
ここぞとばかり夢を語る時期があったんだよ。
「そこでヤギを飼ってさ」「ここを緑地にして」とかね。
そういう話を聞きながら、一方で神戸の話っていうのが、
震災から17年経ってようやく最後のテント村がなくなって。
そんな話をしてたら、
後ろで事務をしてた女の人が涙声になっちゃったんだよね。
 
概念とかロジックでものを語れる人と、
今の気休めが欲しい人っていうのが両方いて、
どっちにも向き合うのが大事なんですよね。
だから、「絆」「絆」でやってくっていうのも、
「絆」が効果をあげてるときには何か力になるんだけど、
「もういくら言ったってダメじゃない」
ってときにはもうダメだし。
 
夢を語って20年先にはこうなるって話をしても
「そんなに待てないんだよ」って。
つまり80の人にとってはもう死んじゃうわけだし。
若い人だったら1番大事なティーンエージャーの間、
ずっとこの中で生きるんですかっていうことになるし。
その当時に、気休めと、それからロジックっていうのが
自分の中でどう使い分けるかみたいなのは、
だいぶ考えて‥‥
永田
あのときは2人とも
ものすごいことをやってるなと思いました。
それこそ毎日発信、あの当時のど真ん中で。
糸井さんも毎日原稿書いてたし。
もうみんな忘れちゃってるけど、
何かを書くだけでも相当ピリピリした時期で。
糸井
してたね。何せ一番困るのが
「夢も希望もないんだ」っていうことを大騒ぎする人。
これは迷惑どころじゃなくって。
浅生
ほんとうに困りますよ。
糸井
もうほんとに、そこにいない人がね、騒ぐんだけどね。
いる人も悲しいから乗っちゃって、
その歌を歌い出すみたいな。
永田
今だからこうやって
「あれは困りましたね」って言えますけど、
当時は今言ってることも全く発信できない時期でしたね。
糸井
ダメです。
今ここで言ってるタイプのこともダメですよね、当時は。

永田
浅生さんの大きな決断としては、
当時インターネット上でNHKの映像を誰かが
ユーチューブか何かで配信しているのを、
自分の独断で許可しましたよね。
ツイッター史上、日本のSNS史上に残る
ぐらいの決断だと思うんです。
あれは誰に言われたわけでもなく、自分から?
浅生
いや、でもあれも
「こういうのが流れてるのに
 なんでリツイートしないんだよ」
みたいなのが来て。初めてそれで知って、
「ああ、たしかにこういうのがある」っていう‥‥
だから言ってみれば人から言われてやったようなもんで。
自分で探して見つけたわけではないんです。
まあでも、やるって決めたのは自分ですよね。
「これはやるべきだな」と思って。
糸井
あのあたりっていうのが、
すごく「決断だな」っていうのは言えるし
同時に「これは決断しちゃうでしょう」
っていうくらいの雰囲気もあったよね。
その大きな波っていうのが読めた瞬間ですよね。
浅生
いいことですから。
永田
NHKの人がそういうことをやったっていうのが、
やっぱり衝撃でしたね。
ぼくらからすると、こういう人だと思ってなかった。
誰が書いたかまったくわからなかったし。
浅生
でもぼくは、
「これからユルいツイートします」って書いたときが
1番緊張しましたね。
糸井
ああ。
浅生
配信の許可は、まあ最悪クビになるだけじゃないですか。
それに、一回言ってしまえば終わりだし。
「今からユルいツイートします」っていうのを、
日常的なことをやりますっていうのを書くときは、
ちょっと相当悩んだんです、やっぱり。
多分半日ぐらい悩んだんですよね。
何度も文章書き直して、ほんとにこれでいいかなっていう。
要するに1人で舵切ろうとしたんで、
「ほんとにこれでちゃんと舵が切れるか」って。
糸井
どっちがより悩んだかっていうのは、よくわかりますね。
それは、最悪どうなるっていうのが見えないことだからね。
浅生
どうハレーションしていくかわからないので、
それによって逆に傷つく人がいっぱい出るかもしれない
っていう恐怖はありました。
永田
糸井さんもお金の寄付の話を翌々日に出しましたよね。
糸井
あれはやっぱり、本当に嫌な間違え方をすると
「ほぼ日」の存続に関わると思ったんで。
なんというか、嫌だったねー。
 
でも、ぼくも浅生さんと同じで
あの辺りの仕事って受動なんです。
「あれ?このまま行くと、どっかで募金箱に千円入れた人が
 終わりにしちゃうような気がするな」
っていう、その実感。それが何だか辛かったんですよね。
だってニュースで見えてた映像と、
誰かが募金箱に千円や百円を入れて、
終わりにしちゃうような感覚とが、
どうしても釣り合いが取れないなと思ったんで。
痛みを共有するっていうことが‥‥
それをしないとな、みたいな。
 
でもその後で
「お前はいくら募金したんだ」
的なことになるのも嫌だったんだよね。
イタチごっこですから。
全財産投げ出しても「そんなもんか」
って言われるわけですから。
浅生
ぼく、女川にわりと直後から行ってFMのラジオ局
作ったりしてたんですけど、
それもあんまり言わないようにしてて。
言うと、なんか余計なことが起きそうな気がして、
こっそりずっとやってたんです。
でもだんだん、NHKのツイッターやってたやつが
どうも行っているらしいと広まるようになって。
そうなると、少しずつ言うようにもなって。
 
自分が現場に行って見たからって
全てを見てるわけでもないし、
現場が全てでもないんです。
でもまあ少なくとも、
自分が知る範囲では知れるっていう。
そのファクトに基づいてものが言えるのは、
ちょっと安心というか。
 
だから行ってるっていうのもあるんですよね。
自分で見て自分でやって感じたことを
ちゃんと言えるっていうのが。
実感ないまま何か言うのはちょっと嫌だなと思ったので。
糸井
それでいうと、震災の後の時期で早野さん(※)が
やってたことっていうのがすごいなと思っていて。
ほんとに何でもないときにしょっちゅう呼ばれるんです。
呼ばれるだけの頼られ方をしていて、
用件の大小を区別せずに行っていて。
「嬉しくってってヒョイヒョイ行ってるのか」と聞かれると
「そりゃあ、嫌なこともありますよ」って。
そのほんと加減。
自分たちがやってることも
そういうふうにしたいもんだなと思って。

(※)原子物理学が専門で東京大学の教授を務められている
早野龍五さんのこと。震災後、早い段階からツイッターなどで
放射線量や被ばくのことについて冷静な情報発信を続けられて
きました。ほぼ日でも
早野龍五さんが照らしてくれた地図」や
放射線のグラフづくりから高校生の引率まで
で取り上げられているほか、
糸井重里と共著の「知ろうとすること。」(新潮文庫)
という本も出版されています。

糸井
でもね、早野さんみたいに手に職があればね、
ちょっと役に立つんだけど、
俺らが「しょっちゅう行ってるんですよ」って言っても。
だからね、「もう来なくなっちゃうんだろうね」
って心配してることに対して、
「不動産屋と契約したから2年はいます」とか。
そういう誰でもできることをやるってところが大事で。
浅生
ぼくは寄付はしたくなかったので、
代わりに福島に山を買ったんです。
糸井
ちょっといいですよね、それ。
浅生
もちろん、すごい安いんですよ。
山の山林で、ほんとにぼくが買える程度の金額なので、
全然大したことはないんですけど。
山買うとどうなるかっていうと、
毎年固定資産税を払うことになるんですよ。
すると、うっかり忘れてても勝手に引き落とされるので、
ぼくが山を持ってる限りは永久に福島のその町と
つながりができることになるんです。
永田
似てますよね、糸井さんと。
糸井
多分、「ああいうのが嫌だな」
っていう感覚が似てるんじゃないかな。
要するに嫌なものがあるんですよ、いっぱい。
「自分はそういう嫌なことしたくないな」って思うことが。
だから、面倒でもそういう方法を取って。
浅生
だから僕は、ストラクチャーを構築するんです。
ストラクチャーを構築してシステムにしちゃうと、
何もしなくても自動でそうなっていくので、
そうしちゃいたいんですよね。
糸井
それってぼくが言ってることと同じじゃない(笑)
浅生
言い換えただけ(笑)
糸井
そう、たとえば予算に組み込んじゃうとかさ。
「人が当てにならないものだ」とか
「人って嫌なことするものだ」とか
「いいことって言いながら嫌なことするもんだ」とか。
明らかに浅生さんのエッセイとか小説とか読んでても
そういう意地悪な視線だらけですよ、やっぱり。
それは、裏を返せば「優しさ」って言ってくれる人もいる、
みたいな。
浅生
不思議なんですよね。
人間ってそういう、しょせん裏表がみんなあるのに、
ないと思ってる人がいることがわりと不思議で。
糸井
そう。「私はそっちに行かない」とかね。
浅生
そんなの、わかんないですもんね。

(つづきます)

第5回 書くことは、めんどくさい