- 浅生
- 自分から手をあげてやったことというと、
NHKにいた頃、
東北の震災のあとにCMを2本作ったんです。
CMでは神戸の話をしようと思って。
「絆」みたいな言葉がいっぱいワーッと出始めた頃に、
今すぐにそのことを話したって意味がないから、
「神戸は17年経って日常を取り戻しました」
っていうCMを東北に向けてではなく、
単に「神戸の今」って形でCMにしようと思って。
それで企画を出したんですけど、
「何で東北じゃなくて神戸なんだ」って言われて。
- 糸井
- 神戸がどのくらいかかったかみたいな話って、
東北の人自身がものすごく聞いてがっかりしたの。
だからだよ、きっと。
こうなるまでにだいたい2年ぐらいかかったんだよね、
って言ったら「ええっ、2年ですか」って驚いて。
2年を長く感じていて。
- 浅生
- でも、覚悟はやっぱり必要で。
17年経ってやっと笑えるようになったというような、
ある種の覚悟を持たなきゃいけない。
ぼく、30年かかると思ったんですよ。東北のときに。
だけど、必ず戻るものがあるっていうのも含めて、
「神戸」っていうCMを作ろうと思って。
神戸で今暮らしてる人が17年前に大変な思いをしたけど、
17年経った今、笑顔で暮らす毎日があります、ってCMを。
でも怖いんで、CMを企画してから東北に行ったんですよ。
「こんなCMを考えてるんですけど、どう思いますか?」
っていうのをまず聞いて回って。そしたら
「これだったら、ぼくたちは見ても平気だ」
ってたくさんの人が言ってくれたんで
「よし、じゃあ作ろう」と思って。
ただNHKでは企画が通らなかったんです。
「もういいや、作っちゃえ」って思って、
勝手に作っちゃったんですよ、自腹で。
NHKが流してくれなかったら、
ほかの会社でもどこでも持ってって、
お金出してもらっちゃおうと思って。
最終的にはNHKが全部お金を出してくれたんですけど。
- 糸井
- 神戸の話で気付いたことがあって。
東北の震災から1年2年の間、
みんなでミーティングをしてるときに、
ここぞとばかり夢を語る時期があったんだよ。
「そこでヤギを飼ってさ」「ここを緑地にして」とかね。
そういう話を聞きながら、一方で神戸の話っていうのが、
震災から17年経ってようやく最後のテント村がなくなって。
そんな話をしてたら、
後ろで事務をしてた女の人が涙声になっちゃったんだよね。
概念とかロジックでものを語れる人と、
今の気休めが欲しい人っていうのが両方いて、
どっちにも向き合うのが大事なんですよね。
だから、「絆」「絆」でやってくっていうのも、
「絆」が効果をあげてるときには何か力になるんだけど、
「もういくら言ったってダメじゃない」
ってときにはもうダメだし。
夢を語って20年先にはこうなるって話をしても
「そんなに待てないんだよ」って。
つまり80の人にとってはもう死んじゃうわけだし。
若い人だったら1番大事なティーンエージャーの間、
ずっとこの中で生きるんですかっていうことになるし。
その当時に、気休めと、それからロジックっていうのが
自分の中でどう使い分けるかみたいなのは、
だいぶ考えて‥‥
- 永田
- あのときは2人とも
ものすごいことをやってるなと思いました。
それこそ毎日発信、あの当時のど真ん中で。
糸井さんも毎日原稿書いてたし。
もうみんな忘れちゃってるけど、
何かを書くだけでも相当ピリピリした時期で。
- 糸井
- してたね。何せ一番困るのが
「夢も希望もないんだ」っていうことを大騒ぎする人。
これは迷惑どころじゃなくって。
- 浅生
- ほんとうに困りますよ。
- 糸井
- もうほんとに、そこにいない人がね、騒ぐんだけどね。
いる人も悲しいから乗っちゃって、
その歌を歌い出すみたいな。
- 永田
- 今だからこうやって
「あれは困りましたね」って言えますけど、
当時は今言ってることも全く発信できない時期でしたね。
- 糸井
- ダメです。
今ここで言ってるタイプのこともダメですよね、当時は。
- 永田
- 浅生さんの大きな決断としては、
当時インターネット上でNHKの映像を誰かが
ユーチューブか何かで配信しているのを、
自分の独断で許可しましたよね。
ツイッター史上、日本のSNS史上に残る
ぐらいの決断だと思うんです。
あれは誰に言われたわけでもなく、自分から?
- 浅生
- いや、でもあれも
「こういうのが流れてるのに
なんでリツイートしないんだよ」
みたいなのが来て。初めてそれで知って、
「ああ、たしかにこういうのがある」っていう‥‥
だから言ってみれば人から言われてやったようなもんで。
自分で探して見つけたわけではないんです。
まあでも、やるって決めたのは自分ですよね。
「これはやるべきだな」と思って。
- 糸井
- あのあたりっていうのが、
すごく「決断だな」っていうのは言えるし
同時に「これは決断しちゃうでしょう」
っていうくらいの雰囲気もあったよね。
その大きな波っていうのが読めた瞬間ですよね。
- 浅生
- いいことですから。
- 永田
- NHKの人がそういうことをやったっていうのが、
やっぱり衝撃でしたね。
ぼくらからすると、こういう人だと思ってなかった。
誰が書いたかまったくわからなかったし。
- 浅生
- でもぼくは、
「これからユルいツイートします」って書いたときが
1番緊張しましたね。
- 糸井
- ああ。
- 浅生
- 配信の許可は、まあ最悪クビになるだけじゃないですか。
それに、一回言ってしまえば終わりだし。
「今からユルいツイートします」っていうのを、
日常的なことをやりますっていうのを書くときは、
ちょっと相当悩んだんです、やっぱり。
多分半日ぐらい悩んだんですよね。
何度も文章書き直して、ほんとにこれでいいかなっていう。
要するに1人で舵切ろうとしたんで、
「ほんとにこれでちゃんと舵が切れるか」って。
- 糸井
- どっちがより悩んだかっていうのは、よくわかりますね。
それは、最悪どうなるっていうのが見えないことだからね。
- 浅生
- どうハレーションしていくかわからないので、
それによって逆に傷つく人がいっぱい出るかもしれない
っていう恐怖はありました。
- 永田
- 糸井さんもお金の寄付の話を翌々日に出しましたよね。
- 糸井
- あれはやっぱり、本当に嫌な間違え方をすると
「ほぼ日」の存続に関わると思ったんで。
なんというか、嫌だったねー。
でも、ぼくも浅生さんと同じで
あの辺りの仕事って受動なんです。
「あれ?このまま行くと、どっかで募金箱に千円入れた人が
終わりにしちゃうような気がするな」
っていう、その実感。それが何だか辛かったんですよね。
だってニュースで見えてた映像と、
誰かが募金箱に千円や百円を入れて、
終わりにしちゃうような感覚とが、
どうしても釣り合いが取れないなと思ったんで。
痛みを共有するっていうことが‥‥
それをしないとな、みたいな。
でもその後で
「お前はいくら募金したんだ」
的なことになるのも嫌だったんだよね。
イタチごっこですから。
全財産投げ出しても「そんなもんか」
って言われるわけですから。
- 浅生
- ぼく、女川にわりと直後から行ってFMのラジオ局
作ったりしてたんですけど、
それもあんまり言わないようにしてて。
言うと、なんか余計なことが起きそうな気がして、
こっそりずっとやってたんです。
でもだんだん、NHKのツイッターやってたやつが
どうも行っているらしいと広まるようになって。
そうなると、少しずつ言うようにもなって。
自分が現場に行って見たからって
全てを見てるわけでもないし、
現場が全てでもないんです。
でもまあ少なくとも、
自分が知る範囲では知れるっていう。
そのファクトに基づいてものが言えるのは、
ちょっと安心というか。
だから行ってるっていうのもあるんですよね。
自分で見て自分でやって感じたことを
ちゃんと言えるっていうのが。
実感ないまま何か言うのはちょっと嫌だなと思ったので。
- 糸井
- それでいうと、震災の後の時期で早野さん(※)が
やってたことっていうのがすごいなと思っていて。
ほんとに何でもないときにしょっちゅう呼ばれるんです。
呼ばれるだけの頼られ方をしていて、
用件の大小を区別せずに行っていて。
「嬉しくってってヒョイヒョイ行ってるのか」と聞かれると
「そりゃあ、嫌なこともありますよ」って。
そのほんと加減。
自分たちがやってることも
そういうふうにしたいもんだなと思って。
(※)原子物理学が専門で東京大学の教授を務められている
早野龍五さんのこと。震災後、早い段階からツイッターなどで
放射線量や被ばくのことについて冷静な情報発信を続けられて
きました。ほぼ日でも
「早野龍五さんが照らしてくれた地図」や
「放射線のグラフづくりから高校生の引率まで」
で取り上げられているほか、
糸井重里と共著の「知ろうとすること。」(新潮文庫)
という本も出版されています。
- 糸井
- でもね、早野さんみたいに手に職があればね、
ちょっと役に立つんだけど、
俺らが「しょっちゅう行ってるんですよ」って言っても。
だからね、「もう来なくなっちゃうんだろうね」
って心配してることに対して、
「不動産屋と契約したから2年はいます」とか。
そういう誰でもできることをやるってところが大事で。
- 浅生
- ぼくは寄付はしたくなかったので、
代わりに福島に山を買ったんです。
- 糸井
- ちょっといいですよね、それ。
- 浅生
- もちろん、すごい安いんですよ。
山の山林で、ほんとにぼくが買える程度の金額なので、
全然大したことはないんですけど。
山買うとどうなるかっていうと、
毎年固定資産税を払うことになるんですよ。
すると、うっかり忘れてても勝手に引き落とされるので、
ぼくが山を持ってる限りは永久に福島のその町と
つながりができることになるんです。
- 永田
- 似てますよね、糸井さんと。
- 糸井
- 多分、「ああいうのが嫌だな」
っていう感覚が似てるんじゃないかな。
要するに嫌なものがあるんですよ、いっぱい。
「自分はそういう嫌なことしたくないな」って思うことが。
だから、面倒でもそういう方法を取って。
- 浅生
- だから僕は、ストラクチャーを構築するんです。
ストラクチャーを構築してシステムにしちゃうと、
何もしなくても自動でそうなっていくので、
そうしちゃいたいんですよね。
- 糸井
- それってぼくが言ってることと同じじゃない(笑)
- 浅生
- 言い換えただけ(笑)
- 糸井
- そう、たとえば予算に組み込んじゃうとかさ。
「人が当てにならないものだ」とか
「人って嫌なことするものだ」とか
「いいことって言いながら嫌なことするもんだ」とか。
明らかに浅生さんのエッセイとか小説とか読んでても
そういう意地悪な視線だらけですよ、やっぱり。
それは、裏を返せば「優しさ」って言ってくれる人もいる、
みたいな。
- 浅生
- 不思議なんですよね。
人間ってそういう、しょせん裏表がみんなあるのに、
ないと思ってる人がいることがわりと不思議で。
- 糸井
- そう。「私はそっちに行かない」とかね。
- 浅生
- そんなの、わかんないですもんね。
(つづきます)