もくじ
第1回常に隠し事があるんです。 2016-10-18-Tue
第2回めんどくさいの種類が違う。 2016-10-18-Tue
第3回死ぬのは嫌。怖いのと嫌なのは別。 2016-10-18-Tue
第4回自分が悪い人間っていうおそれがあって。 2016-10-18-Tue
第5回表現してないと生きていられない。 2016-10-18-Tue

長野県出身東京都在住。1981年生まれ。趣味は食べ放題です。クレープとカニが好き

浅生鴨さんの、</br>いろいろな「顔」について。

第4回 自分が悪い人間っていうおそれがあって。

糸井
お母さんと、震災のときは、
お互いに連絡とらないって決めたんだよね。
浅生
そうです。
糸井
連絡とろうとして、ややこしくなるから。
浅生
生きてればそのうち連絡とれるし、
死んでりゃいくらやっても連絡とれないから‥‥
ま、慌てないこと。
それがわかりやすい。
糸井
わかりやすいですよね。
浅生
多分、母もすごい合理的なんだと思うんですよね。
糸井
似てますね。
浅生
母も他人に興味がないんです。
糸井
他人について、っていうの考えたことないの?
浅生
うん、多分。
自分がどう思ってるかだけで、
もういっぱいいっぱいというか。
もちろん、ぼく優しい人間なので(笑)、
相手の気持ちとか、
「この人はこういうふうに感じてるだろうな」とか、
わりとわかるほうではあるんですけど。
だからといって、そこを何とかしてあげたい、
とまでは思わないんですよね。
糸井
でも、女川の手伝い(災害FM)とか、
そういうのはするじゃないですか。
浅生
でもそれは、ぼくが楽しいからやっているんであって、
嫌なら行かないですから。

糸井
ご自分も神戸のときは‥‥?
浅生
揺れたときはいなかったんですよ。
糸井
あ、そうですか。
浅生
揺れた瞬間はいなくて、燃えてる街をテレビで観てて、
当時座間のほうの大きな工場みたいなところで働いてて。
そこの社員食堂のテレビを見てたらワーッと燃えてて、
死者が2千人、3千人になるたびに、
周りで盛り上がるんですよ‥‥。
「おぉーっ」とか、
言ってみればもう「やったー」みたいな感じで。
「2千超えたー」「3千いったー」とか、
ゲーム観てるみたいな感じで盛り上がってるのが、
ちょっと耐えられなくて。
それですぐに神戸に戻って、そこから水運んだり、
避難所の手伝いしたりとかを、しばらくずっとやって。
糸井
お母さんも、その現場にはいなかったの?
浅生
うち、山のほうなので、家自体は大丈夫だったんです。
祖父母の家が潰れちゃったりはしたんですけど。
とにかく帰ったときは、まだ街が燃えてる状態で、
まだ火が消えてないときに帰って。
友達もずいぶん下敷きになって燃えたり。
神戸は下敷きというより、火事がひどかったんで‥‥。
糸井
あれがもし実家のある場所じゃなかったら、
神戸じゃなかったら、また行動は違ってたかしらね。
浅生
全然違うと思います。
多分、ぼく手伝いとか行ってないと思います。
もしかしたら、「2千人超えたー」って、
言う側にいたかもしれない。
そこだけは、「やったー」って言う側にいないとは、
言い切れないんで、むしろ言っただろうなという。
糸井
それは、すごく重要なポイントですね。
自分が批難してる側にはいないっていう、
自信のある人ではないっていうのは、大事ですよね。

浅生
ぼくいつも、自分が悪い人間だっていうおそれがあって。
人は誰でも、いい部分と悪い部分があるんですけど、
自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対して、
すごい恐怖心があるんですよ。
だけど、それは無くせないので、
「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、
わりといつも意識はしてますね。
糸井
そのとき、その場によって、
どっちの自分が出るかっていうのは、
そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
浅生
わからないです。
糸井
「どっちでありたいか」っていうのを、
普段から思ってるっていうことが、
ギリギリですよね。
浅生
だから、よくマッチョな人が、
「俺がお前たちを守ってみせるぜ」って言うけど、
いざその場でその人が最初に逃げることだって、
十分考えられるし。
多分それが人間なので、そう考えるといつも不安‥‥、
「もしかしたらぼくはみんなを捨てて逃げるかも」って、
不安も持って生きてるほうが、
いざというときに踏みとどまれるような気はするんですよ。
糸井
選べる余裕みたいなものを作れるかどうか、
どっちでありたいか。
「このときも大丈夫だったから、こっちを選べたな」って、
足し算ができるような気がするんだけど、
一色には染まらないですよね。
浅生
染まらないです。
 
NHKで、東北の震災のあとにCMを2本作ったんですけど、
それは自分から企画して‥‥。
だけど通らなかったんです。
要は神戸の話をしようと思ったんです。
「絆」とかいっぱいワーッと出始めた頃に、
今そんな話したって意味がないから、
「神戸は17年経って日常を取り戻しました」ってCMを、
東北に向けてではなく、
「神戸の今」っていうCMを作ろうと企画したんですけど、
「何で東北じゃなくて神戸なんだ」って言われて。
糸井
それはね、決めた人の心はわかんないんだけど、
ビックリしたことがあって、
神戸がどのくらいかかったかみたいな話って、
東北の人たち自身がものすごく聞いてがっかりしたの。
だからだよ。
こうなるまでに2年ぐらいかかったんだよねって言ったら、
「ええっ、2年ですか‥‥」って、2年を長く感じてたの。
だから‥‥。
浅生
でも、覚悟はやっぱり必要で、
17年経ってやっと笑えるようになったとか、
ある種、覚悟を持たなきゃいけない。
ぼく、30年かかると思ったんですよ。東北のときに。
だけど、必ず戻るものがあるっていうのも含めて、
神戸で今暮らしてる人が17年前に大変な思いをしたけど、
17年経った今、笑顔で暮らす毎日があります、ってだけの、
「神戸」っていうCMを作ろうと思って。
 
ただ、怖いんで、企画だけして東北に行ったんですよ。
「こんなCMを考えてるんですがどう思いますか?」って、
いろんなところで聞いて回って。
たくさんの人が、
「これなら、ぼくたちは見ても平気だ」って言ってくれて、
「よし、じゃあ作ろう」と思って。
でもNHKでは企画が通らなかったので、
「もういいや、作っちゃえ」って、
勝手に作っちゃったんですよ、自腹で。
NHKが流してくれなかったら、
ほかの会社でもどこでも持ってって、
お金出してもらっちゃおうと思って。
そしたら、最後の最後にNHKが全部お金出してくれたんで、
うちは家庭が崩壊せずにすんだんですけど。(笑)

糸井
震災のあと、1年2年の間、
みんなでミーティングをしてるときに、
ここぞとばかり夢を語る時期があったんだよ、
「そこでヤギを飼ってさ」「ここを緑地にして」とかね。
そういう話を聞きながら一方で、
震災から17年経ってようやく最後のテント村がなくなった、
みたいなタイプの話をしてたら、
後ろで仕事をしていた女の人が、
涙声になっちゃったんだよね。
概念とかロジックでものを語れる人と、
今の気休めを欲しい人っていうのと両方いて、
どっちにも実は必要なんですよね。
だから、「絆」「絆」でやっていくっていうのも、
「絆」が効果をあげてるときには何か力になるんだけど、
「もういくら言ったってダメじゃない!」ってときには、
もうダメだし。
夢を語るって言って、20年先にはこうなるって話をしても、
「そんなに待てないんだよ」。
80の人にとってはもう死んじゃうわけだし、
若い人だったら1番大事な10歳からの10年、
このティーンエージャーの間、
ずっとこの中に生きるんですかっていうことになるし。
その当時、気休めとロジックっていうのを、
自分の中でどう使い分けるかっていうのは、
だいぶ考えて‥‥。
 
それで、ナイスな気休めって、「歌」もそうだよね。
だからナイスな気休めの歌っていうものに対して、
ぼくはずいぶん心を開いたんですよね。
ま、今のお話と直接は関係ないんだけど、
あの頃はそんなことをいっぱい考えさせられた時期だった。

糸井
あのときは、毎日発信、毎日原稿書いてたけど、
もうみんな忘れちゃってるけど、
なんか書くだけでも相当ピリピリした時期だった。
 
浅生さんがした、大きな決断としては、
当時NHKの映像を、YouTubeとかUstreamでしたっけ、
あれであげるのを、自分の独断で許可しますっていう。
日本のSNS史上に残るぐらいの決断だと思うんですけど、
あれは自分から?
浅生
いや、あれも、
「こんなのがあるんだから、リツイートしろよ」
みたいなのが来て、それで初めて知って、
「ああ、たしかにこういうのがある」っていう。
言ってみれば人から言われてやったようなもんで。
自分で探して見つけたわけではないから。
糸井
まぁ、それはそうだろうけどね。
浅生
まぁ、でも、やるって決めたのは自分ですよね。
「これはやるべきだな」と思って。
糸井
あれはすごく「決断だな」っていうのは言えるし、
同時に「これは決断しちゃうでしょ」っていうくらいの、
雰囲気もあったよね。
その大きな波っていうのが読めた瞬間ですよね。
逆らってはりつけになるようなことしたわけじゃなくて。
浅生
いいことですから。
糸井
何とかすればできるし、「いいことですから」っていう。
 
ぼくも、お金の寄付の話を翌々日に出したときは、
迷ったし恐怖だった。
あれはやっぱり、本当に嫌な間違え方をすると、
「ほぼ日」の存続に関わると思ったんで、
嫌だったねー。嫌だったっていうか。(笑)
ぼくもあのあたりの仕事って受動なんです、やっぱり。
「このまま行くと、どこかで募金箱に千円入れた人が、
終わりにしちゃうような気がするな」っていう、
その実感。
それが何だか辛かったんですよね。
だって、ニュースで見えてた映像と、
誰かが募金箱に千円、あるいは百円入れて、
終わりにしちゃうような感覚とが、
どうしても釣り合いが取れないなと思ったんで。
でも、そのあとが、「お前はいくらしたんだ」的なね。
あれも嫌だったよね。イタチごっこですからね。
全財産投げ出しても、
「そんなもんか」って言われるわけだから。
浅生
ぼく、直後から女川に行って、
災害FM作ったりしてたんですけど、
それあんまり言わないようにしてて。
言うと、また何か余計なことが起きそうな気がしたんで、
ずっとこっそりやってたんですけど、徐々に広まって、
NHKのツイッターやってたやつが、
ツイッターだけじゃなくどうも行っているっぽいっていう。
 
ぼくは一次情報ってあんまり信用してなくて、
よくメディアの人が一次情報が大事だって言うんですけど、
自分がそこ行って見たからって全部見てるわけでもないし、
全てでもないから、一次情報を信用できないんだけど、
でもまぁ少なくとも自分が知る範囲では知れるっていう。
そのファクトに基づいて何か言えるのは少し安心というか、
だから行ってたっていうのもあるんですよね。
自分で見てやって感じたことを言えるっていうのが。
実感ないまま何か言うのは、ちょっと嫌だなと思ったので。
糸井
1回パッと見たから何かっていうことは絶対ないと思うし、
俺、震災の後の時期で早野(龍五)さんがやってたことっていうのがすごいなと思うのは、
何でもないときにしょっちゅう呼ばれて行ってたじゃない。
あの回数が、一次情報ってものだと思うんだよね。
呼ばれるだけの頼られ方をしている、っていうことと、
それからちっちゃいのと大きいのとが、
区別差別されることなく、
それはそれで行かなきゃいけないし。
「うれしくってヒョイヒョイ行ってるのか」って言ったら、
「そりゃあ、嫌なこともありますよ」っていう。
そのほんと加減、それは自分たちがやってることも、
そういうふうにしたいもんだなと思って。
早野さんみたいに、
手に職があったり頭が良かったりすると、
ちょっと役に立つんだけど、
俺らが「しょっちゅう行ってるんですよ」って言っても。
浅生
「そうですか」。
糸井
そうそう。
「もう来なくなっちゃうんだろうね」って、
心配してることに対して、
「不動産屋と契約したから2年はいます」とか、
そういう誰でもできることをやるってところが。
浅生
ぼくは寄付したくなかったので、
福島に山を買ったんです。
糸井
ちょっといいですね、それ。

浅生
もちろん、すごい安いんですよ。
山の山林で、ぼくが買える程度の金額なので、
全然大したことはないんですけど。
山買うとどうなるかっていうと、
毎年固定資産税を払うことになるんですよ。
そうすると、ぼくがうっかり忘れてても、
勝手に引き落とされるので、
ぼくがそこ持ってる限りは、
永久に福島のその町とつながりができるので。
糸井
今も持ってるんですか?
浅生
今もです。
だから、9月にまた1つ、
「あっ、また落ちてた」みたいな。
糸井
似てますよね、ぼくと。
何が言いたいんだかよくわかんないんだけど、
「ああいうのが嫌だな」っていう、
感覚が似てるんじゃないかな。
意地悪なんだと思う、2人とも。
浅生
ぼく、意地悪じゃないです。(笑)
糸井
いや!要するに嫌なものがあるんですよ、いっぱい。
その嫌なものって「何で嫌なんだろう」って思うと、
「自分はそういう嫌なことしたくないな」って思う。
だから面倒でもそういうような方法をやる。
浅生
ぼくはシステムにしちゃうと、
何もしなくてもそうなっていくので、
そうしちゃいたいんですよね。
糸井
ぼくが言ってることと同じじゃない。(笑)
浅生
アハハハ、言い換えただけ。
会社のあれに組み込んじゃうとか。
糸井
そうそう。予算に組み込んじゃうとかさ。
 
「人が当てにならないものだ」とかね、
「人って嫌なことするものだ」とか、
「いいことって言いながら嫌なことするもんだ」とか、
そういう意地悪な視線っていうのは、
明らかに鴨さんのエッセイとか小説とか読んでても、
そういうもんだらけですよ、やっぱり。
裏を返せば「優しさ」って言ってくれる人もいる。
浅生
不思議なんですよね。
人間ってそういう、しょせん裏表がみんなあるのに、
ないと思ってる人がいることがわりと不思議で。
糸井
そう。
「私はそっちに行かない」とかね。
浅生
そんなのわかんないですもんね。

(あとすこしだけ、つづきます)

第5回 表現してないと生きていられない。