- 糸井
- ほんと、難しいですよ。浅生鴨のインタビューって(笑)
- 浅生
- でも僕、聞かれたことには
割と丁寧に答えているんですよ(笑)
ただ、どうもその答えの方向が
求められているのと違うらしくて・・・
- 糸井
- いや、違ってもないですよ。なんだろう。
次の質問をさせない答えなんですよ。
普通話をしてるときって、次の質問の隙間がもわっとあって、目がそっちにいくようにできてるんだけど
あなたと話してると、1つ終わると・・・(笑)
- 浅生
- 終わっちゃう(笑)。 なんでですかね?
僕、食事の仕方もそうなんですよ。
定食でも、幕の内弁当でも、
おかずとごはんがあったとして、
1品ずつ全部食べるんです。
- 糸井
- その食べ方やめなさい(笑)
でも、わかる。そういう感じですよ。
- 浅生
- だから最後、ごはんがすごく余る、みたいな。
- 糸井
- ごはん最後なんだ(笑)
じゃあ、まずね、浅生さんの隠し事の部分に
線を引いていきましょうか。
- 浅生
- 線を引く、はい。
- 糸井
- 先日、読売新聞に、「これが俺だ」みたいな
感じで写真が出ちゃったわけですけど。
- 浅生
- あれはもういいです、はい。
- 糸井
- あれ、今まで出さないでいた理由っていうのは。
- 浅生
- なんか、「めんどくさい」が。
- 糸井
- めんどくさい、だったんですね。
漫画家の方とかと同じですよね。
今の時代、出さなくっても結構なところまで
商売できるんですよね。
- 浅生
- そうなんです。
- 糸井
- あとは、NHKの仕事をしていたときは
NHKのペンネームじゃないですか。
NHK_PR(※NHK広報のTwitterアカウント名)っていう。
あれが俺だっていうのはマズイわけですよね。あの時代は。
- 浅生
- あの時代はそうですね。
- 糸井
- そうですよね。だから、あのときはあのときの
隠し事があったわけですよね。
- 浅生
- はい。常に隠し事がつきまとってるんです。
幼少時のときから。
- 糸井
- (笑)。自らの隠し事の歴史を語る。
それで、あとで語れるのが多いですよね。
- 浅生
- そうですね。「実はあのとき」っていう。
- 糸井
- あの写真が出ちゃってわかったったことだけど、
「日本人じゃないです」っていったら
通じちゃうような外見ですよね。
- 浅生
- うーん、ただ、意外に通じないんですよね。
「お前日本人だろう」っていうのと半分くらい。

- 糸井
- ハンパですね。
- 浅生
- そうなんです。そのハンパなのをいちいち説明するのが
もうめんどくさくて。常にみんなが「どっちかな?」って
思うんですよね。なので、「僕は日本生まれの日本人だけど、父方にヨーロッパの血が入っていて・・・」みたいな説明をする。
聞く人は1回なんですけど、こっち側からしたら
子どもの頃から何万回も言ってて、もう飽きてるんですよね。
- 糸井
- ということは、暗に「ここでも聞くな」って
聞こえますけど(笑)
- 浅生
- そんなことないですよ(笑)
でも、なんですかね、この同じことを
ずっといい続けるっていう・・・。
怪我してギプスしてるときに「どうしたの」って聞かれたら、最初はいいけど、段々飽きてくるじゃないですか。
そんな感じで、飽きてくると、ちょっと茶目っ気が出てきて。
- 糸井
- 嘘を混ぜる。
- 浅生
- そう。ちょっとおもしろいこと混ぜちゃったりするように
なるんですよ。そうすると、あっちとこっちで
それぞれ混ぜたことが相互作用して、
すごいおもしろいことになってたりして。
で、だんだん「もうめんどくさいな」ってなってきちゃう。
- 糸井
- 嘘つきになっちゃったわけですね。飽きちゃったから。
1回2回聞かれるんだったら、
本当のことを言ってたんだけど。
- 浅生
- もうめんどくさいから、相手が誤解とかして「こうじゃないの」って言ったときに「そうです。そうです」みたいな。
僕もめんどくさいから訂正もしなくて、
もはや完全に僕と違うものがそこに存在していたりして。
- 糸井
- どうでもいいことについての嘘は、
もう無数に言ってますよね。
- 浅生
- そうですね。

- 糸井
- 浅生さんが人生を変えるような経験とか、それについても、もう何万回も散々喋ってる?
- 浅生
- はい、喋ってますね。
- 糸井
- じゃあ、あえて今回はしゃべらないようにしよっか(笑)
人生を変えるような大事件が
浅生さんの身の上に起こったけど、
ここでは語らない、みたいなさ。
- 浅生
- ヒドイですね、それ(笑)
でもまあ、ほんとに僕はそれで「死ぬとは何か」を、
どういうことなのかっていうことをちょっと理解したんですよ。
- 糸井
- 心臓も止まってたんですよね。
- 浅生
- はい、一瞬ですけど。
事故のことをすごく簡単に言うと、 31歳のときに
バイクに乗ってて、大型の車とぶつかったんです。
足をほぼ切断して、身体も内臓いっぱい破裂し、
3次救急って・・・要するに死んでる状態で病院に運び込まれて、そこから大手術して復活したんですけど。
- 糸井
- 31歳だったんだ。結構大人になってからなんですね。
- 浅生
- そうそう。それで、1年くらい入院して、
ずっと車椅子生活してて。
最初に「一生歩けない」って言われたんですけど、早く社会復帰して働かないといけないからほんと、一生懸命リハビリして、そのうち少しずつ歩けるようになって。
- 糸井
- 今に至る、と。
- 浅生
- 本当に大事故だったから、普通ならほんと死んでる。
しばらくの期間は意識不明というか、まったく意志の疎通が取れない状態になってたんです。僕の中では世界が歪んだ状態で認識されてるっていう、日々を。
- 糸井
- 植物というか、意識不明な状態だったんだね。
- 浅生
- 事故にあって運ばれて手術を受けて、
その日の夜が やっぱりヤマなんですよね。
そこを超えれば生きられるけど、
大概はそこで死んでしまう。
ただ僕、なんか、
「ここで死んだら妻にものすごく怒られる」。
すっっごく、怒られるって思ったんですよ。
で、妻がちょうど海外出張していた時で。
もう死ぬのはわかってたので、妻に会って謝ってから
死のうと思ったんです。ひとこと、「ごめん。」って。
- 糸井
- 謝らなきゃいけない?
- 浅生
- そう。申し訳ないって言ってから死ねば
そんなに怒られずにすむだろうと思って。
そしたら妻に連絡取るのに1日かかり、海外に居たもんだから
戻ってくるのにまた中1日かかりで、2日ぐらいかかっちゃって。その間に峠を越しちゃったっていう。
とにかく、もうとにかく謝るまでは死ねないと思って。
- 糸井
- それはちょっとした意識があるんだ。
- 浅生
- そうなんです。
とにかく謝るまでは死ねない死ねないと思ったら、
2日か3日もっちゃって。
で、妻が来て「ごめん」って謝って
意識が無くなったんですよ。
- 糸井
- え、そっから意識が無くなったの?
- 浅生
- そうなんです。そこまで何とか意識あったんです。
もう怒られたくない一心。
- 糸井
- 愛の物語と言えなくもない。
付随していっぱい良い話があるんだけど、
リハビリになぜ頑張ったかっていうと、ね?
言っちゃってもいいのかな。
- 浅生
- 大丈夫です。
あの事故のとき、僕と同じような事故で
入院した人がいて。年も同じくらいで。
その人の相手が結構大きな会社の社長さんかなんかで
わりと初期の段階から弁護士とかが来て「3億は堅いですよ」
みたいな話をしてるわけです。同じ病室で。
- 糸井
- でも浅生さんは・・・
- 浅生
- そうなんです、こっちは無保険の車だったので
ビタ一文でない状態なんですよ。
だからとにかく早く働けるようにならなきゃって、
一生懸命リハビリをして。
ところが、その同じ病室だった人は治れば治るほど
慰謝料が減るので・・・、後遺症が重ければ重いほど
金額が高くなるじゃないですか。だから、あんまり
リハビリ頑張らなかったんですよ。
で、その結果どうなったかというと
僕は今こんな感じなんですけど、その人はたぶん今もまだちゃんと歩けない状態。
- 糸井
- 浅生さん、今じゃオープンカーでぶっ飛ばしてるからね。
- 浅生
- それで、事故で「死ぬとは何か」を
ちょっと体験と言うか理解して。
怖くはなくなったんですよ。死ぬってこういうことかと。
もちろん、死ぬのは「嫌」ですよ。
ただ、怖くはなくなった。
- 糸井
- 「死ぬ」がリアルになったときに、「生きる」のことを
考える機会が多くなりますよね。それはどうです?
- 浅生
- そうですね。だからといって、何か世の中に残したいとか
そういう気は毛頭無くて。ただ、死ぬということが
すごく淋しいことだと体験したので、
生きてる間は「楽しくしよう」みたいな。
別に知らない人とワーってするのは苦手だし、
する気もないし、むしろ避けて引きこもりがちだけど
それでも、極力楽しく人と接しようかなっていう。
日ごろ、ニコニコするのは上手じゃないので、
ニヤニヤして生きていこうみたいな感じです。
- 糸井
- ニヤニヤね(笑)