浅生鴨さんを少しだけ知る、
ヒントのようなもの
第4回 2つの震災、浅生さんと糸井さん
- 糸井
- 浅生さんが、誰にも頼まれずに自分でやったことってなに?
- 浅生
- 例えばNHKにずっといて、自分からやったのって東北の震災のあとにCMを2本作ったこと、それだけです。
東北が震災に遭ったあと、「絆」という言葉やテーマがワーッと出始めて、だけど僕は、今そんな話をしたって意味がないから、「神戸は17年経って日常を取り戻しました」っていうCMを作ろうと思った。
東北に向けてではなく、単に「神戸の今」っていうCMを。
だけど「何で東北じゃなくて神戸なんだ」って言われて、通らなかったんです。
- 糸井
- それはね、決めた人の心はわかんないんだけど・・・。
僕自身ビックリしたんだけど、神戸ではこうなるまでにだいたい2年かかった、なんて話をしたときに、東北の人たちはものすごくがっかりしたの。
「ええっ、2年ですか」って、その2年を長く感じてたの。だからだよ。
- 浅生
- でも、覚悟はやっぱり必要で。
やっと笑えるようになるのに、神戸では17年かかったんだとか、そういうある種の覚悟を、持たなきゃいけない。
ぼく、30年かかると思ったんですよ、東北のときに。
だけど、必ず戻るものがあるっていうことを含めて、17年前に大変な思いをした神戸では、17年経った今、笑顔で暮らす毎日があります、っていうだけの「神戸」っていうCMを作ろうと思った。
ただ、怖いんで、企画段階で東北に行ったんですよ。
いろんなとこ行って「こんなCMを考えてるんですけど、どう思いますか?」っていうのをまず聞いて回って、「これだったら、ぼくたちは見ても平気だ」ってたくさんの人が言ってくれたんで「よし、じゃあ作ろう」と思って。
だけど企画が通らなかったので、「もういいや、作っちゃえ」って、勝手に作っちゃったんですよ、自腹で。
最後の最後にNHKが全部お金を出してくれたんで、うちは家庭が崩壊せずにすんだんですけど。
それぐらいです、自分からやろうと思って作ったのって。あとはだいたい受注ですね。

- 糸井
- あの、おっきな決断はどうですか?
当時NHKの映像をユーチューブとかユーストリームで個人が投稿するのを、自分の独断で許可しますっていう。
ツイッター史上、日本のSNS史上に残るぐらいの決断だと思うんですけど。
あれは自分から?誰も発注しないですよね。
- 浅生
- いや、でもあれも言わば人から言われてやったようなもんなんです。
「こういう情報が流れてるのに、何でNHKリツイートしないんだよ」みたいなメッセージが来て、それで初めて「ああ、たしかにこういう手段がある」って知って。
「これはやるべきだな」と思って。
- 糸井
- あのあたりは、すごく大きな決断であると同時に「これは決断しちゃうでしょう」っていうくらいの雰囲気もあったよね。
でもNHKの人がそういうことをやったっていうのが、やっぱりショックでしたね。
ぼくらからすると、こういう人だと思ってなかった。
誰が書いてたかまったくわからなかったし。
- 浅生
- でもぼくが1番緊張したのは、そのあとの。
「これからユルいツイートします」って書いたときですね。
- 糸井
- あぁ。
- 浅生
- ユーストリームで映像を流すほうは、まぁ最悪クビになるだけじゃないですか。
出しちゃった映像はそれで終わりだし。
でも震災4日目の朝に「今からユルいツイートします」って、日常的なことをやりますっていうのを書くときは、相当悩んだんです、やっぱり。
多分半日ぐらい悩んだんですよね。何度も文章書き直して、ほんとにこれでいいかなっていう。
どうハレーションしてくかわからないので、それによって逆に傷つく人がいっぱい出るかもしれないっていう恐怖はありました。
- 糸井
- ぼくも、震災の翌々日に寄付の話を出したときは、迷ったし恐怖だった。
でも、「あれ?このまま行くと、どっかで募金箱に千円入れた人が終わりにしちゃうような気がするな」っていう、その実感。それが何だか辛かったんですよね。
あれもいわば受動だったね。
だって、ニュースで見えてた映像と、誰かが募金箱に千円あるいは百円入れて、それで終わりにしちゃうような感覚とがどうしても釣り合いが取れないなと思った。痛みを共有するっていうことを・・・しないとな、みたいな。
神戸のときは、ご自分が・・・。
- 浅生
- いや、揺れたときはいなかったんですよ。
当時ぼく座間のほうのある大きな工場みたいなところで働いてて。
そこの社員食堂のテレビで、燃えてる街を見てたんですけど、死者が2千人、3千人になるたびに周りで盛り上がるんですよ。
「2千超えたー」「3千いったー」って、言ってみればもう「やったー」みたいな、ゲーム観てるみたいな感じで盛り上がってるのが、耐えられなくて。
それですぐに神戸に戻って、水運んだり、避難所の手伝いをしばらくやってました。
- 糸井
- あれが神戸じゃなかったら、また違ってたかしらね。
もしあれが実家のある場所じゃなかったら。

- 浅生
- 全然違うと思います。
多分、ぼく行ってないと思います。
もしかしたら「2千人超えたー」って言う側にいたかもしれない。
そこだけは、ぼくが常に「やったー」みたいにふるまう側にいないとは言い切れない、むしろ言っただろうなという。
- 糸井
- それは、すごく重要なポイントですね。
自分が批難してる側にいないっていう自信のある人ではないっていうのは、大事ですよね。
- 浅生
- ぼくいつも、自分が悪い人間だっていうおそれがあって。
人は誰でもいいとこと悪いところがあるんですけど、自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対するすごい恐怖心もあるんですよ。
だけど、それは無くせないので、だから「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、わりといつも意識はしてますね。
- 糸井
- そのとき、その場によって、どっちの自分が出るかっていうのは、そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
- 浅生
- わからないです。
- 糸井
- やっぱり、「人が当てにならないものだ」とか、「人って嫌なことをするものだ」とか、「いいことって言いながら嫌なことするもんだ」とか、明らかに鴨さんのエッセイとか小説とか読んでてもそういう意地悪な視線だらけですよ。
だけどそれは、裏を返せば「優しさ」って言ってくれる人もいる。
そういうことしがちだよね、人間ってっていう。
- 浅生
- 不思議なんですよね。
人間ってそういう、しょせん裏表がみんなあるのに、ないと思ってる人がいることが不思議で。
- 糸井
- そう。「私はそっちに行かない」とかね。
- 浅生
- そんなのわかんないですもんね。
だから、よくマッチョな人が「何かあったら俺が身体を張ってお前たちを守ってみせるぜ」って言うけど、いざその場になったらその人が最初に逃げることだって十分考えられるし。
多分それが人間なので、そう考えるといつも不安。
でも「もしかしたらぼくはみんなを捨てて逃げるかもしれない」って不安も持って生きてるほうが、いざというときに踏みとどまれるような気はするんですよ。
- 糸井
- そのへんは、それこそ浄土真宗の考えじゃないですか、ほとんど。
浄土真宗ですよ。縁があればするし、縁がなければしないんだよっていう話でさ。
東洋にそういうこと考えた人がいたおかげで、俺はほんとに助かってる。
- 浅生
- もともと、仏教のそもそもが「何かしたい」とか、「何かになりたい」とか、「何かが欲しい」って思うと、それは全て苦行だから、それ全部捨てると悟れるっていう。
だから別に何かやりたいことがないほうが。
- 糸井
- ブッティスト。
- 浅生
- ブッティストとして。(笑)
- 糸井
- そういうブッティスト的な何かの時期があったの?
- 浅生
- まったくないです。

- 糸井
- 別にないの?
- 浅生
- はい。
それで話が終わっちゃいました。