もくじ
第1回自分のことを話すのは、めんどくさい? 2016-10-18-Tue
第2回嘘に少しの本当を混ぜていた@NHK_PR 2016-10-18-Tue
第3回「ユルいツイートをします」の緊張 2016-10-18-Tue
第4回書きたいことはないけれど、表現欲はある 2016-10-18-Tue
第5回死は寂しい、ニヤニヤして生きていたい 2016-10-18-Tue

関西出身の編集者です。好きなものはオムライス。HNはnatukiFM。家の中を森にすることが夢です。

犬の話、@NHK_PRの話、そして…?</br>浅生鴨さんの底のソコの話

犬の話、@NHK_PRの話、そして…?
浅生鴨さんの底のソコの話

第4回 書きたいことはないけれど、表現欲はある

浅生
8月末に発売された『アグニオン』という小説を書きました。この小説を書くきっかけになったのは2012年ごろ、@NHK_PRのTwitterがちょっと炎上していて、始末書を書いたりするようなことがあったんです。
 
落ち込んでいてショボンとしていたとき、新潮社の編集者がやってきて「何でもいいから、何かちょっと書いてもらえませんか」と言われて「はぁ」みたいな。
 
そのとき、新潮社が出している『yomyom』という雑誌を差し出されて「何が足りないと思いますか?」とも聞かれたんですね。そこで「若い男の子向けのSFとかは、今この中にはないよね」みたいな話をしていました。「じゃ、なんかそれっぽいものを…」となって。

糸井
え、そんなことだったの? ひどい(笑)。
浅生
で、とりあえず10枚くらい書いてみたら、SFの原型みたいなものになっていました。それを編集者が読んで「おもしろいから、ちゃんと物語にして連載しましょう」と言われて。
 
なので、最初は「何でもいいから10枚くらい書いてくださいよ」だったんです。わっと書いてみて、「最後の少年」というのがぽつっと出てきて、そこから編集者と一緒に。
糸井
構成を作ったのね。
浅生
そうですね。自分でも「あ、こういう物語なんだ」と書いてみるまでわかんないんですよ。
 
書き終えたときは、マラソンを最後までちゃんと走れた達成感というか、「よかった」というか。自分で走ろうと思って走り出したマラソンではなくて、誰かにエントリーされて走っていた感じです。
糸井
誰かに「代わりに走ってくれ」とお願いされたみたい。
なんというか「この人はこれだけのことをやっている」が外から見える状態だから、自分から手をあげなくても、あげたことになっちゃう。
 
僕が小説を書いたときは、嫌で嫌で嫌で嫌で、もう本当に嫌でしょうがなかったけど(笑)。浅生さんは、頼まれたらまた書く?
浅生
たぶん、嫌じゃないです。
糸井
そこは、僕とは違いますよ。僕は、めんどくさいもん。
浅生
めんどくさいんです、間違いなく。
糸井
めんどくさいの種類が違う。僕のめんどくさいは、もう本当にめんどくさいから。横尾忠則さんとか「めんどくさい」と言いながら絵を描くじゃない。僕は書かないもん。
浅生
でも僕、毎日書いてないですもん。
糸井
かえって、毎日のほうが楽なんだよ。「毎日やってる」っていうアリバイができるから。日曜もやっている蕎麦屋がまずくても「毎日やっているからしょうがない」となるように。「毎日やってる」という努力賞がほしいね、僕。
浅生
僕は海外ドラマシリーズを好きで見ていますが、中にはグダグダで「もう打ち切れ!」と思われながらも11シーズンまで続くものがあったりするんです。『アグニオン』が辛かったのは、自分で始末しなきゃいけないことでした。

糸井
当たり前じゃん。
浅生
『アグニオン』は連載だったんです。それこそ1話とか2話とか、自分でもどんな話になるかわからないところで伏線を仕込むから、連載のどこかで回収していかなきゃいけなくて。
 
僕自身、ラストがまったくわかってなかったんです。ざっくりとなんとなく決めていたんですけど、2話の途中くらいから話が変わってきてて。
糸井
『おそ松くん』とかを連載で読んだ経験のある僕には、そういうのは全然気にすることないよって思うね。だって『おそ松くん』は六つ子が主人公のはずなのに、チビ太やデカパンとか異形の者たちの話になっちゃってる。
浅生
『アグニオン』も実は1度、原稿用紙で500枚くらい書いたんですよ。これは、最後の最後にそれまでの物語がある意味で解決するための舞台回しとして、1人キャラクターが出てくるんですけど。
それを読んだ編集者に「このキャラがいいね。これを主人公にもう一回書きませんか」と言われて。その500枚を全部捨てて、もう一度ゼロから書き直したんですよ。
糸井
「めんどくさい」という話からすると、僕らは表現しなくても、一生を送ることだってできたじゃないですか。でも、やっぱり表現しない人生は考えられないでしょう? 
浅生さんは受注だけど。
浅生
そうなんです。それが困ったもんで。そこがたぶん、一番の矛盾です。
糸井
矛盾ですよね。
「何にも書くことないんですよ」とか「言いたいことないです」「仕事もしたくないです」。だけど、何かを表現してないと…。
浅生
生きていられないです。でも、受注ない限りはやらないっていう。ひどいですね。

糸井
だから「受注があったら、僕は表現する欲が満たされる。おおいに好きでやりますよ。めんどくさいけど」なんです。
これはでも、僕もちょっと似たところがあるなぁという気がしますね。
浅生
かこつけてるんですかね、何かに。
糸井
うん、そうねぇ。何かを変えたい欲じゃない。何か表したい、表現欲ですよね。
 
これと表裏になっているのが「じっと見たい欲」です。
浅生
「じっと見たい欲」?
糸井
うん。たぶん表現したいってことは「よーく見たい」とか「もっと知りたい」とか「えっ、今の動きみたいなのがいいな」とか。そういうことでしょう?
浅生
画家の目がほしいんですよ。あの人たちって、違うものを見るじゃないですか。画家の目はきっと、あるとおもしろいなって思うんです。
糸井
すごいですよ、画家の目ってね。違うものが見えてるんですからね。
浅生
あと、見たとおりに見えてるじゃないですか。僕らは見たとおりに見てないので。
糸井
そこは画家の個性によって、実は違う目立ったりする。でも、僕なんかが普段考えている「女の目がほしい」とか、そういうのと同じじゃないですかね。
 
受け取る側の話をしているけど、それは表現欲と表裏一体です。受けると出す、なんですよね。
第5回 死は寂しい、ニヤニヤして生きていたい