今わたしは、大学3年生。
アメリカには3回、行きました。この冬にも行く予定があります。
初めてアメリカを旅したのは大学1年生の時です。サンフランシスコでした。
それは初めての一人旅で、ほぼ初めての海外旅行。
ほぼ初めて、というのはどういうことかというと、わたしが6歳の時に親戚の結婚式でハワイに行ったことはあるのですが、それはもうほとんど覚えていないので、ノーカウントにしましょう、ということです。
英語が苦手だったのに、大学受験をきっかけに英語に興味を持った高校2年生の頃から、アメリカはわたしにとって一番の憧れの地でした。大学に入ったら、バイトをいっぱいして、憧れのアメリカに行くんだ!という思いを抱いて、受験を乗り切ったのを覚えています。その当時から、スマートフォンのブックマークはアメリカに行ったら行きたいと目星をつけていたカフェやらベーカリーやらでいっぱいでした。
妄想を膨らませて、今か今かとアメリカに行くのを夢みていたんです。
だから、初めての一人旅を決行した大学1年の夏休み、わたしはついに夢が叶う!という喜びでいっぱいでした。だけど、何度も何度も妄想したアメリカに、本当に行けるんだという実感は、成田空港へ向かうバスに乗っても、飛行機に乗っても、不思議となかなか湧いてきませんでした。
ついにサンフランシスコ空港に着陸する瞬間が近づいてきたという時、それまで飛行機の窓からは雲しか見えていなかったところが、急にアメリカらしい大陸が目に飛び込んできて、陸に近づくにつれてどんどん街の様子がくっきり見えてきて、初めて目の当たりにする西海岸の景色を前に、わたしはただただ「本当にアメリカだ…本当に来てしまったんだ…!」という興奮をついに抑えられなかった。むくむくと実感が湧いてきて、心臓がどんどんドキドキしてきて、思わず窓の外の景色を眺めながら小さい子どものようにニコニコしてしまったのを覚えています。
ガイドブックや友達の体験談によると、どうやら空港にいるスタッフは無愛想で怖いらしい、そんな知識が頭にあったので、わたしは少し不安に思いながらも、飛行機をおりました。嬉しい気持ちをぐっと抑えて、ここは冷静に、これからは自分の身の安全を守るために堂々としなくてはいけないぞ、と自分に言い聞かせて。ところが、そんな不安はどこへやら、空港の怖い顔をしたおじさん達は話せばとっても良い人で、ジョークをお互い飛ばし合い、最後には笑いながら入国審査を通過しました。“Welcome to San Francisco(ようこそサンフランシスコへ)”と書かれた大きなドアの前に来て、ここを抜ければわたしの旅が始まる、そして、この旅は絶対に楽しくなる!と確信したのでした。
もちろん、わたしのサンフランシスコ旅は最高のものとなりました。
一番好きな街はどこですか、と聞かれたら、わたしは間違いなくサンフランシスコと答えます。
少しヨーロッパを思わせる、味のあるダウンタウンの街並からケーブルカーに乗って少し行くと、青い海が広がって、近くにはメリーゴーランドがあるピアが現れて、港町のような雰囲気にガラッと変わります。エリアによって、全然雰囲気が違うのだけど、どこもお洒落で、個性的で、自由でした。
フェリーに乗ってサウサリートという小さな島に行って、木に登ってぼーっと海を眺めたり、ぶらぶら港町を散策して、疲れたと思ったらその辺のベンチに腰掛けてまたぼーっと海を眺めたり、というような贅沢な時間を一番よく思い出します。旅に出て暇を持て余すなんて、一番贅沢で幸福な時間だと、後からいつも気がつくのです。
幸運にも、大学1年の春学期の間、サンフランシスコからわたしの大学に留学していた人と仲良くなり、わたしが夏休みにサンフランシスコに行く際、会う約束をしていました。だから、一人旅とはいっても、向こうに友人がいるという安心感は大きかったです。
その友人は、滞在中いつも助けてくれました。会える日は1日使ってサンフランシスコの有名どころに連れて行ってくれたし、夜は野球の試合に連れて行ってくれました。会えない日だって、困った時はいつも親切に助けてくれたし、一人旅だったけれど、一人に感じないほど心強かったです。わたしはいつもその友人のことを「信じられないくらい良い人」と言って他の人に紹介するのですが、実はこの表現を使って紹介する友人たちと、この後もたくさん出会うことになるのです。そう、わたしのアメリカ旅行を語る上で欠かせないのが友人たちの存在。いつも楽しくしてくれるのは友人たちなのです。持つべきものは友だなあ、と心から思います。