2度目のアメリカ滞在はシアトルでした。ある大学の国際交流団体にインターンシップをする目的で訪れ、1ヵ月間ホームステイをしました。アメリカで働く経験をすることは、わたしの高校生の頃からの夢だったので、本当に本当に、夢が叶って嬉しかったです。
インターンシップ初日から、楽しくて仕方なかった。一緒に働くスタッフさんたちのフレンドリーさに救われ、覚えることは山ほどあって、言語の壁もあって、大変なことの方が多かったけれど、とにかく楽しかったのです。インターンシップ先の国際交流団体が運営するイベントにスタッフとして参加したり、学生たちと交流したりと、アメリカで働くという経験の他に現地の大学生気分も味わえて、アメリカのキャンパスライフに憧れていたわたしにとっては最高の環境でした。
キャンパスはとにかく広くて、あの有名な魔法使いの学校のようなかっこいい建物に毎日感動していました。図書館なんてもうすごいんです。とにかくかっこいいんです。学生のフリをして、よく忍び込んでいました。毎日が刺激的でした。毎朝同じ時間のバスに乗り、帰りにはコーヒーショップに寄り道し、しょっちゅう行くものだからそのコーヒーショップの店員さんがわたしの名前を覚えてくれたりして、毎回ちょっとした会話を交わすのが楽しみでした。
「ああ、ここで暮らしているなあ。」と嬉しくなったのを覚えています。ちゃっかり自分のタンブラーとか持ち歩いちゃったりして。アメリカ人になった気分でした。
ホームステイ先には中国と香港出身で、今はアメリカで勉強している女の子たちがいました。世界の共通して盛り上がる話題は恋バナですよ。彼女たちとは毎晩のように恋バナで盛り上がりました。それと、猫が2匹いました。ホストマザーもファザーもとても気さくで明るくて、ちょっとお節介な素敵な人たちでした。もちろんファミリーみんなとは、すぐ仲良くなりました。猫もわたしに懐いてくれて、帰国する際には何だか寂しがっていたから、わたしの使っていた、お気に入りだったブランケットを猫にのこしました。わたしの匂いがするブランケットが安心するのか、気がつけばいつも占領していたから、わたしを忘れないでね、という思いを込めて。
わたしのホストマザーはいつも感情をはっきり表す人でした。嬉しいも悲しいも怒りもすごく分かりやすい。顔の表情の引き出しがすごくあるんです。そんな彼女はお話をするのが大好きで、いつもたくさんの話を聞かせてくれました。ある日、彼女が夕食のテーブルでぽつりと言ったことが、わたしにはとても印象的でした。「今の夫ともっと早く結婚していればなあ。私は彼と再婚したのは数年前で、その前は20年以上も前の夫といたんだけど、もう少し早く離婚して、彼と結婚していれば良かったわ。だって私、もっと彼と一緒にいたいのよ。もっと何十年も、彼といたい。こんなに素敵な人他にいないもの。彼と一緒になってからすごく幸せなの。」と。
ホストファザーは口数が少なくて、穏やかな人でした。スーパーマーケットに日用品のおつかいを頼まれて帰ってくると、「これ、綺麗だったから。」とホストマザーに花束をプレゼントして、マザーを喜ばせたりするような、お茶目な人でした。そんな二人を日頃から見ていたから、彼女の言葉がじーんと心に響いたのです。本当に幸せなんだろうなあと、素敵だなあと、そんな二人の関係が羨ましくなりました。それと同時に、いくつになっても自分の気持ちを正直に相手に伝えられて、大切な存在だと言えることが、何よりとてもすごいことだと思ったのです。
そんな温かい、素敵なホストファミリーだったから、シアトルを離れる時は辛くて辛くて、お別れの日は空港で涙が止まらなかった。ハウスメイトの2人、ホストマザー、ファザーとハグした途端、堪えていた悲しい、寂しい感情がわーっと押し寄せてきて、流れる涙を止めることが出来なかったのです。大好きなアメリカを離れるのも、大好きなファミリーと離れるのも、すごく辛かった。空港で一人になり、まだメソメソしていると、シアトルで出来た友人や、アメリカ滞在中ずっと気にかけてくれていたアメリカ人の友人たちが、何かを感じたのか次々とメッセージを送ってくれるではありませんか。彼らはまたしても、わたしを笑顔にしてくれました。そして、大切な人たちがこの大好きなアメリカにいるからこそ、この国に何度も何度でも足を運びたくなるのだと思いました。
こんな風に、アメリカを離れる時は、滞在期間の短い長い関係なく、いつも悲しくなります。大好きな国を離れる、しばらくのお別れだということが悲しくて仕方なくて。その度に、やっぱりアメリカが好きなんだなあ、と実感するんです。どうしても、また戻ってきてしまう。