大学を出て、大学院で2年研究をした後
僕はそのまま東京で仕事に就いた。
同じ街にいるはずなのに
仕事を始めたことで
見える景色はまた大きく変化した。
はじめての社会人、
慣れない仕事では
うまく行かないことがたくさんある。
ちょうど同じような時期に就職した
大学の知り合いの人たちと
大変だねえ、頑張ろうねえ、
といったことを言い合った。
それでもしゃんと前向きになるのは難しく
仕事の合間に東京の街並みを見ていると
なんだか息苦しい感じがして
嫌気がさしてくるようになった。
大学の頃、東京の街で見た
たくさんの知らない人たちの暮らしを思い出し
当たり前にあったあの暮らしも
きっと誰かが守っていたのだろうなと思った。
東京の街が無数の暮らしでできていたなら
その暮らしの数だけこの街には
誰かの頑張りがあったということだ。
みんな、すごいなあ。
当たり前に生きて暮らしてくの、
大変だなあ。
そんなことを思って途方に暮れたりもした。
しかしその一方で
働くのは大変だから、東京はいやだから、
地元に帰りたい、ということは
微塵たりとも思わなかった。
東京を嫌いになっても
この街を去りたいとは思わなかった。
当時はそれがなぜか
考える余裕も無かったけど、
今ならちょっと分かる気がする。
「なんだかんだ言って
自分も頑張って
この街で働いて暮らしてるんだ」
そういう、自分なりの自負があったのだ。
嫌いになってもなお
東京は自分にとってあこがれの場所だった。
生まれた街から離れた場所で活躍する、ってのは
分かりやすい1つの夢のかたちだ。
その分かりやすい夢を僕は叶えたいと思った。
だから、しがみついてでも
この街を離れたくはなかったのだ。
そうして勝手に1人で決めた試合のようなものを
たたかっていくうちに
2年が過ぎた。
多くの人がそうであるように
時が経つうちに
僕も少しばかりは
仕事に慣れてくるようになった。
やっと昔みたいに
東京の街を好きになる余裕も出てきた、
その矢先。
仕事の都合で、大阪に引っ越すことになった。
振り返ってみると
なんと8年半も僕は東京にいたらしい。
これまでの人生の3分の1を過ごした計算だ。
勝手に大好きになったり、
勝手に嫌いになったりしたこの街。
数え切れない街角に思い出があって
たくさんこの街で出会った人がいて
もはや紛れもなく自分にとって
東京は第2のふるさとになっていた。
8年半ぶりに戻ってきた関西は懐かしくて
さすが地元だけあって居心地もいい。
地元は地元で大好きだ。
まず食べ物がおいしいし(そして安い)、
みんな人当たりがいい。
東京とは違う
ゆったりした時間が流れている。
でもやっぱり僕は
またもう一度、東京に行きたいと思っている。
中3の夏に初めて見た東京の街。
危なっかしいけど、わくわくする街。
何が起こるか分からない、どきどきするあの街に
8年やそこらじゃ、まだまだ満足できないのだもの。
(おわります。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。)