すこし、私とハンカチとの関係を
お話ししてもいいだろうか。
私は正直に言うと、几帳面とはほど遠い。
おまけに、できる楽はできるだけする。
だから、ずいぶん長い間ハンカチを持つ習慣がなかった。
中学校までは手を洗った後はプルプルっと震わせて
ご機嫌に手を振って帰れば乾いていた。
高校に入ってからは、
ハンカチを持ってトイレに来たクラスの女の子を見て、
「あっ、しまった」とカバンの中を思いやった。
思いやりながら、手をプルプルっとさせて教室へ戻った。
表面的な「女の子の身だしなみ」という意識は、
私を実践にまでは導けなかった。
しかし、そんな私とハンカチの関係は、
高校卒業後に変化を迎える。
大学生。
10代が終わり、成人式を経て「大人」へ近づく時期だ。
自分が「大人」かどうかはわからなかったが、
「大人らしくした方がいいのではないか」という
漠然とした思いに迫られて、
それぞれに思い描く「大人」の振る舞いを
模倣していっていたように思う。
その過程で、私はハンカチを持ち歩くようになった。
なんとなく気になる
そしてある日、ふと気がついた。
…ハンカチが気になる。
服を買いに行った時、雑貨を探しに行った時、
本来の目的ではないにもかかわらず、
視界にチラチラと入ってくる。
「いいものがありますよ」、
と言わんばかりのオーラを放ってくる。
ハンカチの数は、今持っているもので十分だ。
むしろ一週間洗濯しなくても困らない程度にはあるので、
多いくらいである。
それなのに、
私はたびたびハンカチに目が吸い寄せられた。
誘惑に抗いきれず、私は1枚を持ってレジへ向かった。
それが、この1枚だ。
なんだか元気の出そうな、
眩しいくらいの鮮やかなイエローに、
ぼのーんとした、シロクマ。
スカーフをオシャレに巻いて、
ピンク色の長靴を履いている。
シロクマの手には、魚。
表情はどこか満足げである。
シロクマといえば、ウェグナーの皮肉過程理論という、
簡単に言うと「忘れたいものほど忘れられない」現象
について心理実験を行なったときに提示された、
忘れる対象がシロクマである。
その実験のことを知って、
私もまんまと記憶に焼きついていた。
そんなシロクマとの出会いである。
いやいや。そんな。
たまたまだよ。
たまたま元気が出そうな色のハンカチがあると思ったら
刺繍されていたのがシロクマだったんだよ。
手触りもよいし、買わない手はなかっただろう?
そう言い訳をする私を横目に、シロクマのハンカチは
「元気を出したい時の一枚」の座に着いたのであった。
「なんとなく気になる」の正体
ここで改めて考えた。
この「なんだか気になる」という気持ちに、
向き合うべきなのではないか。
無意識に目で追ってしまう。
一緒に送る生活はどれだけ素敵だろうか、と空想に耽る。
目にするたびに、顔がほころぶ。
これはもう、「気になる」どころではない。
「好き」だ。
なんでもなかったハンカチのことが好きになって、
お気に入りをもっともっと集めたいと思っているのだ。
そこには幼馴染に対する恋心を認めるかのような
ドキドキがあった。
(もっとも、幼馴染に恋をしたことはない。)
ああ、「好き」に正直になるって、
こんなにも楽しいものなのだ。
想いを素直に認めたとたん、心はすっと軽くなり、
やがてワクワクと小気味良いリズムを打ち始めた。