私の母が占いを始めたのは、30歳の頃でした。
デザイナーの仕事をバリバリと頑張っていた母。
結婚が中々できず、恋愛運を占ってもらおうと
いろいろな占い師のところに行ったそうです。
占い師のやること、しゃべることを観察しているうちに
「すぐに覚えられた、不思議な感覚だった」そう。
運命の出会いは“新宿の母”でした。
会うなり彼女は
「あなた、実はわかっているでしょう。」と言いました。
占い能力のようなものを新宿の母に見抜かれたのです。
“この感覚は正しかったんだ”と興奮した母は、
占いを勉強し始めると、するすると覚えていき
試しに近くの友人を占うようになっていきました。
すると、当たる。そして感謝をしてもらえる。
占いをとおして、人の人生に関われることに喜びを覚えた母は
デザイナーの次に好きな仕事として、占いを続けてきました。
ここからはじっくり、
母の生い立ちや占いへの思いを聞きました。
- 娘
- 自分の性格のどんなところが占いに向いていると思う?
- 母
-
人をじーっと見てしまうクセがあって、
これは活かされていると思う。
- 娘
- 小さなときから、人をじーっと見るクセはあったの?
- 母
-
小さなとき、何度も転校をしていたのよ。
転校先は狭い村ばっかり。
しかも私のいた村は、貧乏すぎることで有名で
テレビ中継されるくらいの場所だったの(笑)
- 娘
- テレビ中継って!(笑)
- 母
-
私はお母さんが服を縫ってくれていたから
それだけでお金持ちな子だと嫉妬されて。
あることないこと言われて、嫌だった。
- 娘
- そうだったんだ。
- 母
-
転校するたびに、自分が評価されていると気づくの。
評価によって、意地悪されることもたくさんあった。
そうすると人の目がとっても気になって、
人は常に自分の何をみて評価するのか
周りの子は腹の中で何を考えているのか
ななめ上の離れたところから、
じーっと冷静に俯瞰してみてしまう
クセがついたのね。
- 娘
- そんな疑い深くなってしまうものなんだね。
- 母
-
私の鉄則は「1番最初に話しかけてくる人には気を付けろ」
最初に値踏みしてくる人にいい人はいません。
- 娘
-
占いじゃなくて独自論な気がするけど(笑)
人を嫌いにはならなかったの?
- 母
-
じーっとみるようになったら、逆にいろんな人がいて
人間っておもしろいなって思うようになっちゃったの。
人が嫌いなわけではないから、占いが向いていたんだと思う。
- 娘
- 私なら人間不信になりそう。
- 母
-
友だちとの別れ際にね、
「また会いたいな~」って思える人がいるとき
心があたたかくなって、人間っていいなって思う。
- 娘
- 確かにね。
- 母
-
自分にとってあたたかい人がいちばん好きです。
そういうのは顔をみればわかる。
- 娘
- それは占い?それとも感覚?
- 母
-
どっちもかな。
悪いところやいいところ、
その人の持っているところって全部顔に出てくるの。
- 娘
- お母さんからみたら、みんな裸で歩いているみたいだ。
- 母
-
ただ、顔相だけですべてがわかるわけではないから
手相でその人の性格や過去、未来を知って、
声や耳をみたら、だいたいぴったり。
人柄っていうけどまさにその通りで、性格は顔にも出る。
私なりの占いの仕方だけどね。
- 娘
- 占いってもっと、霊感が大事だと思ってた。
- 母
-
私も弱い霊感はあるけどね。
4歳の時に一度、大きな病気にかかって植物状態になって
でも母の涙で目が覚めるんだけど、
それを経たからか、よく引き寄せられる。
- 娘
- おばあちゃんからその話を聞いた時、びっくりした。
- 母
- あと、石と廃墟が好き。
- 娘
- それは霊感と関係ない気がするけどな~(笑)
- 母
- 必ず、行く先々で石を拾います。
- 娘
- 小さなころ、いい石を拾うと褒められました(笑)
- 母
-
まさか占いができると思っていなかったからね。
観察力はあると思っていたから、デザイナーになって、
この仕事はとても向いていたと思う。
あふれんばかりのデザイン案が、日々浮かんでいた。
- 娘
-
人の顔をみてテキスタイルデザインを描いてたって、
言ってたもんね。
- 母
- 人の顔とは、まさにデザインです。
- 娘
-
だからかお母さんの占いは当たる、当たらないよりも、
相手の性格や腹の底を観察して
人生の道しるべみたいなものを提示している気がする。
- 母
-
迷っている人がよってくる、とは思うね。
弱い線のことも、腹をくくってはっきり言うし、
どうにかできそうで、相手もどうにかしたいと思っているなら
前向きな提案をできるような占いをする。
みんな、しんどいところに居る必要はないからね。
(つづきます)