もくじ
第1回20歳の武蔵境の夜 2017-04-18-Tue
第2回アメリカと日本の二重生活 2017-04-18-Tue
第3回日本嫌いの日本留学 2017-04-18-Tue
第4回100%な生き方しかできない 2017-04-18-Tue
第5回武蔵境へ行く 2017-04-18-Tue

ここ3年ほど、毎日飽きずにバタートーストに魅了されています。日本に住んで3年、どうやらそのことに関係があるらしい。ロサンゼルスから来ました。よろしくお願いします。

わたしの好きなもの</br>武蔵境

わたしの好きなもの
武蔵境

担当・ユウキ

第5回 武蔵境へ行く

2017年4月初旬。
私は武蔵境の駅で電車を降りた。

駅の変わりように、
「見て!武蔵境!」と母に写真を
メールしてしまった。

LA時間、22:27。
「ひぇー!」とすぐに返事がきた。
「どうしてまた武蔵境にいるの?」

武蔵境のあの家は、もうない。
母も武蔵境に帰ってくる理由がなくなってしまった。

駅からすきっぷ通りを歩き、
あちこちで写真を撮っては母に送った。
すぐに既読になった。

「ここでよく蚊に刺された」(私)

「懐かしいね〜。家に行く途中の林だ。
私が高校生の時、家から駅まで走って、
8分後には電車に乗ってたー。記録もんだね」(母)

家から駅まで、徒歩20分近くある。

思い出の喫茶店も、
昔のままの姿で残っていた。

祖母との生活が息苦しくなったとき、
母とこっそり逃げた場所だ。
人生で初めてアイスコーヒーを飲んだ
三角屋根のサンクチュアリー。
(シロップはたっぷり)

あの頃は飲めなかったブラックコーヒーを注文し、
私はこのエッセイに向かった。

「好き」のヒントを求めて武蔵境に来たわけだが、
今のところ祖母に対しての、
そして日本に対しての複雑な思いしか出てこない。

本当に武蔵境が「好き」なのか。
ここのコーヒーは「好き」だけれども。

そして何より、自分の日本語の限界を感じていた。
丘の上の日本語学校で、もう少し真面目に
勉強しておけばよかった…。

お店を出ると、母からメッセージが届いていた。
「今どこにいるの?」

一体何時なんだ、ロスアンゼルス。
言葉ではなく、写真を送った。

子供の頃、「いつかいちかいどう」
と言うのが楽しかった。
いつかいちかいどう、いつかいちかいどう。
誰かが口にするたび、ちょっとくすぐったかった。

私は駅に向かいながら、
母に祖父母の話を聞いた。
香川から上京したときの話。
生徒たちに一生懸命だった祖父母に、
もう少し自分の子も見つめて欲しかった、ということ。

無駄なことを一切話さなかった祖父が、
亡くなる直前に病院のベッドから
「成田に行く時、成田エクスプレスだったら〇〇〇〇円、
スカイライナーだと〇〇〇〇円。気をつけて帰りなさい」
と言った話。
祖父が元気な頃は、武蔵境から片道3時間かけて
車で成田空港まで迎えに来てくれていた。

野球が大好きだった祖父は、
病室に小さなトランジスタラジオを持ち込んで
いつも聴いていた、ということ。

感情を表に出さない祖父が、
最後に母に「来てくれてありがとう」と涙を流したこと。

祖父が亡くなった日は、風が強かった。

身体が不自由だった祖母は、
杖や酸素タンクを常に持ち歩いていた。
それで孫たちが「恥ずかしい思いをしていないか」
と心配したと言う。
「大丈夫よ、あの子達はアメリカで
いろいろな人を見て育っているから。
何も思ってないわ」と母は言った。
(実際に、恥ずかしいことなどひとつもなかった)

そのような話を聞きながら、亜細亜大学の前を通った。
目の前の公園は桜が満開で、
子供たちを桜吹雪で包んでいた。

風が強い。

「あのふたりは本当に口下手だった」と母の声が
電話の向こうから聞こえてくる。
「曲がったところがなくて
いい人だったんだけどね〜」

気づくと1時間半経過、
私は武蔵境を端から端まで歩いていた。

そして、あのことも母に聞いてみた。

「おばあちゃんは私の何かを見抜いて、
「ユウキは日本人と結婚したほうがいい」と
言ったのかな?」

「いやぁ、おばあちゃんは自分が思ったことを
そのまま言っただけだったと思うよ」と母は笑う。

「そうだね」
私も笑った。

「あの人は、自分が生きていくだけで精一杯だったから」と母。

「…」

気づくと私の目に涙がたまっていた。

でもね、と母が最後に言った。

「アメリカに住んで何年か経った頃、
アメリカに残って子育てしようと、パパと決めたの。
覚悟を決めて、お母さん(祖母)たちに切り出したんだけど、
ヒステリックに喚き散らすと思ったら…」

祖母はこう言った。

「アメリカに行ってみてわかった。
あんなに大きな国と戦争したんだね。
そりゃ勝つわけがない」

そして。

「武蔵境の家に帰るたび、
こんな小さなところで暮らしているから、
日本人はちっぽけな考え方しかできない」と。

さらに。

「子供たちはアメリカで育てたほうがいい。賛成よ」

父と母は、拍子抜けした。

「あれは本当にびっくりしたね~」と母は笑う。

私が小学3年生のときの出来事だった。

実家は、今でもロスアンゼルスにある。
今年で37年目になる。

そして私はというと。

アメリカで出会った日本人と結婚して、
現在は東京で暮らしている。

「武蔵境」が、大好きになりました。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

(おわり)