もくじ
第1回違う価値観との向き合い方。 2017-05-16-Tue
第2回反対意見の、本音と建前。 2017-05-16-Tue
第3回体に悪いものには、お金を使いたくない。 2017-05-16-Tue
第4回家族は同じものを食べるべきか。 2017-05-16-Tue
第5回知ることは、怖くない。 2017-05-16-Tue

毎日、3歳になる息子から「おはよう、へびつかい~」
「ごはんだよ、へびつかい~」といわれてます。
ぼくがへびつかいシルバーで、彼がてんびんゴールド。
おかげさまで、パパのときよりも、息子と心が通じ合ってます。

なぜ彼女は「肉」を</br>食べようとしないのか?

なぜ彼女は「肉」を
食べようとしないのか?

第2回 反対意見の、本音と建前。

彼女が観たドキュメンタリー作品とは、
2016年にアメリカで公開された
『食の真実』というものだった。

この作品の監督であるひとりの男が、
健康な体を取り戻すために
「体にとって本当に必要な食べものとは?」
という答えを探すべく、
世界中の研究者や医師・専門家などにインタビューを行い、
その知られざる食の真実に迫るという
90分ほどのドキュメンタリー映画である。

作品のテーマは「菜食主義になろう」だ。
本編の2/3は菜食主義のメリットや根拠が伝えられ、
残りの1/3で大量消費や環境破壊などの問題に触れ、
肉の消費量を減らして世界をより良くしよう、
ということが語られている。

僕はこの映画を観るにあたり、
作品後半の社会的な問題に関しては、
あえて意識を遠ざけることにした。
スケールがあまりに大きすぎるのと、
問題が複雑になりそうな気がしたからだ。

忘れないようにもう一度確認しておくと、
今回の動機は「肉断ち」をはじめた妻と
「どのように折り合いをつけるか」にあり、
それこそが僕の考えるべきことなのだ。
とても身勝手な意見に思われるかもしれないけど、
僕にとっては地球規模の問題よりも、
妻との楽しい食事を取り戻すことのほうが、
いまは何よりも大事なことなのだ。

そうした気持ちでみたこともあってか、
妻のすすめてくれた『食の真実』は
とても有意義なドキュメンタリーだった。

まず、菜食主義に対して持つ素朴な疑問、例えば
「子供への影響は?」
「食費は高くならない?」
「おいしいものを我慢するの、辛くない?」など、
僕が気になっていたことがほとんど説明されていた。
作品全体を通して
「私たちは肉を食べることを否定していない。
でも、もし健康になりたいなら菜食主義はとてもおすすめ」
というカジュアルなスタンスにも共感が持てた。

作品の内容が正しいという大前提で話を進めると、
僕が「肉断ち(菜食主義)」について
勘違いしていたことがたくさんあった。
妻に主張していた意見を訂正してみると、
以下のようになる。

・家族で別々のものを食べるのはあり得ない。
・子供の成長に肉は必要だと思う。
・子供の前で親が好き嫌いをするべきでない。
・動物性たんぱく質は必要不可欠だ。
・肉の旨味はおいしい料理に欠かせない。
・肉を食べないとやる気が出ない。
・肉を食べないと食べた気がしない。
・野菜ばかりだと逆に食費が高くなる。

・そんなことしても世界は変わらない。

残っている意見は、僕の100%主観によるもの。
つまり、客観的にみてみると、
僕の反対意見のほとんどは「思い込み」だったのだ。

これにはさすがにショックを受けた。
まったく自分の主張を曲げるつもりはなかっただけに、
たった1本の映画をみただけで
「そういう考え方もあるのか」と、
かんたんに気持ちが揺れはじめていたのだ。

ただ、肉断ちを理解しようとしている自分がいる一方、
「そうはいっても、肉を食べないなんてあり得ない」と、
すぐに否定したくなる気持ちも残っていた。
なぜ僕はそんなにも「肉断ち」を否定したいのだろうか?
その根拠なき、悪あがきはどこにあるのだろうか?

あれこれ考えてみた結果、
このときの僕は「変化に対する不安」
という答えがいちばん近いように思えた。
なぜそうなったかというと、
僕はこれと同じような感情を、
会社の中で何度か経験したことがあったからだ。

会社やチームの中では、
どんなに万全な方針やアイデアがあっても、
否定的な意見をいう人は必ず存在する。
そういう会議をうまく前に進めるには、
反対意見をいう人の「本音と建前」に
気づくことが大切だと思っている。

公の場で発表される
「予算が足りない」とか「計画性が乏しい」といった、
ちゃんとした議論されるべき正しい反対意見。
これを建前とするならば、
本音というのは「自分の立場が悪くなる」とか
「失敗したときの自分へのリスクが大きすぎる」といった、
自己保身のための意見である。

これは本音と建前のどっちが良い悪いではなく、
単純にそういう性質があるというだけの話。
多くの人々は「革新的なアイデア」の実現よりも、
そのことで「自分が失うもの」が気になってしまうのだ。
自分自身の経験からもそう思うし、
組織やチームを動かすときは、
そういう「本音」への気づかいが大切だと思っている。

と、何が言いたかったかというと、
僕の妻に対する「肉断ち」への抵抗は、
自分の生活が変化することへの「不安」の感情が
大半を占めているのでは、と思ったのだ。

初めに「僕は肉料理がとても好き」といったけど、
それは「建前の意見」であって、
本音では「自分の生活スタイル」を変えられることに
危機感を抱いていたような気もする。
肉だからではなく、魚でもトマトでも、
もしかしたら他の食材でも
同じような話になっていたかもしれない。
はじめは妻の「肉断ち」を問題視していたけれど、
実は、僕のほうにこそ、
いろいろと問題があるのかもしれない、
そんなふうに考えはじめていた。

しかし、このままでは永遠に答えは出ない。
彼女が肉断ちについて何を考え、どうしたいのか、
そこがまだ分からないままなのだ。
そもそもなぜ「肉断ち」をする気になったのか?
なぜ僕との大ゲンカをしてもなお、
彼女はかたくなに自分の考えを変えようとしないのか?
僕にはさっぱりと見当がつかなかった。

そう考えてみると、僕は彼女のことを
本当は何も知らないような気がしてきた。
知り合って10年以上になるが、
もしかしたら彼女のことを知った気でいるだけで、
それは僕の勝手な思い込みなのかもしれない。
彼女はいったい何を考え、
これからのことをどう考えているのか‥‥。

まずは彼女の話に、じっくりと耳を傾けてみようと思った。

(つづきます)

第3回 体に悪いものには、お金を使いたくない。