もくじ
第1回違う価値観との向き合い方。 2017-05-16-Tue
第2回反対意見の、本音と建前。 2017-05-16-Tue
第3回体に悪いものには、お金を使いたくない。 2017-05-16-Tue
第4回家族は同じものを食べるべきか。 2017-05-16-Tue
第5回知ることは、怖くない。 2017-05-16-Tue

毎日、3歳になる息子から「おはよう、へびつかい~」
「ごはんだよ、へびつかい~」といわれてます。
ぼくがへびつかいシルバーで、彼がてんびんゴールド。
おかげさまで、パパのときよりも、息子と心が通じ合ってます。

なぜ彼女は「肉」を</br>食べようとしないのか?

なぜ彼女は「肉」を
食べようとしないのか?

第5回 知ることは、怖くない。

僕が病気を発症したのは、4歳のときだった──。

そう書きだすと重々しい雰囲気になるけど、
全然そういう話ではない。

さっきの妻との会話で出た「トラウマ」という話。
最後はこれについても、少し触れておこうと思った。
実際にはトラウマというほど大げさなものではなく、
「そういうこともあるよね」ぐらいの話ではある。
と、前置きはこれぐらいにして‥‥。

僕が病気を発症したのは、4歳のときだった──。

病名は特発性ネフローゼ。
腎臓病の一種で原因不明。
腎臓というところは、血液中の毒素を
尿として体外へ排出する働きがある。
ところが、ネフローゼを発症すると、
腎臓が毒素を排出するときに、
体に必要な栄養素もいっしょに
尿として排出してしまうのだ。
現在でも完治が難しい病気とされ、
国の指定難病にも登録されている。

ただ、僕の場合は有効な治療方法があり、
薬を飲むことによって
「また再発する可能性はあるけど、
症状がないときは普通に生活していいよ」
という状態(寛かい)を維持することはできる。
ちなみに、僕はお酒をたくさん飲むし、
フルマラソンを完走したこともある。
つまり、症状がなければ、
他の人と同じ生活を送ることができるのだ。

僕はこのネフローゼを4歳で発症してから
高校生になるまでの12年間、大げさな表現ではなく、
半分近くの月日を病院の中で過ごしている。
そういう話を人にすると「なんて辛い経験を!」
と思われるのだけれど、
まあ、本人的にはそんなに悲観的な感じもなく、
そのときはそのときで、
けっこう気楽に過ごしていたような気がする。

そうした病気の経験がトラウマ、ということではない。
先ほど妻が指摘していたのは、
そのころの僕の「食事制限」の話である。

長い入院生活を経て、病気の症状が落ちつくと、
僕は自宅療養が認められ、
念願のマイホームに帰ることができる。
もう、それはそれは、
跳び上がるほどうれしい出来事なのだけれど、
家に帰るとひとつだけ憂鬱なことが待っている。
それが、家族の中で
自分だけに課せられた「食事制限」なのだ。

僕の場合、腎臓の負担を減らすために、
できるだけ「塩分」を控えなければいけなかった。
大人ならば「病気のときぐらい」と
我慢できるかもしれないが、
わがまま盛りの子供には、
そんな自制心があるはずもない。
入院中ならそれほど気にならないが、
家族いっしょの食事となると、
やっぱりみんなと同じものを食べたくなってしまうのだ。

この食事制限は、本当に辛かった。
肉も魚も、なんでも食べることはできるけれど、
なにを食べても、とにかく味が薄いのだ。
素材の味を楽しむなんて余裕が
小学生にあるはずもなく、
塩気のない料理は、
ただの「味のしない料理」でしかなかった。

家族で食べた鍋のことは、
いまでもよく覚えている。

水炊きやしゃぶしゃぶといった鍋では、
家族が「胡麻ダレ」や「ポン酢」を使うなか、
僕は何も浸けずに食べなければいけなかった。
鍋自体にはダシがあるとはいえ、
鶏肉を食べても、白菜を食べても、
全然おいしいとは思えなかったのだ。

そんな僕を気の毒に思った母は
「ちょっとだけね」と言いながら、
ときどき僕の器にほんの少しだけポン酢を入れ、
それを大量のダシで薄めたものをつくってくれる。
そんな色の薄いポン酢でも、
僕にとっては貴重な「塩気」になるので、
それがうれしくてたまらなかったりする。
しかし、そんなやり取りをしている横では、
デリカシーのない兄が、自分の器に
真っ黒なポン酢をドボドボと
おかまいなしに注いでいたりするのだ。

並々と入った兄の真っ黒なポン酢と、
ほとんど無色透明に近い僕のポン酢。

それを何度も見比べながら、
もう、悲しいというか、悔しくて悔しくて、
いまにも出そうな涙をグッとこらえる
という経験は何度もしたことがあった。

小学生の頃、母に「みんなにも同じものを食べてほしい」
と、わがままをいったこともある。
そういう日は、家族みんなで
塩気のない料理を食べることになる。
醤油や塩をつけるのも禁止。
みんなは僕の望み通り、
僕と同じ味の薄いごはんを、ただ黙々と食べるのだ。
いつもよりちょっぴり会話の少ない夕食だったと思う。

それでも僕の気持ちが満たされることはなかった。
なぜなら、それは家族にとって
「今日だけの特別なごはん」であり、
外では味の濃いものを食べたり、
あとでポテトチップスを食べることだってできる。
そんなことは僕にもわかっていた。
それでもなお、僕はみんなと同じものを食べたかったのだ。
おいしいとか、まずいとかじゃなく、
ただ家族と同じものを食べたかっただけなのだ。

今回、妻の肉断ちに対して、
必要以上に反応してしまう僕の中には、
もしかしたら、こうした子供のときの記憶が
関係しているのかもしれない。
でも、それはただの憶測でしかない。
問題の原因がはっきりすれば、
文章的なおさまりはいいかもしれないが、
僕自身はそうすることに
あまり意味はないような気がしている。

ただ、ひとつうれしかったのは、
辛かったはずの子供時代の記憶が、
いまになって振り返ってみると、
家族との大切な思い出としてよみがえってくることだ。
そのことが、僕を少しだけ勇気づけてくれた。

妻との「肉問題」をきっかけに、
彼女と向き合い、自分自身と向き合い、
僕が考えたこと、感じたことは、
ひとまずこれですべてになる。

過去の記憶を思い出したからといって、
僕の考えが大きく変わることはなく、
僕がベジタリアンに目覚めることも、
家の食卓が肉料理で埋まることもなかった。

ただ、食卓に肉がないからといって、
前のようにイラッとすることはなくなった。
おそらく妻がどういうことを考えているか、
少しは理解できたからだと思う。
彼女には彼女なりの考えがあり、
それは家族を思っての行動なのだ。
自分とは違う考えだとしても、
僕はもっと彼女に感謝するべきだと思った。

それともうひとつ。
僕自身、今回あらためて気づいたことがあった。

それは「知ることは、怖くない」ということだ。

自分が知りたいと思うものは別にして、
「知りたくないもの」や
「知ることで影響を受けすぎるもの」、
そういうものに関しては、
これまで意識的に「知ること」を避けていた気がする。
知らぬが仏という言葉あるように、
知らないほうがいいことは、知りたくないタイプなのだ。

それでも僕は、
「知ること」「知ろうとすること」は、
とても大切なことだと思いはじめている。

すべてのことは「知る」ことからはじまる。
そりゃ、知りたくないこともあるだろう。
でも、まずは知ろうと努力すること、
ちゃんと知った上で、その人が何を思い、
どんな選択をするかは、その人の自由で、
尊重されるべきことなのだ。
知ることは、怖いことではない。
本当に怖いのは、知ったつもりで
何も知ろうとしないことなのだ。

僕はもっと知りたいと思った。
自分のことも、世界のことも。

なぜだかわからないけど、
その気持ちが世界をもっとより良くすると、
本当に心から思った。
すごく。

(おわります。最後まで読んでいただきありがとうございました!)