読み手として、生きること。田中泰延 × 糸井重里
担当・小森谷 友美
第3回 読み手として、書いている。
- 糸井
-
田中さんには「自分は文字を書く人だ」って
認識そのものがなかった時代が、
20年以上ある。
不思議ですよね。
- 田中
-
読むのは、ずっと好きだったんです。
- 糸井
-
‥‥今の田中さんの言い方を、
ちょっと頭の中で考えていたんですけど、
「読み手として書く」タイプの人なのかなぁと。
コピーライターって、書く人っていうより、
読む人として書いてる気がするんですよ。
- 田中
-
すっごく、わかります!
- 糸井
-
だから、視線は読者じゃなく、
自分に向いていて。
自分が読者として、
書いてくれるのを待っている、みたいな。
- 田中
-
おっしゃるとおりです。
すごく、すっごく、わかります!
- 糸井
-
すごいなぁ、これ、
お互い初めて言い合った話だね。
- 田中
-
むずかしいんですが、書くことは、
発信じゃないんですよね。
- 糸井
-
受信してるんです。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
でも、自分に言うことがない人間は、
書かないのかと思ったら大間違いで。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
「受け手という立場を、思いっきりのびのびと
自由に味わいたい!」と思ったときに、
それを誰が発信してくれるのかなと思うと、案外、
「俺だよ!」ってなるんですよね。
- 田中
-
そうなんです。
映画にしても、まずはその映画自体を観ますよね。
次にいろんな人がネットや雑誌で書いた評論を見る。
そうして、自分と同じ見方を探すわけです。
それで見つからなかったら、
「じゃあ、今夜、俺書くの?」ってなるんですよね。
- 糸井
-
受け取り方っていうのは、発信しなくても個性なんですよね。
自分の受け取り方とピタッと合うものを探しても、
なかなか見つからない。
だから「え、俺がやるの?」っていう。
それが僕の場合、広告の仕事になっていたんですよね。
- 田中
-
広告屋は、発信しないですもんね。
- 糸井
-
でも、受け手としては感性が絶対にあるわけで。
- 田中
-
そうですね。
- 糸井
-
自分がやっていることも、今わかったわ。
- 田中
-
(笑)
- 糸井
-
受け手として、なんで良いかと思ったかは、
自分に宿題にしているっていう。
いずれその答えがわかったら、またその話をする。
これはね、雑誌の連載ではできないんですよ。
インターネットだから、
いずれわかった時にまた書けるんですよね。
- 田中
-
でも、とりあえずその日はとりあえず、
「これがいいなぁ」ってことだけは、
伝えることができますよね。
- 糸井
-
そうです、そうです。
- 田中
-
「ツラツラ考えたんだけど、
前もちょっと話したけど、何がいいかわかった」って話が、
インターネットだとまたできるんですね。
- 糸井
-
だから、やりかけなんですよね、全部がね。
このことを僕はたぶんずっと、言いたかったんですよ。
そこをずっと探しているんだと思うんですね。