35年間、栗が嫌いだった理由。
それは、口の中の水分が全部取られるから、でした。
ということは多分、何度か食べたことはあったのでしょう。
記憶はありませんが、その度に、口の中がパニックに陥ったのだと
思います。
同じ理由で今も、きな粉は苦手です。
そして、匂いも苦手でした。
まだ地元にいた頃、習い事や買い物で絶対通らなければならなかった
甘栗屋の売店の匂いを嗅ぐたび、
なぜみんな、これを美味しいって思えるんだろう?
と、思っていました。
最初から皮を剥いた状態で売られている栗が画期的な理由も、
当時は理解できませんでした。
だって私の生活に、栗の皮を剥かなくちゃいけないという
”面倒くささ”は、存在しなかったから。
家族でケーキを買いに行っても、
モンブランを選ぶなんて考えられなかったし、
必ずモンブランを食べる母に「一口いる?」と聞かれ、
「だから嫌いって前から言ってるじゃん」と、
何度となく応えたことも、覚えています。
だから、そんな自分がまさか、
「甘栗むいちゃいました」を嬉々として買う日が来るなんて。
実家に帰ると、私のための甘栗(お徳用)が用意される日が
来るなんて。
赤ワインと甘栗って合うよね〜とか言う日が来るなんて。
誕生日とクリスマスと、ケーキを食べるタイミングでは、
必ずモンブランを選ぶようになる日が来るなんて。
(栗がのってるってだけで選んで、食べてみたらチョコケーキだった
という失敗経験もあり)
栗ごはんの栗を、グリンピースご飯のグリンピースみたいに
よけていた私が、栗多めで!っていう日が来るなんて。
20年前の栗が嫌いだった私に、
今の私は、なんて声をかけるのでしょう?
それは、栗を好きになった日のことを思い出しながら、
考えてみようと思います。