もくじ
第1回予告編には「おいしいところ」しかない。 2017-11-07-Tue
第2回予告編は「三分間の詐欺師」になれる。 2017-11-07-Tue
第3回予告編は「最高の編集力」を要する。 2017-11-07-Tue

書く人。
ウェブコラムや広告記事の他に、趣味で「付き合って5年目の彼氏と別れた後悔」を前向きに綴っています。

映画は「予告編」こそ面白い。

映画は「予告編」こそ面白い。

担当・花輪えみ

第3回 予告編は「最高の編集力」を要する。

前回、前々回と、広告としての「予告編」の魅力を
書いてきました。

これまで何度も書いてきたように、
「予告編」とは、本編の宣伝のためのものです。
それは引っくり返しようのない事実。

しかし、その本編は「予告編」にとって宝の山。
バラバラの素材の集まりです。

本編を全然関係ないところで区切り、
しかも順番を入れ替えて作品を作る。
ここで生きるのが、編集力です。

例えば、予告は本編の場面順序を変えてみること。
こんな魔法のようなことも「予告編」ではありえます。

「予告編」の素材となる、本編の場面。
その素材たちを異なった順序で使用する例として、
『ALWAYS三丁目の夕日』予告が挙げられます。

この予告編の後半では、次のように場面が進んでいきます。
観たことのない方は、淳之介(男の子)、
茶川(淳之介と血縁関係のないおじさん)と
置き換えていただけるとわかりやすくなります。

・淳之介が車に乗り込む直前に、茶川が「よかったな、本当のお父さんに会えて」と声をかける(4:00~4:05)
 
・淳之介が「おじちゃん」と叫びながら茶川に抱き着くも、茶川は「行けよ」と突き放す(4:06~4:11)
 
・淳之介が車に乗って去っていき、茶川はバックガラス越しに呆然とした表情を浮かべて立っている(4:12~4:13)
 
・茶川が「淳之介」と叫びながら家を飛び出し、淳之介を乗せた車が去っていた方向に走っていく(4:25~4:30)
 
・淳之介は走る車内で涙をこらえ、茶川は道でしゃがみこんで「淳之介」と泣き叫ぶ(4:31~4:34)

このような順番で映像が流れていきますが、
問題は、順序が本篇と異なっていること。本編では、
(4:06~4:11)と(4:31~4:34)の場面は逆の順序です。

この組み替えられた順序は、
前後関係をあやふやにして予告の先の展開を
読みにくくしていると推測されます。

映画の中には、その後の展開が想像しやすい
構成の場合もあります。
いわゆる「鉄板ネタ」を扱う映画であれば尚更です。

ただ場面の順序をシャッフルすることで
時系列をブラックボックスに入れ、
「どうなったの!?」と思ってもらえます。

さらに「予告編は、もう一つの本編の形」だと、
このようにも推測できます。

主人公が、こうしていたら。
もう少しだけ早く行動できていれば。
そういった小さな糸のほつれから生み出される
奇跡の映像なのです。

言い換えると、映画予告は、
単に本編の縮小版なのではなく、
本編とは別の、独自の物語に昇華させたものなのです。

もはや「予告編」は映画本編から独立し、
別の魅力が引き出された作品といえます。
しかし、スポットライトを浴びるのは本編の方。

本編が公開されるのと同時に、
その存在価値はどんどん薄まっていきます。
いつだって「予告編」は短命なのです。

たった数分に込められた思い、作品への愛、
そしてスクラップ・アンド・ビルドの編集力の結晶。
本編の始まりが命の終わりの「予告編」。

ものすごく不憫で、
ありえないほど美しいと思いませんか。

ここまで読んでくださったあなたが、
少しでも「予告編」を愛おしく思っていただければ、
これほど嬉しいことはありません。

(おわります)