もくじ
第1回好き勝手生きたあとに 2017-12-05-Tue
第2回社長としてはじめての小さな仕事 2017-12-05-Tue
第3回同僚でもある母に聞く 2017-12-05-Tue
第4回社長としての決意 2017-12-05-Tue

岐阜で生まれ育ち、現在は東京・武蔵野で家族三人、猫一匹と暮らしています。ファッションを中心に編集やライターの仕事をしています。狂おしいほどナッツが好き。最近のおすすめは中国発のスパイシーピーナッツ。

なりたくなかった“社長”になった日。

なりたくなかった“社長”になった日。

担当・なちまさと

第3回 同僚でもある母に聞く

母と話したのが最近おすすめだと言う焼肉店だったのだが、
ふたりで焼肉なんて生まれて初めてだ。
肉がジュージューと焼ける音が、
沈黙したときの間を埋めてくれる。

息子
率直に、家業から逃げていた息子をどう思ってた?
仕方がないと思ってた。10年前お義母さんが亡くなったとき、
とりあえず誰かに継がせなければいけなかったら、
結局了解もとらずにあなたを据えてしまった。
支えたりアドバイスをすればいいかなと思ってたけど、
あなたには東京での生活と仕事があって、
そんな余裕がないことは分かっていたはずなのに。
息子
いつまでも自由に生きられないのかと憤慨して落胆した。
だから、未練もないからいっそのこと土地と建物を
売り払ってしまえばいいと持ちかけたよね。
それを聞いて、現実を見せつけられた思いがした。
目をそらしていたことだけど、冷静な視点で見ると、
将来的には負荷がかかってしまうのは確かだもんね。
建て直すことは経済的な余裕がないからできないし。

息子
お父さんが亡くなってから、
目に見えて歯車が狂っていったよね。
お門違いなのはわかっているけれど、
ぼくはすべてを放り出して逝った父親を恨んだし、
極限まで働くことを強いていた会社を憎んだ。
でも、どこにも気持ちを吐き出せなかった。
そうね。
でも、生前は息子に継がせる気はないと言っていたのよ。
本当はもともと別の道に行きたかったようだけど、
否応なしに親の会社に入れさせられたから、
それを子どもに強制したくなかったんだと思う。
だから、あなたが東京で生活することを選んだときも
周囲の反対はあったけど、よくぞ意志を貫いて
押し切っていったねと感心したの。
逃げていくんだなとも思ったけどね。
息子
うん。岐阜からも家族からも逃げたかった。
縁を切る、というわけではないけれど、
当時は切り離して物事を考えたかった。
あれから20年近くたって、状況も感情も変化して
いまは納得しているけれど、
なんで勝手に了解もとらず社長にしたの?
それは謝りたい。本当にごめんなさい。
何の疑いもなく、あなたの気持ちを考えず
進めてしまったことを申し訳なく思っています。
これまでひとりで背負い込んでいた重圧はあったから、
あなたが会社のことを考えてくれるのは
運命として精一杯がんばってくれてるのかなと思った。
息子
運命は自ら切り開くものであって、
押しつけられた運命なんていらない。
今後、家業と向き合っていくことにしたのは
自分で決断したことだから。
意識しないと、価値観を押しつけてしまう。
そこは自覚的になったほうがいいと思う。
でも、ぼくと妹ふたりを育て上げ大学までやってくれて
感謝しています。お母さんも還暦過ぎて大学に入ったよね。
何に生かそうとかは特に考えていないのだけど、
勉強し直したかった。頭脳明晰な人に憧れもあって。
このまま大学院を卒業したらシュウカツかなぁ。
息子
え! 今から就活? 
ううん、“終活”のほう。
息子
早くない? 80歳を過ぎてプログラミングを学んで
スマホアプリを開発した人だっているよ。
すごいね!
でも、自分の体が動くときにやっておきたいから。
それ以外は、子どもたちが幸せに暮らしていれば
もう何も望まない。お父さんには、老後はいろんなところへ
連れていってねとお願いしていたのだけど、
約束を果たさずいなくなっちゃって。
不調に気が付いてあげられなかったのは
今でも悔いが残ってる。
今、なにか迷っていることはあるの?
息子
将来、岐阜に帰るかどうか悩んでいるよ。
子どものこともあるし、実家もあるし、
お墓を守っていかなきゃいけないだろうし…。
そんなの、もうはなから期待していないし、
いっさい思わなくてもいい。
生まれた土地に囚われることもあるけれど、
長い目で見ても人は本来移動しながら生きていくもの。
それは死ぬことも含めて。
移り変わっていくのはとても自然なこと。
だから、あなたが望むなら家を壊したっていいの。
わたしが住む掘っ建て小屋さえ作ってくれればいいわ(笑)

(つづきます)

第4回 社長としての決意