3 チェック項目の少ない時代。
上村
じつはわたし、父親っていうのが
あまり眼中になかったんですよ。
どうせ会わないから。
糸井
家で、ご飯をいっしょに食べたりは。
上村
ないです。ないです。
糸井
全然ないんですか。
上村
はい。
糸井
朝は寝てるんですか。
上村
寝てますね。
毎日5時ぐらいに帰宅するんですよ。
わたしが学校に行ってる間は寝ていて、
昼ぐらいに起きて、事務所に行っちゃう。
そこから描くんですけど、仕事が早かったので、
夕方になると、事務所でチビチビやり出して。
7時、8時ぐらいからは、飲みに行く体勢ですね。
9時ぐらいになるともう‥‥。
糸井
いないんですよね。
上村
みんなを引き連れて行っちゃう。
それで、また朝です。
ある意味、規則正しいんですけど(笑)。
糸井
そうですね。
上村
だけど、その規則正しさの中に
私に会うタイミングはないんです。
わたしが小学生とか中学生の頃は徹夜もしてたし、
土日もあまり休みがなかったそうです。
仕事が落ち着いてきたのって、
亡くなる何年か前ぐらいですね。
その頃には、わたしも高校生になっちゃって、
もうね、父の方が恥ずかしがって
シラフだと目も合わせられないんですよ。
糸井
お酒を飲んでないときは、
ほんとに恥ずかしがりでしたよね。
上村
そうなんです。
わたし、父に関する仕事を始めて、
まだ10年も経ってないんですけど、
父が遺した絵以外にも、その周辺の時代にあった、
人とか、ものが、すごく気になってきちゃって。
いろんな人にお話を聞くと、
すごくおもしろいなと思います。
今の人とは違って「太い」というか、
変な人ばかりでしたよね。
糸井
たぶんね、チェックリストの項目が
少なかったんだと思います。
これはやろうぜとか、これはやめようぜとか、
法律以外のルールというのを、
それぞれに持っていたんだと思うんですよね。
上村
なるほど。
糸井
当時のマンガに描かれてる世界だって、
今にしてみれば「それは犯罪でしょう」
ということも山ほどあるわけですが、
それって、誰も責めなければおもしろい話なんです。
「守らなきゃいけないのね」っていうルールを
みんな我慢して守っているわけですが、
時代にあわせて「どっちにします?」って、
迷いながら生きているんだと思う。
上村さんに付き合っていた編集者は、
午前中なんか会社にいなかったろうし、
酒くさい息を吐きながら、
原稿を取りにきていたんだと思うんですよね。
ルールに照らし合わせればバツなんだけど、
チェックをする人もいなかった。
だんだんとそうじゃなくなって、今に至るんです。
上村
そういうことですか。
糸井
今、しゃべっていて思い出したんだけど。
わたせせいぞうさんが出てきたばかりの頃に、
上村さんが、わたせさんの絵のことを
「気になる」って言ってたんですよね。
上村
へぇー、うちの父がですか。
糸井
上村さんのマンガにある、
血やら泥やら涙やら、さまざまな液体っぽいものが、
わたせさんの絵には、ひとつもないじゃないですか。
上村
はい。ないですね(笑)。
「悪の華」 ©上村一夫
糸井
まったく逆のものが、
おなじ雑誌の中で連載されるわけですよね。
上村さんが心の奥でどう思ってたかわかりません。
「達者な人ですね」と見ていたのかもしれませんが
たぶん、上村さんは「次はどうしようか」って
考えていたんじゃないでしょうか。
上村
はい。
糸井
「ちょっと、血の量を減らそう」とか(笑)。
上村
「ちょっと白目減らそう」とか(笑)。
糸井
だって、「やればやれる」って思ってますから。
それは手塚治虫さんとかもおなじです。
若い人が出てくるごとに、
「その世界で戦うんだったら、俺も戦うよ」
ぐらいのことは思ってるわけだから。
ああいう新しい何かが出てきたときには、
やっぱり気になるんだと思います。
「マンガストーリー」表紙 ©上村一夫
上村
劇画が、ちょっと古いものに思えるような
時期があったというのを聞きました。
時代の切り替わりというか、
その狭間に、ちょうど糸井さんは
いらしたんじゃないですか。
糸井
そうだと思います。
上村
マンガ家さんも、大友克洋さんが出てこられて、
『ヤングマガジン』で「AKIRA」の連載が始まって、
劇画が古いものに感じられた頃です。
ちょうど、時代の切り替わる時期だったんですね。
うちの父も、ちょっと迷走して、
SFコメディとか描いたりしていました。
今思うと、あの頃は大変だったのかなと。
糸井
大変でしょうね。
上村
糸井さんの立場からご覧になった
うちの父の世代の人って、どうだったんでしょう。
糸井
今、汀さんに言われて思ったんですけど。
「誰にモテたいか」だと思うんですね。
上村
ああ。
糸井
マンガを読む人にもいろいろいますが、
たとえば、水商売の女性とかで、
彼が買ってきたマンガを読み始める、
みたいな人が読むのが
『漫画アクション』だったと思うんですよ。
上村
そうでしょうね。
糸井
「上村先生が大好き!」っていうファンは、
着物を着るような人ですよね。
その人たちに「お、ウケてる」っていうのが、
劇画というメディアが持っていた市場でした。
上村さんは、『漫画アクション』的なものが
いちばん売れる時代にマーケットを持っていて、
そのマーケットの移動が、
自然に行われていったんじゃないかな。
上村
なるほど。
糸井
やがてはアニメというところに移行するんですけど、
紙のマンガをめくっている人よりも、
「テレビであれ見たよ」っていう人の方が
多くなることって、商売としてはゆゆしきことです。
上村
そうですよね。
糸井
たとえば「巨人の星」といったら、
「思いこんだら~」の歌とともに思い出しますが、
ぼくらは紙をめくっていたわけですよ。
「次の魔球はどんな仕掛けで消えるんだろう」って。
でも、アニメは一銭も払わなくても見られます。
マンガ家にとって、アニメへの移行っていうのは、
なかなかめんどくさい時期ですよね。
上村
たしかに、そうかもしれません。
糸井
劇画のお客さんが、徐々に身ぎれいになっていく。
上村さんにも、そういう時代の苦悩は、
当然あったでしょうね。
もし、今もまだ連載していたとしたら、
「こういうマンガを集めた純文学誌」
みたいになるんじゃないかなぁ。
上村
ああ、そうかもしれないですね。
父が亡くなる前には、
「これからは、もうちょっと純文学的な
 原作ものをやっていきたいね」ということで、
岡崎英生さん原作のマンガを描こうという
お話があったけれど、実現できませんでした。
生きていたら、一度は純文学に行ったでしょうね。
そのあとはたぶん、コンピューターに
ハマるんじゃないかと思っています。
うちの父は、意外と新しいものが好きだったので。
糸井
うんうん、それはあり得ますね。
やっぱり、おおもとのところに、
広告のデザイナーをやっていた時期があるので、
「人に伝わらなければ意味がない」という発想が、
かなり根強いんだと思いますね。
わかってくれなくてもいいものを
描いた覚えはないでしょうね。
上村
じつはわたし、
父がなんのために描いていたのかとか、
あまり、考えたことなかったので‥‥。
糸井
それはもう、飯の種ですよ。
アシスタントを雇わないと描けないし、
その人たちに機嫌よくやってもらうことを考える。
そういうことを考えると、マンガ家の人たちも、
会社の経営者みたいになりますよね。
そうしたらもう、筆も止まんないと思う。
上村
なるほど。そうなんですか。
(つづきます)
2016-4-13-WED