7月になりました。 前回のセミナーから約1ヶ月、また静岡へやってきました。 植えた苗は無事に育っているでしょうか? 登呂遺跡へ向かう前に、静岡市内にある古墳を見に行こうと思っています。
まいど! わたくしは、スソさんのかばんのなかから さまざまツッコミなどをいれております ミミズク土偶の健太郎、 略してミミケンともうします。 さて、古墳に行こうとおもって、 神社に行くということについて。 神社が建っている場所は もともとは古墳がある、 という場所が多くあります。 ミミケンの知っている場所だと、 東京の代々木八幡宮がまさにそれです。 境内で古墳が発掘されているんですよ。 スソさんいわく、 「なんかいい場所」と感じることが多いそう。 もしかしたら、眺めが良いかもしれないし、 風とおしがよい場所かもしれないし、 とのこと。
スソさんのかばんのなかで、 古墳をめぐった経験からもうしまして、 住宅地にあらわれる 突然のみどりのもくもくは、 多くの場合、神社な気がします。 もくもくになっている理由は 神社が小高い丘に建っていることも多いし、 大きな木がたくさんあります。
神社の名前は、読めそうで 正しく読めないことが多いですよね。 で、正式な読み方をみて、 「ああ〜、そうよむんだ〜」と あらためて関心をするということに なってしまうのでございます。
「なんて読むんでしょうか?」 の状態になっていますよ! スソさん!
な〜る〜ほ〜ど〜。 まず、訓読みなんでした………。 で、トラップは「祖」ですね。 これを「おや」と読むんだ! ああ、読めないこともないのですが、 思いつきませんでした。 ミミケン、思いつきませんでした。
さて、 最後の写真の看板をよみときましょう。 じつはこの神社は、明治以前には 摩利支天社という名前だったのでございます。 徳川家康が個人的に礼拝していた仏、 摩利支天を祀ってあるのです。 ただ、摩利支天は仏教の守護神であることから、 明治の時代に、「神仏分離」、 つまり、神社と寺院とを はっきり区別させる政策により、 「八千戈神社」と 名前をあらためたのでございます。 明治にはいろいろあったのですね。 ミミケンもこの世にいた気もしますが、 すっかりわすれています。
日本の寺院や神社は、 木そのものの色合いのものが多いので、 日光東照宮のような コテコテ絢爛豪華なものは なかなか無いですよね。 ミミケンも嫌いじゃないです。 ミミケンは彩色されるのは やぶさかではないです。
安倍川といえば、 「もち」でございますよね。 きなこをまぶしてたべるもちのことを 「安倍川餅」ともうします。 東海道の安倍川の手前の 茶屋で販売していたので この名前がございます。 ちなみに、江戸時代、 東海道が安倍川を渡るときは 人足に渡してもらっていました。 なぜならば、江戸幕府が 橋をかけることを禁じていましたから。 というようなことを書いても、 スソさんは古墳時代以前にしか 興味がありませんので 「ふ〜ん」というばかりなのです。 博物館などでも、 古墳時代以降は素通りです。 ミミケンは案外ほかの時代も好きですよ。
これにかんしては、 ウィキペディアの「賤機山」を スクロールすると、 地形図がでていますので、 いちど見に行ってみてください。 ……もどってこられましたか? 賤機山の位置、 なかなか面白うございますよね。 とても特徴的な地形です。 神社の位置も再確認。 この山の南の山麓にあります。
あらら、神社案内で終わってしまいましたが 古墳の周辺の地形を感じてもらえたでしょうか。 次回はきっちり古墳をご案内します! お楽しみに!