さてさて、午前中のひとり活動は終了。 午後からは登呂遺跡で「ARTORO」に参加します。 今回は『田んぼの土で土器を造る』です。
前回、スソさんは賤機山古墳で、 パーリー状態でしたので、 到着がややおくれたのです。 あ、もうしおくれました。 わたくしは、スソさんのかばんのなかから、 このように解説のようなものを ぶつぶつとしております ミミズク土偶の健太郎、 通称ミミケンともうします。
これは、 東海西部から関東にかけての地域で 弥生時代中期の後半から 古墳時代の前期によく使われていた土器です。 後期には底が尖った形になっている、 甑(こしき)がこれに替わって 使われるようになるのでございます。 ミミケン、この形とても好きです。 なんだかかわいらしいです。
思えば、粘土をつくるところから、 焼いて土器ができあがるところまでの 行程を考えると、 貴重品だったのだろうな、ということが わかりますもんねえ。 ミミケンも焼き物ですから、 土器のことを思うのは容易です。
スソさん、かなり立派なものを つくることになるのですね。 ちなみに、スソさんは帽子作家が本業ですので、 立体物の製作はお手のものではないかと ミミケンは思っていますが、 どうなんでしょうか。
台の部分でしたか……。 てっきり、壺部分かとおもって、 「スソさん、形変だけどなあ。」 などと思っていました。 失礼しました。 台が先、それはそうですね。
小さい不安定な底から、 まるっとして大きいものを 作っていくのは難しそうです。
ところで、写真に製作途中のものが みあたらないのは、 ズバリ! 粘土で手がべたべただったので、 シャッターがおせなかったのでしょう! (えっへん!)
土器はこの濡れたまま 焼くわけにはいきません。 いったん、からっからに 乾かしてから焼き上げて下さい。 ミミケンもいったんからっからに なったことがあるんですよ。 なんていっても、 素焼きの人形ですから、私。
次は、一気に秋のコメの収穫と 土器の野焼きへと進みます。 なんだか、お祭り感があります! 次回もおたのしみに!