第4回 未来ちゃんと日常写真家

糸井
小鳥さんが写真を撮るときにも、
撮られる人との距離みたいなものがありますよね。
自分も硬くなっちゃうことはあるんですか?
小鳥
あ、緊張ってことですか?
糸井
つい気張ったり、カッコつけちゃったことはない?
小鳥
あぁ、今は緊張しないですね。
緊張してもいいことが1個もないって気づいてから、
写真を撮るときには緊張しないです。
糸井
いつ気づいたの?
小鳥
最初は本当にすごく緊張してたんですよ。
でも、いつからか気づきました。
糸井
それは、最初の写真集を出してからですか?
それとも、出す前ですか?
小鳥
出してからかもしれない。
糸井
じゃあ、僕らが「川島小鳥」という名前を
知るきっかけになった『未来ちゃん』の時には、
まだ、その術は知らなかったんですか?
小鳥
その時には知ってました。
ふだんは本当に緊張するんですけど。
糸井
たぶん、僕が思ったのと同じようなことを
皆さんも感じたと思うんですけど、
『未来ちゃん』は、親が撮ったのかと思ったんです。
こういうタイプのポートレートってなかなかないし、
生活の中に入り込んでるじゃないですか。
「こういうの、親じゃないと撮れないんだよなぁ」って
思っていたわけです。
そうしたら、「作者がいる。他人だ」と聞いて、
「なんで撮れるの?」って思ったわけです。
その辺の思い出をちょっと語ってもらえませんか?
小鳥
女の子のお母さんが僕の友達で、
佐渡島のすごい田舎に住んでいるんです。
茅葺屋根でポットン便所、
その家に居候して撮っていました。
糸井
あぁ、一緒に暮らしたんだ。
小鳥
一緒に寝たり、ご飯食べたりして。
写真を撮りに行っていたんですけど、
一緒に暮らしていたっていう感じなんですよ。
糸井
どのくらいの期間ですか?
小鳥
1年間を行ったり来たり。
1週間泊まったり、2週間泊まったりを繰り返しました。
糸井
じゃあ、写真を撮りに来る
不思議なお兄さんだったわけだ。
小鳥
そうです。
糸井
へぇ。そうしたらこういう写真が撮れるわけですね。
いやぁ、最初びっくりしたんです。
『未来ちゃん』を撮っているカメラマンが、
どういうことを考えて、
どうして撮れたんだろうって考えていました。
僕らは全然、川島さんのことを知らない時だったんで、
このカメラマンは、女性だと思ったんです。
主人公の女の子が、屈託のない撮られ方をしてるから。
たとえば、篠山紀信さんとかがね、
「グッと近づいて!」とか言っても怖がっちゃう。
小鳥
(笑)
糸井
うん、まさしく距離感ですよね。
『未来ちゃん』の女の子と、
知り合いどうしみたいになるまでの間には、
失敗もあったんですか?
小鳥
あの、最初に撮れちゃったんですよ、まぐれで。
まぐれで撮れちゃったから、
「これを1年やるぞ」と思ってからが大変でしたね。
パッて撮ったら、すごくいい写真。
自分で狙って撮った写真じゃないから、
「なんだ、これは」と思って1年やろうと決めてから、
いかに自分を認識されないよう生きるか気をつけました。
糸井
空気みたいになるわけ?
小鳥
はい。
糸井
一緒にご飯を食べたりしますよね。
で、ご飯を食べてる時には、写真は撮らないんですか?
小鳥
いつおもしろくなるかわかんないんで、
起きている時はずっと、警戒態勢に入っていて、
最初は僕が警戒しすぎて、偏頭痛とかになったんです。
糸井
油断ならない状態をずっと続けてるわけだ。
その警戒態勢って、女の子の方にはうつりませんか。
小鳥
その警戒態勢も、できるだけゆるやかに見せるんです。
糸井
はぁー、そうだったんですね。
最初に撮れちゃったら、後が大変だという意味は、
仕事にしていない人には
なかなか理解できないと思うんだけど、
結局、自分の癖みたいなものが出ちゃって、
「いいね!」っていう瞬間は何種類もないんですよね。
途中で「あれ? 同じになっていくな」っていう悩みに、
僕だったらなるだろうなと思ったんですけど、
川島さん、その辺はどうでしたか。
小鳥
あっ、そうなったかもしれません。
でも僕の場合は、『未来ちゃん』を
1年間撮りきる前に『BRUTUS』の
写真特集で取り上げていただいちゃったんです。
ひそかに撮っているほうが簡単で、
「みんなに知られちゃったな」と思ったけど、
それでも集中しながら1年の撮影を終えました。
糸井
集中しながら、気張らないようにする。
心の平静を保つのは、簡単じゃないですよね。
小鳥
はい。ここで鍛えられました。
糸井
撮られる側に、「今が撮られる瞬間だぞ」
みたいなことを悟られちゃったらダメですよね。
小鳥
あ、幸いなことに大丈夫でした。
糸井
子どもだからかな。
小鳥
そうですね。あと、『未来ちゃん』の女の子は、
あんまり写真を撮られたことがなかったんです。
だから、写真が何かもあんまりわかってなくて。
糸井
たぶんお知り合いでしょうけど、
梅佳代さんなんかは、「撮られるぞ」っていうのを
意識している人たちを撮るのがうまいじゃないですか。
つまり、中学生のやんちゃな人たちが
「さぁ、来い!」って言っているようなものでも、
土俵に乗せて撮るじゃない?
小鳥さんは、その逆ですよね。
小鳥
そうですね。
糸井
逆に言うと、川島さんにとっては難しいですよね。
自転車の上で、なんか逆さになって
変な顔する子どもとかさ、
「撮れ」と言わんばかりじゃない?
あれは拾えないですよねぇ。
小鳥
はい、拾えないです(笑)。
糸井
真逆ですよね。
小鳥
はい。月と太陽ですから。
糸井
月と太陽か。ああ、そうかもしれない。
梅佳代さんは、自分の存在感を露わにして、
向こうも出させることで、その衝突を撮るじゃない?
だから、梅佳代さんは自分の写真のことを、
「報道写真」と言っているんですよ。
いま起こった世界の出来事を切り取るから、
「私は報道写真家だ」って言ってるんです。
じゃあ、川島さんは何写真だろうね?
小鳥
報道の逆ってなんですか?
糸井
報道の逆ですよね。暮らし? 非事件ですよね。
なんだろう。なすがまま? あるがまま?
(糸井重里は、対談後に東京へ帰る新幹線の中で、
 川島小鳥さんを「日常写真家」と表現しました)
小鳥
なんか、授業みたいでうれしいです。
糸井
いや、たしかに小鳥さんは報道の逆ですね。
梅佳代さんにカメラを向けられた時に、
「さぁ、おもしろい顔してやろう!」
となったら、その瞬間が報道になる。
でも、『未来ちゃん』の女の子は、
自分がすくい取られたことを知りません。
小鳥
僕の写真って、たぶんすごい話しづらいと思うんです。
糸井
語りにくい写真だけど、ずいぶんわかったね。