- 石川
- 日本を含めた東アジアにおいて、
書の問題について、
本気で考えなければならないことがあります。
- 糸井
- どういうことでしょうか。
- 石川
- 江戸の末期、徳川慶喜に対して、
日本で郵便制度を定着させた前島密という人が、
「漢字御廃止之議」というもので
「漢字を廃止しましょう」と提言しています。
つまり、漢字というものが東洋を遅らせた。
西洋は音の記号の文字だから発展した、
と考えたのです。
その考えは間違いだったのですが、
その呪いが今も続いています。
そうじゃなくて、
東アジアの言葉の根本は、文字なんです。
話すことじゃなくて、
書くことがベースにあるんです。
漢字は、東アジアの共通語なんです。
- 糸井
- 縦糸、横糸みたいに、
発声される言葉と書き付けられる言葉の、
二つのものが支え合っていたわけですね。
- 石川
- そうそう、そうそう。
だけど、その共通基盤として、
例えば、一番大事な政治だとか、
哲学だとか、それから倫理だとか、
そういうところは、
いまだに漢字しか担っていないんですよ。
例えば、「日本国憲法」を漢字を使わないで
和語で言ってみなさいって言ったって‥‥、
日の本の国の憲の法の決まり
(ひのもとのくにののりののりのきまり)、
これは不可能なんです(笑)。
- 糸井
- そういう冗談で遊びはしたことがあります。
あらゆる漢字熟語を大和言葉で言う、
ものすごく大変なことですよね。
- 石川
- 漢字語が、漢字文明圏の共通基盤としてあります。
日本語の場合には、それとはまた別の
平仮名語の分野があって、
四季を詠う『古今和歌集』と、
それから『源氏物語』のような
恋愛の表現が豊かに広がっています。
これらは平仮名がつくり上げた世界。
漢字と平仮名の両方を合わせて日本語です。
- 糸井
- はい。
- 石川
- 日本語というものに対する認識が間違っているから、
日本語政策もちゃんと打ち出せないんですよ。
歌人の尾崎左永子さんと、
鎌倉文学館の館長の富岡幸一郎さんと
話していたんですけれども、
変体仮名と言われているあの文字を、
わずか百字、覚えればいいんです。
これを中学時代に教えてしまえば、
日本語は、根本的に変わりますよ。
- 糸井
- ちょっと僕、変体仮名については、
まったくわかっていません。
つまり、漢字の先祖が
ちょっと浮かび上がるような仮名ですよね。
- 石川
- 昔の日本では使われていた字ですが、
明治時代の小学校令で、
一音を一字にしちゃったんですね。
例えば、「に」という字はこういうふうに書きます。
- 石川
- 「尓」=「爾」がもとになった字ですね。
もともとは、このほうが
はるかに多かったんですよ。
平仮名の「に」は、「仁」が元になっていますが、
明治の人たちは、「仁」をほとんど書かずに
「爾」のほうで書いていました。
一字あたり、変体仮名を二字ぐらい覚えるとね、
明治から平安時代の人が書いた文章まで読めるんですよ。
今の人はもう、拒絶反応で読めませんからね。
例えば現代の「は」は、「波」から来ていますけど、
こんな「は」を書く人はほとんどいませんでした。
「は」っていうのは、「者」から来た字が多かった。
平安時代からずっと、ほとんどの「は」は、
これを書いてるんですよ。
- 糸井
- 平仮名の「は」は、
「者」から来ているんですか。
- 石川
- そうです。
- 糸井
- 知らなかった!
せいぜい、変体仮名で知っているのは
お蕎麦屋さんの看板ぐらいですよ。
- 石川
- 生蕎麦の看板、お手元、
あとは、汁粉(しるこ)ですね。
ああいう形で残っていますけど、
そういう変体仮名とされた文字を
中学校でわずか百字ぐらい
プラスアルファで覚えるようにしたら、
「ああ、古筆って難しいわね」
なんてことも言われることもなく、
ほとんどの古い文章が読めるようになりますよ。
- 糸井
- 「うふぎ」だと思ったら、
「うなぎ」と書いてあったとか。
「おきふ」だと思ったら「おきな」。
- 石川
- 変体仮名を教えてあげれば、
仮名に対する興味、
古典に対する興味がガラッと変わりますよ。
一字に二字ぐらい覚えればいいんですよ。
- 糸井
- 五十音の表を三コマぐらいずつに
していけばいいんですね。
ああ、これはできますね。
- 石川
- 今からでもできますよ。
文化の水準を変えることになると思いますよ。
みんな、もう読めないから
難しいものだと思っているけれど、
ちょっと努力したら読めるということになれば、
古典に対する印象が変わってきます。
- 糸井
- 十返舎一九程度の作品は平仮名が多いから、
全部読めちゃうということですね。
読めないと決めつけていたんだけれど、
読めるようになるんですね。
- (つづきます)