石川九楊の「書」だ。
(7)展覧会は子別れの儀式
糸井
石川さんの展覧会のポスター、
これは何が書かれているのでしょうか。
石川
『歎異抄全文』です。
糸井
へえー! こんな書体もあるんですね。
石川
これは29年前、バブルの頃ですかね。
糸井
読もうとしたら、
読める文字があるんですか。
石川
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて‥‥」、
現物はね、もっと大きくて、
ちょっとすごいですよ。
糸井
もちろん、今回の展覧会には出ますよね。
石川
もちろん、出ます。
糸井
これは、筆で書かれているんですか。
縦線も、横線も。
石川
普通の筆です。
筆は何にでもなるんですよ。
糸井
この、まっすぐな線は、
意識なさってるんですか。
石川
もちろん。垂直芸術ですから。
糸井
いやあ。ものすごい、まっすぐ(笑)。
これはでも、速度が追えそうにないのですが。
石川
いや、ずっとなぞって書いてみられると
わかるはずですよ。
そんなに速くは書けません。
すーっと書いたら、揺れますから。
糸井
なるほど。
石川
筆先で刺していくように書くんです。
糸井
刺繍みたいに。
石川
そうそう、そうそう。
糸井
この上に書いている「書だ」という文字は、
速度感を感じやすいですよね。
そのまま見ても、「おおっ!」となる。
石川
そうですか。
糸井
ぼくが興味を持っているのは、
石川さんが書かれている中で、
反故にする、捨てられていく書っていうのは、
何があるんでしょう、ということです。
たぶん、反故もたくさん作ってるわけですよね。
石川
反故になるっていうものは、
筆を下ろしたときの、
「さわり」が予想したものと
違っている場合ですね。
その「さわり」で、
だいたい第一画がどのように
仕上がるかがわかるんですけどね。
糸井
あ、そうですか。
第一画で、もうわかる。
石川
最初の文字の第一画の具合ですね。
それでもう、失敗だっていうのはわかります。
最初の、一字、二字ぐらいまで行けば、
全体として、どういう基調で
仕上がってくるかがわかります。
糸井
ああ、なるほど。
石川
もう一つ反故にしてしまうものがあります。
じつは、失敗だとしてはねている自分、
というのは過去のものです。
だけど、作品そのものの新しい世界は、
過去を超えて立ち上がってきます。
新しい世界が立ち上がってきたと、
うまく捕まえなければいけないのだけども、
それを見なれないものだから失敗だと思って、
捨てたものもあるでしょうね。
糸井
もっと未来につながりたいのに、
今までの最大限が出てもおもしろくないな、
というような志の問題ですか。
石川
人間は絶えず変わっていくものです。
変わっていくものだし、変わっていかなかったら、
本人が気づかなくても確実に頽廃していきます。
徐々に自分に嫌気がさしてきますから、
絶えず新しいものを作っていかなきゃならない。
新しいものっていうのは、
異な顔立ちでやってきますから、
今まで待ち望んでいたものだというふうに
捕まえられりゃいいけども、
そうでない場合には、
あっ、失敗だと思って捨ててしまうこともある。
糸井
捨てる判断が間違っていたなんてことも、
あり得るんですね。
石川
そう、それはあると思います。
糸井
そう聞くと、よくわかりますね。
保留にしておくということも
ありますよね。
石川
もちろん、それはありますね。
ある程度、ゆるやかな目で、
ちょっと置いておくものはありますね。
なんか気になるんですよ。
いろんなまずい所があるけど、
それがこれまで見えなかったものの
出現であったりする。
展覧会なんて、基本的にぼくは、
子別れの儀式だと思うんです。
糸井
子別れの儀式ですか。
石川
書いた時には、自分が生んだ
手ざわりが残っています。
まだちょっと、感情がつながっているわけですよ。
そこで一日、二日、置いておいて判断する。
そして、展覧会にぽんと出すと、
今度は自分が観客みたいな顔をして見ることになる。
そうすると客観的に見られる。
「えっ、お前、意外とやるじゃない」と
受け容れることにもなります。
糸井
過去の作品と、今の目は違うんですね。
石川
やっぱり作品って可愛いから、
自分とへその緒がつながっている感覚ですね。
書いた時には、感情が残っているんです。
「失敗した」、「うまくいった」とかね、
「手元が狂った」とかね。
そういうことが作品にベタッと張り付いていて、
作品は独立しているはずなのに、
なかなか独立してくれないんです。
だから、自分から切り離して見られる展覧会は、
いい機会だと思いますね。
糸井
子離れは子離れで難しいんですね、親として。
違う良さが見えてくることは、当然あるでしょうね。
石川
ぼくも今、展覧会を開催するのは、
非常に興奮しているんですよ。
おもしろいものになるんじゃないかと。
糸井
人に会うわけですからね。
いい時期に、いい企画でしたね。
(つづきます)
▲「歎異抄No.18」