『リンドバーグ』という絵本があります。
トーベン・クールマンという
ドイツ生まれの作家が描いた本で、
彼にとって、これがデビュー作になります。
一匹のネズミが大冒険するこの本は、
昨年、スイスで出版されるやいなや
たいへんな反響を呼び、
じつに22の言語に翻訳されて
60もの国で売られることになりました。
糸井重里もこの絵本を手に取り、
読んでたいへん気に入って、
その日のうちにこんなツイートをしました。
おもしろい映画一本観たような読後感。
興奮させられます。そうとうオススメします。
折しも、その1ヵ月後、
絵本を描いたトーベン・クールマンさんは
日本を訪れることになっていました。
トーベン・クールマンさんの日本での予定表に
糸井重里との対談が書き加えられ、
ある土曜日にふたりは笑顔で握手しました。
- 糸井
- この絵本はもともと
大学の卒業制作として描かれたそうですね。
それが、最終的には、
世界中で出版されることになって、
ご本人はどう思ってるんでしょう、いま。
- トーベン
- もう、ただただ、びっくりしてます(笑)。
- 糸井
- (笑)
- トーベン
- なんの期待もしていなかったので、
突然、降って湧いたようなことで。
- 糸井
- といっても、それだけの実力は
お持ちだったわけですよね。
技術にしろ、経験にしろ、
たくさんの蓄積があるからこそ
こういうすばらしいものが
描けるのだろうと思うんですが、
トーベンさんは、いつごろから
絵を描いてらっしゃるんでしょう。
- トーベン
- 小さいころから絵を描くのが好きでした。
線で絵を描くのも、
いろんな色で絵を塗るのも、
どちらも大好きでした。
幼稚園ぐらいのころから
そういう感じだったんですが、
いま思えば、描くことで、少しずつ、
幼いなりに世の中を理解していった気がします。
描くことによって、
「それがなんであるか」を理解する。
「それがどうなってるか」を理解する。
そのやり方は、大人になったいまも、
消えずに自分の中に残っていると思います。
- 糸井
- 絵は、誰かに習ったりしたんですか?
- トーベン
- ある程度成長してから、
イラストレーションと
デザインの勉強はしましたけど、
それまでは、ずっとひとりでした。
- 糸井
- そうですか。
この絵本って、いってみれば、
「大作」だと思うんですね。
きちんと世界ができあがっていて、
緻密に構成もされている。
で、いまって、こういう大作をつくるには、
わかりやすい例がハリウッドですけど、
組織の力が必要だと思われている時代で。
ぼくは、そういう大きな組織の力を、
まったく否定しないんですけど、
それにしても、この『リンドバーグ』のような
練り込まれた「大作」が、
ひとりの人によってつくられたということに、
うれしい驚きがあります。
ひとりの人の中に、
大きな組織があったのかな、って(笑)。
- トーベン
- ありがとうございます。
でも、たしかにいま絵本を見ると、
ぜんぶ整理されていて、
ひとつのまとまりとして
きちんと計画されているように
思えるかもしれないんですけど、
実際は、かなり試行錯誤していて、
ずいぶんぐちゃぐちゃだったんです。
本のなかには、さまざまな要素がありますよね。
絵はもちろん、物語もありますし、
構成も考えなくてはいけません。
それらのものがばらばらにあるとき、
なにかひとつがうまくいかないと
ぜんぶが止まってしまうんです。
ですから、そういうときは、
いったんクリアして、リスタートする。
その作業がとてもたいへんでした。
その意味では、じつはこの本は、かなり、
まっすぐではないプロセスを経ています。
- 糸井
- でも、それをぜんぶ、
ひとりでやったわけでしょ?
- トーベン
- そうですね(笑)。
これは卒業制作だったので、
担当編集者もいません。
こういう本をつくってくれ、
というような構成のメモもないですし、
スケジュールすらかなり柔軟で、
自分次第というところがありました。
そういう意味では難しかったですね。
ただ、なにか壁にぶつかって止まっても、
「あ、そうだ!」というひらめきが湧いて、
次に進んでいく、というようなことで、
なんとか完成までこぎつけました。
- 糸井
- すごいことです。
あの、この絵本のなかには、
絵を描いたり物語をつくったりする
技術のほかに、もうひとつ、
「科学的な視点」というのが、
組み込まれていると思うんですよ。
たとえば、ネズミが飛ぶとしたら、
「その仕掛けはこうであるはずだ」
っていう理屈がきちんと通っていて、
それが絵のなかにも表現されているんですね。
現実的には実現できないかもしれないけど、
説得力を持った絵になっている。
- トーベン
- それも、子どものころから
自然に身につけたことだと思います。
たとえば、なにかを見たとき、
「これはどうやって動くのかな?」
というような興味が小さいころからありました。
発明家に憧れたりもしましたし。
ですから、この本の絵を描くときも、
なるべく現実的に、実際につくれるもの、
実際に動くものになるべく近く、
というふうに、考えて描いていました。
- 糸井
- そういう「現実的な視線」がとてもいい。
たとえば、この本には、主人公のネズミを
見張っている敵役のフクロウがいるんですが、
そのフクロウは無限に強いわけじゃなくて、
雨の日なんかに、羽根を濡らしながら
静かにじーっと煙突にとまって
ネズミを見張っていたりする。
そのあたりの表現が、とてもいいんです。
それは、ネズミが空を飛ぶ仕掛けを
現実的に考えることと同じように、
生きるということの仕組みも、しっかりと
とらえようとしているからだと思うんです。
- トーベン
- そういう意識はたしかにあります。
いろんなものがつながっているというか、
技術的なものだけでなくて、
生きているものも、つながりがあるんだと。
物語をつくっていくときも、
機械や背景だけでなくて、
生きているものも同じようにリアルに描く。
小さくて、発想力豊かなネズミを取り巻く、
さまざまな感情というのも、
物語のなかに盛り込んでいく。
それができたのかなと思います。
- 糸井
- あ、このページですね、
いまぼくが言ったフクロウのところは。
ぼくは、ここがすごく好きなんですよ。
敵役のフクロウが、雨に耐えて、
身じろぎもせずに煙突にとまっている。
後半のスペクタクルなシーンと比べると
地味かもしれないけど、
作家の力量を静かに表していると思う。
- トーベン
- ここは、そういう意味では、ある種、
抑えを効かせたようなシーンだと思います。
物語全体のなかでは、主人公のネズミを
なるべく弱いものとして描くよう心がけました。
小さくて弱くて、いつも誰かに狙われている。
そういった要素を強めていくことが、
この物語に一本筋を通すカギなのかな、
と思って描きました。
- 糸井
- それにくわえて、
「強いはずのフクロウの小ささ」も
この絵には表れていると思うんです。
ネズミを見張っているフクロウを
さらに上の視点からとらえている。
もっと、下からフクロウを見上げて
絶対的な存在として
描くこともできたと思うんです。
実際、そうしたほうが効果的なところでは
フクロウを神のごとく描いてますよね。
ほら、こことか。
- トーベン
- ああ、そうですね。
- 糸井
- でも、ときにはフクロウも
ちっぽけな動物として描く。
そうすることによって、
小さなネズミからフクロウ、
そしてその先にある宇宙みたいなところまで
つながっていく世界が表現されている。
- トーベン
- たしかにそうかもしれません。
フクロウを描くときの大きさが
いろんな効果を生んでいる。
教会から飛び出ようとするシーンでは
ものすごく大きく、
非常に強く、怖いものとして描いています。
それが、飛び立ったあとは、
ものすごく小さく見える。
- 糸井
- いやぁ、見事ですよ、ほんとに。
『バットマン』の映画の
ジョーカーの描き方とか、
ああいうのを思い出しますよね。
- トーベン
- どの『バットマン』ですか?
- 糸井
- ええと、あの、ほら‥‥
亡くなった役者さんがやったやつ。
- トーベン
- ヒース・レジャー?
- 糸井
- ヒース・レジャー、ヒース・レジャー!
このフクロウに感じるんですよ、
『バットマン』のジョーカーと同じものを。
- トーベン
- (笑)
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