子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。
長編サンデー
- どうも、日曜日ですー。
-
日曜日ですねー。
きのう、どっか行った?
-
きのうは家を掃除してました。
いま流行りの『断捨離』とか
『人生がときめく片づけの魔法』を
読みましてね、一気にやった。
- ほう。家、きれいになった?
-
なった。いっぱいゴミでた。
ゴミ袋いっぱいに入った、
いままで自分の買ったものを振り返ってね。
- うん。
- 人の一生ってなんやろうって思ったわ。
- おおげさやな。
- はれやかな気分の日曜日、今日は長編特集です。
-
ふだんの連載では入りきらない大作を
集めてみました。
-
ひとつひとつはそんなに長くないので、
お時間のあるときに。
- お読みくださいねー。
長編こども
私がまだ4才くらいの字を覚えたての時、 日暮里駅で母と電車を待っていました。 そして駅の看板を見て 「こっぽり」と声に出して読んだのです。 にっぽりの「に」の字の左の棒が 読めなかったみたいです。 母は大笑いして「『に』よ〜、にっぽり」 と教えてくれたのでした。 周りの大人も笑っており、 とても恥ずかしかったのを覚えています。 その中に金髪の男の人も微笑んでおり、 その人は座席に座ると 私をひざに乗せてくれました。 私は外人さんが抱っこしてくれたのがフシギで 「こっぽり」って国の名前だったのかな? この人は自分の国の名前を私が言ったので きっとうれしくて抱っこしてくれたんだ。 と、幼いながらに合点しました。 そしてその時から 「こっぽり人」が大好きになりました。 それからしばらくして 叔母が結婚相手を連れて来た時、 私は本当に驚きました。 叔母の結婚相手は金色の髪だったのです。 「こっぽり人だ!」 こっぽりと私には 運命的な縁があるんだと思いました。 そして普段の引っ込み思案も忘れて 「私が大きくなったら こっぽりに連れて行ってくれますか?」 意気込んで叔母の婚約者に尋ねたのです。 「???」 その場の空気が?だらけになって 最終的に私は自分の間違いを 優しく正されたのでした。 こっぽりがこの世にないなんて‥‥ こっぽり語も勉強出しようと思ったのに‥‥ 今までの人生(5年弱)の大半を (こっぽりから4ヶ月位) 勘違いして生きて来たなんて‥‥。 ふくらみ続けていた夢が一気に弾けて、 この先もう楽しい事なんか 無いんじゃないかと思えて しょげ返って一人でシクシク泣きました。 そして大人になった今も 盆と正月は皆に笑われています。 ある意味、こっぽりとは 運命的な縁が続いてますかね。 (月の鼻輪熊)
彼岸になると、いつも家族に言われる 私が小さい頃の話。 家の裏の神社でいつものように、 泥まみれになって遊んでいた私をみて、 血相を抱えながら走ってくる母。 自慢げに今日の収穫を見せる私。 「らっきょ! らっきょ! らっきょ漬けたよ!」 私が手にした梅干しを漬ける 赤いふたつきビンを取り上げた母は、 勢いよく神社の土手をかけおり、 私が「らっきょ!」と 呼んでるものを捨てはじめた。 「あんたなにやってんの! これ食べたら死ぬんやで!!」 私は神社に咲きほこる真っ赤な彼岸花の 球根をすべて掘りおこし、 皮をむき洗い、ビン満タンに漬け込んでいた。 翌年から、見事というほど、 一輪の花も咲かず、そのたびに 「この子は‥‥」とだれかれと このエピソードを話し出す母。 そんな私が25歳の彼岸、携帯に1本の電話。 母は猛烈な勢いで、言いました。 「咲いた! 咲いた! 咲いたで! あのあとお母ちゃんが 土をかぶせにいったからや! あーよかった〜」 彼岸花を見るたびに思い出す、 そんな私も4歳の息子をもつ母に。 彼岸花を掘ろうとしない息子をみて、 まだまだ甘いな、と心でガッツポーズです。 (yoko)
4年ほど前のことです。 当時まだ小さかった子どもたち3人を連れ、 スーパーのレジに並んでいると、 前の方で具合を悪くされたおばあさんが。 聞けばお一人暮らしとのこと、 お店の人とも相談して、 お家まで車でお送りすることにしました。 その一連のやり取りを かたずをのんでみていた子ども達。 おばあさんが車から降りた後は 「びっくりしたよ〜」 「どうなるのかと思った!」 「おばあさん、お家に帰れてよかったね」 などと口々に言っていました。 無事に玄関までお送りすることができて ほっとしたようでした。 そして、5歳の息子がぽつりと、 「おとなって、いいよね。 こどもだと、こういうときできること、 なんにもないもんね。 はやくおとなになりたいなあ」と‥‥。 なんというか、子育て冥利につきるなあ、 という気持ちになりました。 その気持ちを忘れないで大きくなってくれたら、 お母さんほかにいうことないよ。 今まで誰にも話したことはなく、 宝物のようにしていたエピソードです。 だったのですが‥‥。 現在アホアホざかりの年齢になった彼は 「やっぱさー、大人ってたいへんそうだよね! ずっと子どものままでいれたらいいのになあ」 ですって。 もうちょっとおぼえててくれ‥‥。 (ぽち)
2年前、長女が小学校4年生のときに 私が入院しました。手術も無事終わり、 その後の経過も順調で明日退院、という日。 夫に「明日退院になったから迎えにきて」 と電話。ふと、子どもたちを びっくりさせたい! と思い 「子どもたちには内緒ね」とつけ加えました。 そして翌日。退院したのがバレないように、 靴をしまったりバッグを隠したり。 あっ、帰ってきた。 「ただいま〜。あれ? 何でパパいるの?」 「今日は仕事が早く終わったから」 「ふーん」と言って 洗面所で手を洗っています。もう私ドキドキ! そしてリビングへ来た長女。 私の顔を見て‥‥(5秒間沈黙の後) 「おばけ?」 そのときの顔、忘れられません。 驚きのあまり、喜ぶのを忘れてしまったようで、 10秒後、「キャ〜、ママだ〜」と 抱きついてきました。 (ぺんぎんくん)
息子が、小学校1年生のころ、 家族でお出かけして、 疲れて電車で家に帰っている時のことです。 電車から降りる際に、 うっかり鞄を置き忘れてしまい、 すぐに気づいて戻ったところ、 駅員さんが、その鞄を、 忘れ物として届けようとしている所でした。 「うちのかばんで〜す!」 と、伝えたところ鞄に名札を付けていたので 「手続き上、この鞄が本当に ○○○さんのものか、 何か証明出来るものは、ありますか?」 と、言われ 旦那が、免許証を出そうとしていたら、 息子、名案が思いついたようで、 「あっ! 僕のパンツに、 お母さんが、名前書いてくれてる!」 必死で、駅員さんにパンツを見せて 自分たちが○○○であることを 証明しようとしてくれました。 笑ってしまったけど、息子は必死! 旦那の免許証で、確認は取れて 無事、鞄は戻ってきましたが、 息子の身分証明書は、今もパンツです。 (荻ママ)
今はもう成人した甥っ子と姪っ子の話です。 義姉が体調を悪くして横になっていた夕方 「ねえ○○ちゃん、おなかすいたねえ」 という長男(当時4歳)の声。 「うん、にいに、おなかちゅいた」 と妹(当時2歳)の声。 ご飯の用意をしてあげなきゃと思いながら、 どうしても起き上がれなくて うつらうつらしていると、 キッチンのほうで、なにやらゴソゴソと物音が。 ああ、食べるものをさがして包丁とか 触ってしまったら危ないと、 ようやく起き上がった義姉がキッチンをのぞくと 「○○ちゃん、おいしいね」 「にいに、おいちーね」 二人の手の中にはご飯茶碗が‥‥。 4歳の兄が、妹の分と二人分のご飯をよそい (ジャーの蓋は開けっ放し) 生卵の殻を割って、 (机の上は、玉子の殻やら、 こぼれた白身やらでドロドロで) お醤油をかけて。 (お茶碗の中は、すごく茶色) 「ぼく、たまもかけごはん、つくったの。 おかーさんもたべる? おいしいよ」 「おいちーよ」 満面の笑みのふたりを 泣きながら抱きしめてしまったの。 と誇らしげに話してくれた義姉でした。 (ぼんぼん@あの頃は20代)
不思議すぎて怖い話ですが、 長男が、2歳直前の時のことです。 当時、関西に住んでいましたが、 主人の仕事の都合で 関東方面へ引越しする予定になってました。 私は妊娠初期で、あまり動けなかったため、 引越し先の社宅の部屋を掃除しに、 主人と義父が、金曜の深夜から、 実家の車を飛ばして 週末に行ってくれることになりました。 夕方、いったん仕事から帰宅した 主人の顔を見るなり、 ついさっきまで寝ていた長男、おもむろに 「くるま、あむない」 車、危ない? 主人と私、思わず顔を見合わせました! いつもなら、おかえりってまず言うやん‥‥。 寝ぼけてる? でも今から車乗るやん‥‥。 もうそっから主人は怖がってしまって、 「絶対やばいって‥‥」 と、義父が「大丈夫やって〜」って言うのに 結局、新幹線で翌朝に行ってました。 で、数日たって今度は義母から電話が。 「翔太郎ちゃん、正解でした〜」 義父と義母が、その後車で出かけた時に、 何かタイヤに違和感があるので調べたら なんと釘がいっぱい刺さってたそうです! 釘を抜いたら「ぷしゅ〜」っと 空気が出てきたそうで‥‥パンクです。 あの時、深夜に高速を走っていたら、 事故とまではいかないまでも、 ちょっと大変なことになってたかもしれません。 いや〜、偶然なのかもしれないけど、 不思議でちょびっとゾッとする想い出です。 (あびか)
子がまだ3歳でプレ入園の頃、 体験保育に行った幼稚園に すっごく可愛い先生がいました。 「ママ! ようちえんにパフィがいる!」 と、息子はその先生に一目惚れ。 (パフィの「♪いい〜かんじ〜」が 大ヒット中の頃でした。) その後、その幼稚園に入園してからも ずっとずっとパフィ先生が大好きだった息子。 いつも先生にまとわりついては、 「ぼくがおとなになったら、 およめさんになってね」と言っては、 結婚の約束を交わしていたそうです。 その言葉は、年中さん、年長さんになっても ずっとずっと続いていて‥‥。 ところが。 まもなく卒園、というある日のこと。 「大人になったら何になる?」 という話題になったので パフィー先生がそばにいた息子に、 「R君は大人になったら 先生のことをお嫁さんにしてくれるのよね?」 と笑顔で尋ねたそうです。 すると息子は冷めた口調で 「俺が大人になったら 先生はもうオバサンじゃーん!」 と言い放ったそうです。 先生、大ショック! すぐに私に報告してくれました。 母も大ショック! 子どもは、自分が大人になる頃には 周囲の大人達は今よりずっと歳をとっている、 といつか気付く日が来るのでしょうが‥‥。 あまりに突然その日がやってきたので こちらの心の準備が出来てなかったというか、 とにかくビックリ仰天してしまいました。 一人称も「ぼく」から 「俺」になったことも大きな変化。 おまけに語尾の「じゃーん」っつうのも‥‥。 ああ、卒園とともに「可愛いちびっこ時代」も 卒業していくんだな、と思い知らされました。 (猫まんま)
私が幼稚園児だった頃の話です。 警察官の父にお弁当を届けるため、警察署へ。 「ひとりでいく」と言ったらしく、 母は車で待っていました。 玄関に向かって歩いて行くと、 ちょうど制服姿のおじさんと、 普通の服を着たおじさんが、 向かい合わせになって、 なにやら話をしているところでした。 私は、(今でもはっきり覚えているのですけど) 「こっちのおじさんの方がやさしそう」と思い、 普通の服を着たおじさんの方に近づきました。 そしておじさんを見上げて、 「おとうさんは、どこですか?」 そう言った瞬間、署内の奥の方から 慌てて走ってきた父に、 ガッ! と抱き上げられ、 ダーッ! と走って署内に連れていかれました。 制服を着た人たちは、なぜかみんな爆笑です。 のちに聞くと、私が話しかけたおじさんは、 「一晩泊まって釈放される人」だったそうです。 まさに、「もうやるなよ」と 諭されている場面だったのかもしれません。 じゃましてゴメンなさーーい。 だって優しそうに見えたしー。 (aikooop)
娘(姉)と息子(弟)がいます。 元気に生まれた息子が 小1の時にかかった病気のため 知的にも身体的にも最重度の障害が残りました。 医療的なケアも欠かせず、 息子のそばを離れることができない毎日。 人生が変わったそんな日常と 息子の障害を受け入れるのに必要だった時間は 1年では足りなかったと思いますが、 ようやく家族で冗談も 言い合えるようになっていたある日、 何がきっかけだったかは覚えていないのですが、 「天は二物を与えず」という話から 「キムタクは二物も三物ももらってるよねぇ」 という話になり、私がふざけて 「○○ちゃん(娘)も頭はいいし可愛いし、 二物もらったよね」 と言ったところ、娘は真顔で返しました。 「私は家族に恵まれた」 突然の弟の病気・障害で娘の生活も一変し、 当時小学生だった娘が 我慢しなければならないことも たくさんあったはずなのですが、 あぁ、弟のことも、自分より弟にばかり 時間をとられている親のことも 受け入れてくれているんだなぁと思いました。 「家族に恵まれた」 宝物のような言葉です。 そんな娘もアラサー。 家族に恵まれすぎて実家から出たこともなく、 結婚するような気配もなく、 いまだに親に「今日のご飯、何?」 と聞いてくる立派な大人に成長しましたとさ。 (のんきなK)
息子が小学校にあがって 間もない頃のエピソードです。 息子は、帰宅すると玄関に ランドセルを放り出して、 そのまますぐに遊びに出かけていく子でした。 ある日、例によって 「ただいまーーー! いってきまーーーーす!」 という声がして 勢いよくドアが閉まる音がしました。 やれやれ‥‥と思い、玄関に行ってみると、 いつもそこに放り出されている ランドセルがありません。 あれ? さっきの声は? ドアの音は? まさか、私の空耳? いや、そんなはずはないけど‥‥? と、不思議に思っていると、 夕方、ランドセルをしょった 息子が帰ってきました。 私 「今までどこへ行ってたの?」 息子「T君ち」 私 「家に帰らないで、 そのまま遊びに行っちゃダメでしょう」 息子「ちゃんと帰ってから遊びに行ったよ」 私 「じゃあそのランドセルはなんなのよ?」 息子「ランドセルをおろすの忘れて、 T君ちに行っちゃった」 ええええ!! 息子の言うことには、 一刻も早くT君と遊びたくて 気がせいていたとのこと。 T君の家にあがって遊び始めてしばらくたった頃 おやつを出してくれたT君のおばあちゃんに 「あれ? ランドセルどうしたの?」 と指摘されて初めて 「あ! しょったままだった!」 と気付いたそうです。 入学間もない1年生の小さな体には、 ランドセルは随分と大きくて、 しょったままだと動きにくいんですけどね。 遊びに夢中で全然気付かなかったそうです。 (猫まんま)
私が保育園に通っていたころの話です。 保育園では夕方の空き時間に バレエ教室が行われていました。 仕事の母の帰りを待つ私は それをよく見ていたようで、 あるときお友達がバレエをやめたと知って 「○○ちゃんが(空いたところに) 次は入るんだよね!」と突然言ったそうです。 母は「は?! ないない」と さらっと流したそうですが、 2〜3年後に母は知り合いに勧められて 私をバレエ教室に通わせることになりました。 今、私はバレエの先生をしています。 また姉は姉で、小さい頃になにを思ったか突然 「えいごのひとになる!」 と言ってきたそうです。 その後英会話教室に通わせ、今では立派に 「えいごのひと」(英語教師&たまに通訳) になりました。 小さなころに片鱗が見えるものですね。 そしてそれを感知した母もすごい。 (M.N.)
ある朝、母が起きてくるなり ちょっと興奮気味に話し始めました。 何でも、うんと小さい頃の私と姉の 添い寝をしている夢を見たそうです。 私が布団からはみ出してしまい、 「ああ、また風邪をひく‥‥ 布団をかけなければ‥‥」 と思うのに、眠くて体が動かない、 という夢だったそうです。 「あんたたち、ちっちゃくて、可愛くて‥‥」 と盛り上がる母に ちょっと畏敬の念すら覚えた私。 だってその「可愛い娘たち」、 現在30ウン歳ですよ。 しょっちゅう風邪をひいては点滴をしていた娘は いまでは必要以上に丈夫だと言うのに。 子どもを持つ親御さんには 当然のことなのかもしれませんが、 いいトシしてふらふらしている 独身娘にはなんか衝撃でした。 大して子ども好きでもない母が、 30年以上もまえの子どもの姿を リアルに夢に見られるものかと! 親ってすごいもんですねえ。 お返しに30年前の若い母の夢を 見てあげたいとこですが、 まあ無理だろうなあ。 (おちゅん)
- はー。たっぷり読めましたね。
-
うん。日曜に家族の話を読めるって
ちょっとうれしいね。
- 『サザエさん』も日曜だからね。
- 週の終わりに、合ってるのかな。
- なんだろねー。
- なんだろなー。
- それでは、また月曜に!
「こども ビームス」さんと、
母子手帳ケースとしてもつかえる、
あたらしいタイプのカバーをつくりました。
なまえは、「&こども」。
つかいやすく、しかもおしゃれでかわいいカバーです。
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人気のものを再生産して、WEBのお店に並べています。
おかあさんと子どもで、おそろいにもできますよ。
サイズがなくなってきているものもありますので、
欲しい柄があったらどうぞおはやめに。
この冬は、親子でしっかり、あたためよう!
)くわしくはこちらをどうぞ
2012-10-14-SUN