子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。
母みたいには、なれないかも
- 毎日、いろんな子どもがいますね。
-
びっくりするくらい
いろんな子どもがいますね。
- みんな個性的。
-
もっとも個性が光って見える、
今日はこのコーナーから。
勝ち抜き、あほ自慢!
同僚のお子さんが2、3歳の頃、 保育園のお迎えなどを手伝っていました。 保育園から職場に戻る際、コンビニで 「好きなものを一つ買っていいよ」と言うと、 お年玉用のぽち袋を嬉しそうに持ってきました。 何に使うのかな? 袋のキャラが好きなのかな? と思いつつ、とりあえず買ってみました。 その後職場に戻り、彼は一人でビニール袋を開け 一つ一つ袋の中を見て、 全部見終わったところで一言。 「はいってない!」 お年玉が入っていると思って ポチ袋を選んでいました。 職場の大人たちは笑いと涙をこらえながら 「それは残念だったねぇ」と、 ぷんすかしている少年をなだめました。 (有機酸)
- 「入ってない!」
- 「おい、入ってないぞ!」
- わははははは。
小1のムスコが幼稚園生だった時のこと。 朝幼稚園に行く道で、 私の前を先に行く息子が手を広げて 「こういう風にすると飛んでるみたいだよ〜。 見て〜。空を飛んでるよ〜」 と走っていました。 歩道わきのお店のポスターに 気を取られていた私が生返事をしていると、 「パッコーン!」とものすごい音が。 街灯にまっすぐムスコが突っ込んだ音でした。 「こういう風」は手を広げて走ることではなく、 手を広げて目をつぶって走ることだったのです。 あっと言う間に腫れ上がるムスコのオデコ。 幼稚園に駆け込んで先生に 手当をしてもらいましたが、 この件以来、何かと私が「見ているか」、 ムスコから厳しく チェックが入るようになりました。 (noriegg)
-
あのね、やんちゃ系男子のお母さんと
しみじみ同意したことがあるんですけどね。
- はいはい。
- 「毎日、目が忙しいね」
- わー。ほんと?
-
うん。いつも危なくて、
ずっと視界に入れてなきゃいけないからねぇ。
私、女性に生まれましたが、 小さい頃は男の子になりたくてなりたくて 母に「デパートでオチ○チ○買って〜!」 とせがむほど。 男の子への憧れの象徴が立ちション。 「女の子でも立ちションはできる!!」と 家の近所の側溝にまたがって 立ちションを決行!! あえなく失敗‥‥。 両足をビショビショにして 大泣きしているところを 近所のおばさんに発見されて、 「女の子は立ちションはできないのよっ!」 と言い聞かされながら 家に連れ戻されました。 (三人姉妹の末っ子)
- 女子、けっこう憧れてるね。
-
「的狙い」とか、醍醐味があるんだって
うちの社長(糸井重里)が言ってたけども。
私が幼稚園児のときのことです。 まわりの人とは 違う言葉(関西弁)を話す祖母のことを、 心密かに外国人だと思っていました。 近所に髪をボルドーに染めた 東北弁のおばあさんが引っ越してきて、 それほど(?)外国人じゃないと気づきました。 (ゆうゆう)
- 東北弁のほうが難しそうだね。
- ボルドーだし。
姉が2、3歳の頃の話です。 ある日、交番から娘さんを補導したと連絡が。 なんと、自宅から大人の足でも30分離れた、 片道3車線の道路の真ん中にある「安全帯」を 鼻歌を歌いながら歩いていたそうです。 迎えに行った母を見るやいなや、 安心したのか泣き出す姉。 怪我もなく、誘拐でもなく、母もほっとして、 丁重にお礼を述べ帰ろうとしたその時、 姉は手に持っていたバスケットに 警察の方が出してくれていたお饅頭 (一人のときは一切手をつけず)を すべて収納し、「ばいば〜い」と上機嫌。 大爆笑の渦の中、 母は姉を抱えて交番を後にしたそう。 母「あの日は生きた心地もしなかったし、 本当に恥ずかしかった」 どうやら、前日にハート型の迷子ペンダントと オニューのバスケットを手にした姉は、 安全帯に生えている雑草が ちょっとした草原に見えたらしく、 アニメの主人公気分でお散歩をしていたらしい。 おしゃまなのか、ただのアホなのか‥‥。 この話は今でも家族を笑わしてくれています。 (平凡な妹)
-
おしゃま女子かあほ自慢か迷いまして
あほのほうに入れさせていただきました。
- それでええ。
- あこがれの草原を散歩できたんだもんね。
-
車ビュンビュンの草原。
のち、補導。
絵になるなぁ。
長男(6歳)は、男子の中でも、 かなりやんちゃ度が高く、 特に2歳〜3歳のイヤイヤ期から 反抗期の辺りは、本当に手を焼きました。 ある日、近所の公園に長男を連れていったところ 10歳位の男の子3人組が、遊んでいました。 3人は黙々と砂場で大作 (山やトンネル、道、川、ダムなどを 組合わせた町のようなもの)を作っていて、 興味津々で見ている長男に 時々声をかけてくれたりと、 落ち着いた遊びぶりでした。 その様子を眺めながら、 「あと数年で、息子もああやって、 子供達だけで公園に来て、 ああやって落ち着いて 遊べるようになるんだ‥‥」 と思いを馳せていました。 すると突然、3人組は何を思ったのか、 自分達が水を流し込んで どろどろになった砂場に寝転んで、 ごろんごろん転がりはじめました。 3人が3人共、黙々と ごろんごろんごろんごろん‥‥。 むしろ3歳の息子より大胆さを兼ね備え、 たちが悪く見えました。 きっと、帰宅したらそれぞれのお母さんに、 叱られるのでしょう。 お母さんは、洗濯前に衣服や靴の 大量の砂を払うのでしょう。 きっと手洗いしないと汚れも落ちないでしょう。 アホアホ男子の母の道はまだまだ長いんだ‥‥ と思いしらされ、帰路につきました。 (けかた)
-
息子がわけのわからない脂と泥で
ガビガビに固まって帰ってくるのは
こういうことやったんや‥‥‥。
-
永年の謎が解けたようです。
ありがとうございます。
一緒に住んでいる 甥っ子(4年生)はかなりの天然です。 先日、お腹がこわした彼が、 太い立派な眉毛を八の字にして かあさんに言ったそうです。 「ちょっとおなかいたいから、 レインコートきてもいい?」と。 その日ベランダに干していた レインコートを指さしながら。 彼の頭の中で何がどうなってそうなったのか、 いまだわかりません。 (momoringo02)
- あたたまりたかったのだろう。
-
お腹こわしてマジ顔なだけに、
お母さんは吹き出すのを我慢するの、
大変だったでしょうね。
うちの息子は、たぶん世界でたった一人、 夢の国の大スター、 ミッキーの出された手を振り払い、 「ミッキー、大っ嫌い!」 と大泣きをした人物だと思う。 ミッキーの手は、微妙に震えていた。 申し訳なさで息子を抱えダッシュした。 その後、彼は夢の国大好きに変身した。 あの時のミッキーに土下座したまえと思うよ。 (urusara)
-
「ミッキー、大っ嫌い!」て、
ちょっとドキドキしてまうわ‥‥。
あのミッキーさんにそんなこと‥‥。
-
いや、あの、ミッキーはミッキーでも
ロークさんかもしれないですけどね。
- え? あ、せ、せやな。
-
子どものころ、
ミッキー・ロークさんが苦手だったと。
-
『ナインハーフ』の演技が
なまめかしすぎたと。
-
そう、子どもには、あの
ミッキー・ロークさんの演技は理解できない。
-
それで、ミッキー・ロークさんの
差し出す手を振り払い、
「ミッキー、大っ嫌い!」と。
-
ミッキー・ロークさんの手は
微妙に震えてたと。
- まちがえてもマウスさんとはちゃうな。
-
フッフーマウスさんとは違います。
おそらく、ロークさんのことです。
- カーチスさんという線も‥‥。
- あるかもな。吉野さんとかもな。
先日の夕飯時のこと。 家族で、ハロウィンでにぎわう Dランドの様子をテレビでみていました。 「ねえ、ねえ、ボク、野生のミッキーって あったことないんだけど?」 と小学校2年生の息子。 「パレードにもさ、ショーにも出てない、 野性のミッキー。 お母さんはあったことある?」 (しゅわっちょ)
- ひぃ、「野生のミッキー」て。
-
これはあれやな、急にボクサーとして
活動しはじめたころのミッキーさんや。
- あ、猫パンチの。
-
せや。「猫」いうくらいやからな。野生や。
トランクスもアニマル柄やった。
-
言うてる意味がわからん人は
まわりの40代の人に聞いてください。
息子が3歳くらいの時でしょうか。 当時お子様向け英語番組がお気に入りだった彼。 食卓のみかんを得意気に「オールェンジ!」 「おっ」と思って、「りんごは?」と聞くと、 「ェアーポゥーッ!」 夫が超うれしそうに、「じゃあぶどうは?」 「ブッッ‥‥(ためて)ドゥ!!!」 (ともまま)
- これもミッキー・ロークさんに聞いたらええ。
-
スガノさん、もうミッキーさんからは
離れていいですよ。
おしゃま女子
私が夫の実家に結婚の挨拶をし行った時のこと。 義妹家族(義妹、旦那さん、娘5歳)も 来ていました。 おうちでの挨拶が無事済んで レストランに移動する際、 義妹が車で私たちを 送ってくれることになりました。 後部座席には私たち夫婦の真ん中に姪っ子。 姪が急に 「(夫に)右手出して。 (私に)左手出して」 そして私たちの手を繋がせて、 「ラブ、ラブ」と満足気。 その日、何度も 「(ママに向かってひそひそ声で) ねーねー、○○(夫の名)と△△(私の名)は ラブラブだから結婚するんでしょ〜?」 と聞いていましたからねー。 恋愛に敏感なお年頃、ですかね。 (ピヨカイさん)
- ひゃぁ、かわいいなぁ。
-
おしゃま女子はとにかく
ラブにいちばん興味津々だからね。
夫の実家で法事(おじいちゃんの3回忌) があったときのこと。 本家なので取り仕切らなければならず、 朝からバタバタとしておりました。 打ち合わせなければいけないことも多く、 義妹夫婦も「あれどうする? これどうする?」 と話し合っていました。 特に旦那さんの方はわからないことが多く、 よく話しかけていたんですね。 それが気に入らなかったのか、 姪っ子(義妹の娘・6歳)が走り寄って 「パパ、ママににばっかり甘えちゃだめでしょ! 甘えたかったら○○(自分)に甘えなさい! もーいつもそーなんだからぁ。 (まわりの大人に向かって) パパね、ごはんの時も 『ママ〜ママ〜』って甘えてるんだよっ」 しかも寄り掛かるジェスチャー付き。 義妹夫婦は赤面。本人は真剣そのもの。 かわいかったな〜。 (ピヨカイさん)
- さっきの子とおなじ女子だよね。
- そうだね。
- かわいいなぁ。
-
お父さんのこのときの気持ち、
お察しいたします。
私がようやくしゃべれるようになった頃のこと。 母が、私のほっぺたについたご飯粒を ひょいと取ったところ、私がひとこと、 「おちぇっかい!」 と言ったそうで。 母から何度も聞かされました。 (娘らに言われないかドキドキの三児の母)
- わははははは。たまらん!
高3&高1&小4の三姉妹の母です。 我家の三姉妹(高3、高1、小4)は 今でもお父さんLOVEです。 小さいころは、今以上に大好き度が高かった。 しかし会社員のお父さんは、 ときどき「出張」に行って帰って来なくなる‥‥。 2泊以上になると‥‥ 長女は夕飯を食べながらいきなり 大きなお目々から大粒の涙をポロポロ。 ビックリしてきくと 「おとーたんいなくてかなしーのーおー」 次女は、元気に遊んだりしていたのに、 急に静かになり丸くなってる。 どうしたのか聞いてみると 「おなかいたいのーおー」と。 お父さんがいないことがストレスになり お腹が痛くなっちゃったみたいです。 そして、三女。 彼女が2、3歳のころだったと思います。 お父さんはちょっと長めの出張でした。 でもガンバって三姉妹が起きている時間に 帰ってきました。 丁度夕飯が終わりそうなころに帰ってきた お父さんに喜んだ長女と次女。 しかし三女はテレビからまったく顔を動かさず、 「どこにいた」と。 ビックリする長女次女。 答えようとする父を遮るように 「なにちてた」。 またしても答えようとする父、 畳み掛けるように質問する三女、 「なにたべた」。 極め付けは「どこでねた、だれとねた」でした。 絶句して戸惑い謝る父、 それを聞いてビックリしている長女と次女。 大笑いの母。まさかの質問攻め。 いつも一緒にいる人がずっといなかったことが 許せなかったみたいです。 あの時の微妙な緊張感、面白かったです。 (みさなの母)
-
さみしさの表し方が
姉妹でちがう。
- 三女、いちばん効くなー。
-
「効く」といえば、次のコーナーは、
どんな台詞が効くか、という話やな。
-
はい。では行くよ。
言うことをきかないと、
ナマハゲとトイレ太郎と
目んめのふといおんちゃんと
白目の母と
どてっぽっぽとぼーやんが来るよ!
- どうぞー。
言うことをきかないときの親のひと言
男3人兄弟、長男のオットに、 「言うこと聞かない時の 親の一言ってなんだった?」と インタビューしてみた。 「『ほらあなに入れる!』 んで、そのまま縄で縛って放りこまれる」 オットの実家の裏山には 戦時中の防空壕の名残があるのでした。 はー、おとーさん、有言実行。ワイルド。 とても昭和50年代の話だとは。 (なぼちん)
- 縄で縛って!
- ひぇー! 言うこときくきく!
私は、子供の名前を呼んで、 しばらく黙ってから、 「‥‥始まるよ」とだけ言います。 「なにが?」とおびえた顔をする子供に、 ただ「‥‥始まるよ」とだけ、 低い静かな声で告げます。 最近は、言う前に 「始まっちゃう? 始まっちゃう?」と 先手を打って言うことを聞くようになりました。 初めて目撃した時は夫も 「何が始まるの?」と おびえた顔を(冗談ではなく)していました。 それを見ていたせいか、 夫が言っても効果はありません。 (さいさい)
- 出た、主語隠しの技!
- 夫は効果なしか。
私が小さかった頃の話です。 私は三姉妹の末っ子で、両親も当時にしては 結構、年をとってからの子どもだったので、 ずいぶん甘やかされて育ったようです。 それゆえよくわがままを言っていました。 とりわけぐずって泣き出したりすると なかなかおさまらない。 ある日のこと、父と二人で電車に乗りました。 途中で何が嫌だったのか、いきなり号泣しながら 「やだ〜〜!! 降りる〜〜!!」と私。 怒るのは母の役目だったのですが、 その時は父と二人きり。 父にも怒られるんだろうなと どこかで思っていました。 しかし、父は私が泣き出してから 次に止まった駅で、 何も言わずに私を連れて降りました。 それまで、電車に乗った時は、 目的地でない駅で降りたことなんてないので、 私はびっくりして 「え? なんで? なんで?」という気持ち。 父はホームのベンチに座り、ただ黙ってました。 最初は不満な気持ちが抜けなくて、 しゃくりあげながらもぶすっとしていた私は、 「目的地ではない駅で降ろさせてしまった」 という事実に次第に罪悪感を感じ、 いつまでも怒らない父になんだか不気味さを感じ 何本か電車を見送った後で、 「‥‥ねえ、早く行かなくていいの? 電車乗らなくていいの?」と父に聞きました。 それからすぐ来た電車に、 やっと父はベンチから立ち上がり、 私を連れて乗りました。 その後は泣いたりぐずったりもせず、 静かに家まで帰りました。 へんに怒られるよりも よっぽど怖かったというか、 「何かをやらかしてしまった感」 がすごかったです。それからは わけもわからずぐずったり泣いたりすることが、 とても少なくなったように思います。 前後のことはあまりよく覚えていないのに、 やけに鮮明に覚えている出来事です。 よく晴れて、青空が見えていたのを覚えてます。 (ゆう)
- お父さん‥‥。
-
このときの末っ子ちゃんは
青空のことも、覚えてるんやで。
感受性が強いのか、些細なことでも すぐに泣きだしてしまう娘(3歳)。 ケンカや争いごとも大嫌いで、 あんこの入った正義の味方が活躍する 幼児に大人気のあのテレビアニメですら、 悪者っぽいキャラが出てくると、すぐに 「消して、消して!」と見られなくなる。 友達同士のケンカを見ては泣く、 他の子が叱られているのを見ては、 びっくりして泣く。 こんな調子でこの先大丈夫かと思いつつも、 日頃、しかるときには気を使って ソフトな口調になる私。 さらに、目をウルウルさせながら、 彼女の必殺の決め台詞 「元のやさしいお母さんに戻って‥‥!」 が出ると、ヘナヘナと脱力。 勝てる気がしません。 (ひいらぎ)
- 最強ですね。
- この子には悪者も手加減するから大丈夫や。
パパの立場
父と銭湯に行くのが好きでした。 (その頃、小学生の女子) シャワーからでてくるお湯を気に入っていて、 お湯に浸かってのどが渇くと ゴックゴック、飲んでました。 勢いよく、のどに入ってくる感じが たまらなかった。 口からこぼれてもお風呂なので問題ないし。 ある日、飲みすぎておなかが痛くなり、 母の知るところに‥‥ 注意をしなかった父まで怒られ、 シャワー飲みは禁止されました。 (junko)
-
勢いよくのどに入るんだ。
やってみようかな。
-
やめときなさい。
でも、子どものブームになりそうな行為だな。
運動神経が全般的に残念な私と、 そしてまた残念なことに その血を受け継いだ息子。 私には、自分ができないことについては、 到底教えることはできません。 そんなヘナチョコな母さんを尻目に、 父さんは頑張ります。 6歳の息子が、鉄棒の前回り、縄跳び、跳び箱、 自転車乗り、プールで蹴伸び&バタ足、 スキー‥‥等々、できるようになったのは すべて、旦那様の粘り強い 「アメ・アメ・ムチ・ムチそしてアメ」 の指導お陰です。 もちろん運動会の前は練習に熱が入ります。 運動会を目前としたある日のことです。 部屋のクズかごを探していると、 かばん掛けのポールのテッペンに くくりつけてありました。 そして、そのクズかごの中にはテニスボールが。 「これ何」と旦那様に聞くと 「うん、玉入れの練習のためのカゴ」との答え。 「できるだけカゴの近くで投げろと 教えているんだ」とのことでした。 「なんて的確な玉入れの指導!」 と感心しましたが、息子と二人、 玉入れの練習をする旦那様が、 絵的におかしくて、でも教える方も習う方も ヘソ曲げると大変だから笑いをこらえて 「頑張って〜」と声援を送りました。 ちなみに昨年は演目の一つだった、 モーニング娘バージョンの 「ひょっこりひょうたん島」の ダンスを父子二人で練習する‥‥の図に 笑いをこらえるのが大変でした。 私が笑いを噛み殺している間、 旦那様の熱血指導は続き、 その結果、息子も「できた!」が 喜びと自信になってうれしそうです。 あと何年、スポコン劇場は続くのかな。 旦那様には本当に感謝しており、 頭が下がります。 (アン)
- 頭が下がります。
-
たのしい家族や。
たよりになるお父さん。
朝から夫婦でケンカして出勤した夫。 内心、言いすぎちゃったな〜と 思っていたところだったので、 3歳の息子に 「お父さん大丈夫かな〜」と聞いてみたら、 「にんげんだもの」 という言葉をいただきました。 (さっくさく)
- 大丈夫です。
- 人間ですから。
- お父さんですから。
こども名言集
母が話してくれました。 私が保育園に行くか行かないかくらいのころ。 そのころから、なぜか、雷は怖がらなくて、 平気で窓から見ていたそうです。 ある、前の晩に雷が鳴った朝のこと 「おかあさん! おかあさん!」と 大慌てで母のもとに行くと 「きのう、お空が割れちゃったのに なおってる!」と、大興奮で話したそうです。 雷がなると、母は、今でも時々 そのことを思い出すそうです。 (ようこ)
-
怖がらなかったのは
「空が割れている状態だ」と
納得できていたからなんですね。
- その後の修復のほうに動転した、と。
- 子どもってほんとにおもしろい。
公園に行って、 うんと遊び回り、走り回った長男6歳。 帰りの車の中で、 母にぐったりともたれかかってボソリと 「ああ、ぼく、化石になりたい」 コッキコキに疲れたんだね。 いいよ。お家についたら発掘してあげるよ。 (タナボタばんざい)
- 深い眠りについたらええ。
-
子どもって、目が覚めたときに
キョトン! とするときあるよね。
- あれは化石になってたんやな。
2歳8ヵ月の息子。 車でお出かけをした時、信号で停車中、 正面のこんもりとしたお山を見て、一言。 「あっ! ブロッコリーや!」 あっぱれ。 (美凜)
- マヨネーズかけて食べたくなっちゃうね。
- ピクニックのときはお弁当に入れていこう。
1歳10ヶ月になる娘は、 だいぶ言葉を覚え、近頃は2語くらいの 熟語も話せるようになってきました。 そんな娘に、夜ご飯に 大好きな秋刀魚の塩焼きを作った時の話です。 家族分の塩焼きが食卓に並んだ瞬間、 娘が言いました。 「うわぁーー!! さかな、ねんねしてはるーー!!」 満面の笑みで叫んだ娘。 確かに、寝てるよね。家族みんなで笑いながら、 秋刀魚を美味しく頂きました。 (yuka)
- 大好物が目の前に並んだときのうれしさよ。
- めちゃめちゃハイになってるのがわかる。
- 子どもの「ハイ」は見逃したらアカンな。
- おもしろい行動に出る予兆ですね。
2歳の娘、一面真っ白の曇り空を見て ビックリしたように一言、 「お空がなーい!!」と叫びました。 そうかそうか、よく見るのは青いやつだもんね。 お空も色々あるんだよ。 明日は晴れるといいねー。 (サチイチ)
- 詩だなぁ。
- 名言やねぇ。
今は言語学の勉強をしてる カナダ、日本のハーフの息子の 3歳のときの発言です。 「‥‥ああ、雲がムブいていくねぇ」 「動いていく」と言いたかったのですが、 とっさに「move」を 日本語的に活用したようです。 (ジョジョ太郎)
-
ムブいていくような言葉をユズって
いつか詩をライてほしいねぇ。
- なにを言うとるねん。
小2のヘタレ息子、 最近、成長痛で足が痛いようです。 布団に潜っても痛みを訴えています。 私が、 「身体が成長しようとしているんだね」 と言うと、 「もっと痛くなく成長してよ〜」と。 確かにね。 でも、3分後には寝息が聞こえ始めてました。 (みーまま)
- 成長痛はペイいねー。
- もうええわ。
-
では今日も最後に
ほろっと行っときましょか。
- 今日はこらえられるかな?
ほろりとさせる話
毎日楽しみに読んでいます。 私には2歳の息子がいて、今妊娠4ヶ月です。 昨日の事、つわりで寝込む私に 息子があまりに聞き分けがよく、いい子なので、 「○○(息子)は一番いい子だね。 ○○よりいい子なんていないよ!」 と言いました。 そうしたら息子が、 「ううん、あーちゃん(お腹の赤ちゃん) いいこ!」と言うのです。 私のお腹の子は、流産した後になかなかできず、 待ちに待った赤ちゃんです。 でも、そんなこと息子は知らないはずなのに。 自分よりもお腹の赤ちゃんが良い子だなんて言う 我が子が愛しくて、 「○○もあーちゃんも一番いい子だよ!」 と、泣きながら息子を抱きしめました。 私の宝物です。 (おはらん)
コドモが3歳くらいの頃、 私の同級生が急に亡くなり、 ダンナと留守番してもらって 私ひとりでお通夜に行きました。 とにかく急だったので とても悲しい通夜でしたが、 初めてのパパとの夜の留守番で 二人でご飯を食べ風呂に入り、 コドモもがんばっているからと できるだけ普通に帰宅しました。 夜、寝るとき、 コドモが短い腕で腕枕してくれて 「大丈夫だよ、こわくないからね」 と言いました。 子供なりに何かを感じたのでしょうか。 寝かしつけてくれるコドモの小さい胸で ちょっと泣かせてもらいました。 (きいろ)
保育園からの帰りはいつも大荷物。 仕事のカバンに加えて、 濡れたパンツやズボンが入った洗濯袋に 連絡帳やコップに帽子。 しかし子どもはそんなことお構い無し。 毎日毎日、帰り道は「抱っこして〜!」。 昨日は母も疲れてました。 「○ちゃんは、抱っこが好きなのね。 でもお母さん、お荷物重くて ○ちゃん、抱っこできないや。 おてて痛いし。疲れちゃった」 と、本音をぽろり。 それでも抱っこ、と怒るかなと思ったら。 「○ちゃんは抱っこが好きなんじゃなくて、 おたたん(お母さん)が好きなの」 とにっこり。最後には 「おたたん、おてて、いたいいたいとんでけ」 と手を撫でてくれました。 うん。母ちゃん今日も頑張るぞ! (さてらいと)
- あかん、途中やけど涙腺が〜〜。
- 最後まで、もうちょっと!
私は、息子が1歳半になる頃、 離婚し、母子家庭となりました。 かわいそうだと思って育てると、 かわいそうな子になっちゃうような気がして、 いつも元気いっぱい笑顔で楽しいね〜♪ と過ごしていました。 ある日お友だちと一緒にご飯を食べているとき、 「○○ちゃんのパパは?」とお友だちに聞かれ、 とっさに私は 「○○ちゃんのパパは死んじゃったんだ〜!」 って明るく答えました。 その日の帰り道、 「ママ〜。パパは死んでないでしょ! うそついちゃだめだよ! お別れしたんでしょ!」 と真剣な顔して言われました。 まだ保育園の頃でしたが、 何でもわかってんだなぁ、感じてるんだなぁと、 はっとしました。 それからは、何でもちゃんと正直に 楽しいことも、悲しいことも話すようしました。 背の高さも、足の大きさも、 ママと同じくらいになって、 今にも追い抜かされそうだけど、 今もかわいいかわいい息子ちゃん。 (いつもありがとう)
先日の息子の運動会の日のことです。 つつがなく運動会も終わり、 私、5歳と2歳の息子たち、私の母、 義理の両親でなごやかに昼食をとっていました。 終盤にさしかかったところで、長男が 「おばあちゃん(私の母)のいえに おとまりにいく!」と高らかに宣言。 義理の両親宅へのお泊りは拒否し続けているので その場は何とも微妙な空気に‥‥。 そんな空気をものともせずに、 お泊りセットをリュックに詰め、 ニコニコで母と手をつないで 出かけて行きました。 母は耳が聞こえないので、 長男とは充分話ができません。 運動会や昼食の時も、息子たちは 義理の両親に一生懸命にお話をしていて、 母は私の通訳を介してその状況を聞くだけ。 少なからず淋しい想いをしていたと思います。 そんな中での長男のお泊り宣言に、 嫁としては困るけれど、 娘としては嬉しい気持ちになりました。 片言の手話と身振りで おばあちゃんと話そうとする長男、ありがとう。 君がお話ししたいなら、 たくさん手話を教えてあげるね。 (まいにちかあちゃん)
アメリカの田舎に住んでおります。 高1と中2の息子達が4歳と2歳だったころ、 兄に大きくなったら 何になりたいか聞いたところ、 「HOBO(貨物列車などに乗り、 いろいろな所へ行く一昔前の放浪者) になりたい」と一言。 んーー、将来はトムソーヤ? 弟も、兄と一緒に行くと、 それはそれは盛り上がっていました。 弟「お腹すいたらどうするの?」 兄「誰かにサンドイッチをもらう」 弟「トイレは?」 兄「運転手さんが使ってない時に トイレを使わしてもらう」 弟「(しばらく考え中)お母さんに 逢いたくなったらどうする?」 兄「オートバイで家まで帰る?」 弟「カッコイー!!」 兄弟であーでもない、 こーでもないとやってましたが、 結局お母さんに逢いたいとき 逢えないのは辛すぎるということで、 HOBOになる夢を断念。 ちなみに、どうしてなりたいのかを きいたところ、 「線路の終わりがどこなのか見たかった」 とのこと。 母をやっていてよかったと思いました。 父は、俺には逢いたくないのかと、 しょげていました。 (歯医者さんとフットボールの選手に なりたい息子達をもつ母)
我が家の主人は仕事がとても忙しく、 真夜中や明け方に帰宅するため、 9ヵ月になった息子が 平日パパに会えるのは出勤前の30分ほどだけ。 週末も仕事が入って出勤することもあるため、 はじめはパパだってわかるかなー、 人見知りするんじゃないのかなー、 と主人と心配していました。 しかし、そんな心配をよそに 息子はパパがだーいすき! 夜中の授乳中にパパが帰ってくると、 寝ぼけていた息子の顔が にっこりキラキラ輝きます。 パパに抱っこしてもらうとうれしくてうれしくて あんよをバタバタさせちゃいます。 そして、ハイハイできるようになってからは、 パパが朝シャワーを浴びていると、 浴室の前で正座をして パパが出てくるのを待っているのです。 わんわん泣きながら。 何度連れ戻しても、 わーわー泣きながら浴室の前に戻り、 正座してパパを待つのが日課です。 毎日一緒にいるわたしは少し ヤキモチやいてしまいますが、 このかわいさが主人の元気の源になっているので 朝の少しの間は二人の世界を 大切にしてあげようと思っています。 (こなぎまるのママ)
毎日ほぼ日&こどもを楽しく、 そしてウルウルしながら読んでいます。 そして読む度に思い出すのは、 18歳で実家を出て、 一人暮らしを始めた日のことです。 私は新しい世界が始まる期待で、 両親への感謝や、また巣立つ娘への 両親の寂しい気持などを全て無視していました。 ウザイとすら思っていました。 両親は私の成長を妨げる存在と決めつけ、 生意気で自信満々の私に、 きっと、いや絶対に両親は傷つき 悲しんだろうと思います。 当たり前ですが、両親がいなければ 手にはいる事のなかった新生活なのに。 今思えば本当にヒドイことをしたと思います。 小さな事が積もり、 両親と距離を感じた時期もありましたが、 私も社会人となり両親とは なんと素晴らしいんだと、 改めて気付かされました。 きっと、世間ではよくある 成長の話なのかも知れませんが、 やはり両親の大きさは社会にでて 初めてわかるものだなと思いました。 「ほぼ日&こども」のほろりとさせる話には、 子供の成長を感じたときの喜びと、 親を必要としなくなる悲しさの投稿が 度々掲載されます。今を大切に、 子供をたくさん可愛がって下さいなど。 可愛い子供の時間がいつか終わるように、 両親がいなくなる日も来る事を、 子供も覚悟しなければならないなと思いました。 今は大阪と北海道と離れて暮らしていますが、 できるだけ帰省して、 親孝行したいなと思います。 そして、まだ独身ですが、 いつか子供を育てたいとおもいます。 お母さんみたいにはなれないかもしれないけど。 (やました)
-
ぐし、ぐし‥‥。
私もね、ここだけの話、
自分のおかんは越えられません。
- ええ話やな。
- でも、お父ちゃんは‥‥
- ん?
- お父ちゃんは越えられる気がするわ。
- なんだその差別!
-
「パパの立場」に投稿してみよう。
それではまた。
- また明日!
「こども ビームス」さんと、
母子手帳ケースとしてもつかえる、
あたらしいタイプのカバーをつくりました。
なまえは、「&こども」。
つかいやすく、しかもおしゃれでかわいいカバーです。
)くわしくはこちらをどうぞ
「ほぼ日ハラマキ あたためるもののお店」で
いま、子どもサイズのハラマキを販売しています。
これまで人気柄をピックアップしたり
人気のものを再生産して、WEBのお店に並べています。
おかあさんと子どもで、おそろいにもできますよ。
サイズがなくなってきているものもありますので、
欲しい柄があったらどうぞおはやめに。
この冬は、親子でしっかり、あたためよう!
)くわしくはこちらをどうぞ
2012-10-18-THU