子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。
いつもママがそこに
-
昨日のお昼は「ほぼ日」のみんなと
会社でお弁当を食べましたね。
- おなかいっぱいになりました。
- おいしかったね。
-
自分の好きなメニューをその日のお弁当として
制限時間内で選ぶんだけど、
しかしあれやな、永田さんは
白飯が好きやな。
- ‥‥そう?
-
うん。白飯が好きというのはええことや。
白飯を出しておけばパパご満悦。
- そうかな‥‥?
- お、今日は最初からこのコーナーかいな。
おしゃま女子
幼稚園最後の運動会の前夜のことです。 先に入浴していた長女が凄い剣幕で 「おかーさん! 石けん無いよ〜」 私「はいは〜い(わかってる〜)」 娘「石けん出してよー! こんな汚いカラダじゃ 運動会に行かれへんやんかー!!」 無事、きれいな体で運動会頑張れました! (生姜御殿)
- はれの舞台だからね。
- おしゃま女子のうきうきが伝わってくるよ。
コドモが4歳くらいの頃、 ちょっと風邪をひいて小児科に行きました。 待合室に置いてある電話のおもちゃで 「もしもし? 私、私!」 「うん、そうそう、ひさしぶりー」 「え? うんうん、そうなのよ」 「あーあー、あれねー」 「あ、いま、病院なのよー」 なんて延々と一人でしゃべっていたら 看護師さんが、 「携帯使用禁止!」と言いにきたのですが ムスメの手にしているのは プラスチックの赤い電話。 看護師さんのすごい形相が、フッと崩れ 「上手ねー」と大笑いされました。 (きいろ)
- 子どもはほんとうに模写がうまい。
- 言いまわしとか息遣いまでね。
- 「自分か?」と思うこともありますよ。
-
おしゃま女子は特にママがうつります。
ほら、こんなふうに‥‥
毎日楽しく読ませてもらってます。 4歳になる娘の今日とれたてのこどものことば。 おやつの途中で「おちゃのみたい」 「おちゃちょーだい」「おーちゃ!」と連呼。 洗い物をしていた私は、 「はいはい」「ちょっと待ってねー」と生返事。 待ちきれない娘、 「ゆーこときかないと、 もういっしょにあそんであげないよっ」 吹き出してしまったのと同時に、 それは困る、と思って すぐに手を止めてお茶をついであげました。 娘の勝ち、ですね。 (ゆうこ)
- 勝ちですねー。
- 勝ちです。
4歳の娘が、ひとりで レストランごっこをしていた時のこと。 家事をしていた私に お客様になって欲しかったようで、 ご注文は何にしますか? お飲み物は? と聞きに来るので適当に返事をしていました。 「おまさてしました〜」と お料理が運ばれて来ても 家事の手を休めなかった私に向かって 娘が急に怒り出しました。 「食べなさい! ちゃんとごはん 食べなさいって言ってるでしょ! もういい。 食べたくないなら食べなくていいのよ! 食べないなら捨てるから! もうごはん作れへんから!」 それ、私が普段あなたに言ってるセリフ、 そっくりそのまま! 言い回しや声色もあまりに自分に似ていて 唖然としましたが大爆笑。 こんな風に普段叱っているんだなぁと 鏡を見せられた気分で反省した出来事でした。 (少食はつらいよ)
- 勝ちですな。
- 勝ちや。
次女は人見知りで なかなか友達と遊ぶってことができにくく、 夏休みなどは心配というか不憫で パートに出るのも憂鬱でした。 ある日、思いがけず仕事が早く終わり、 喜ばせようと、そ〜っと玄関をあけると、 二階から 「手を、手を離さないでっ! そう! そうよ! 大丈夫、私がいるから! 勇気を出すのよ!」 と次女の声が‥‥。 そおおおっと階段をのぼると、 二段ベッドを断崖絶壁に見立てて 大スペクタル冒険中。 臨場感あふれる音楽(?)まで口ずさみ、 汗ダクダク! 日頃おとなしい彼女の別の顔を知って 玄関にもどり、チャイムを押しなおしました。 玄関に出てきた彼女は、 いつものおとなしい次女の顔。 「おやつなあに?」って おっとり聞いてくる豹変ぶりに オンナノコッテスゴイ、とドキドキしました。 (kawa)
- へぇええ、こんなことあるんだ。
-
お母さんのいない時間、寂しいし
集中しちゃったのかな。
しかし、これで才能が花開きましたね。
今はもう20歳をいくつか越した私が 幼稚園のころです。 おこりんぼで声の大きい母のことが、 当時大キライでした。 優しくておだやかな父がおこりんぼな母と 一緒にいることが心底ふしぎで、 「おとうさんはなんで おかあさんとけっこんしたの?」と聞いた私。 真顔で「だまされたんだ」と父‥‥。 今ならわかります。 あの反抗期は同族嫌悪だと‥‥。 (短気で声の大きい娘)
- わはははは。
- やっぱり母がうつるんだ。
言うことをきかないときの親のひと言
いとこが子供の頃の話です。 おばさん(お母さん)と 指切りげんまんしたのに約束をやぶったいとこ。 するとおばさんがおもむろに 針三本と水をもってきて机に置いたそうです。 「針千本飲ますって言ったけど、 うちには針三本しかないから これだけ飲みなさいっ!」って。 いとこはそれから約束するのが 怖くなったそうです。 話を聞いてからは私も簡単には 指切りげんまんできなくなりました‥‥。 (波)
- お母さん、かっこいい!
-
千本は非現実的。
「三本しかないから」が効きますね。
もっとおやつを食べたがった場合は 「おやつの国に連れてかれちゃうけどイイ?」 もっとテレビを見たがった場合は 「いいけど、 テレビの国の人になっちゃうけどなぁ」などと 「○○の国」を持ち出すと、かぶせぎみに 「いやっ! やめる! やめるから言わんといてぇ!!」 と言うことをききます。今4歳の娘、 よく考えたらその国めっちゃ楽しいやん‥‥ と気づくのはいつでしょうか‥‥。 (ヘンゼルとグレーテル)
- 別世界という設定が怖いんでしょう。
-
お菓子の家に魔女が住んでいたように、
未知の世界には思わぬ落とし穴がある。
6つ下の弟がまだものすごく泣き虫な 幼稚園児だった頃の話です。 うちの近くのマンションに 移動販売の牛乳屋さんが 「ぎゅーにゅー、3.7ぎゅーにゅー、 おいしいぎゅーにゅー」と 毎日のように夕方来ていました。 ある時、いつまでも グズグズ泣き止まない弟に母は 「泣き止まないなら、3.7牛乳に 一緒に連れてってもらうからね」 と言い放ちました。 どこから来たかもどこに行くかもわからない 牛乳屋さんに連れていかれてはたまらんと、 弟は顔面蒼白で泣き止みました。 それ以来彼が言うことを聞かなかったり 泣き止まなかったりする度に、 「3.7牛乳」の単語が飛び出しました。 勝手に人さらいにしてごめんなさい、 牛乳屋さん。でもとても助かってました。 (子どもの怖いものって不思議)
-
牛乳屋さんもねぇー、
まさか人さらいにされるとは。
-
人のよさそうな人に限ってそうなのよ、とか
母や姉たちは尾ひれをつけるから。
- よけい不気味さが募っていくねんな。
-
弟が聞いていたのはきっと
声だけだったんだろうけど。
- それもまた、不気味やなぁ。
我が家の母の一言は、物静かに 「あんた、誰に向かって そんな口きいてるの?」でした。 父が仕事で基本家にいない生活だったので、 母子家庭のような家でした。 それぞれ反抗期もありましたが、 いまでも覚えているのは 母が、兄が高校生の時に言ったこの一言です。 (私は小2か小3でした) 何で揉めていたのかは覚えていませんが、 物静かに 「あんた、誰に向かってそんな口きいてるの? わかってるわけ?」 それまではぎゃんぎゃん言っていた兄も、 この一言を言われると 母の苦労を知っているからか、 黙ってしまい、母の圧勝でした。 最近でも30後半になった兄が未だに これを言われて押し黙ったというのを聞いて、 いつまでも親は親なんだなぁと思いました。 (よう)
- お母さんの、日頃の行いがあればこそ。
-
真剣に子育てしてるから、
言葉が届くんやな。
2歳4ヵ月になる息子へのここぞの一言。 それは真顔で 「ママ、もうにこにこしないよ」です。 すると大体泣きながら 「ママーー、ごめんねー。 にこにこしてー」と抱きついてきます。 最近は 「いいよー、○○くんも にこにこしないもんねー」と反撃してきますが 5分ももたず、結局 「ごめんねーー、にこにこしてよーー」と号泣。 いつまでこの方法で行けるのか‥‥。 (まこまこ)
-
たしかに、お母さんが愛想が悪いのは効くで。
うちは中学生ですが、まだ効きます。
- そうなんだ。
- 家の中がどーんと暗くなるからね。
昨日、海外出張から帰国し、 成田空港で入国審査を待っていた間のことです。 私の後ろには、幼稚園の年長さんと 年少さんくらいのお子さん、 お母さん、お父さん、 おばあちゃんがならんでいました。 しばらくはおとなしくならんでいた お子さんたちでしたが、 当然ながら飽きてしまってようで、 2人で走り回って遊び始めました。 お母さんが叱る声が、 だんだん、だんだん大きくなってきました。 そしてついに、 まわりに十分聞こえるくらいの声で お子さんたちを叱りました。 「ちゃんとしてないと、 入国させませんって言われるよ! おうちに帰れないよっ!」 さすがに止まって黙るこどもたち。 ところがそれに続けて、 それまで黙っていたお父さんが言ったのです。 「そうだよ! おうち帰れないよ! もう一回、飛行機に乗せられちゃうよ!」 ‥‥子どもたち、大喜びです。逆効果です。 そうしたら、今度はおばあちゃんが、 まわりに響く大きな声で言いました。 「あんたはもう、本当に!! 余計なことしか言われへんのやから、 黙っとき!!!」 いちばん叱られたのは、結局お父さんでした。 (なほ)
- わはははははは。
勝ち抜き、あほ自慢!
弟が小学校1年生の頃です。 干支の話題になって、 弟は自分が「ひつじ年生まれ」だということ、 いとこたちの間でも、 ひつじ年は弟だけだったので、弟は 「オレってとくべつ! おばあちゃんといっしょ!」と とても喜んで鼻高々だったとか。 翌日、さっそく学校で友だちに自慢しました。 弟 「オレって、ひつじ年なんだぜ!」 友A「オレも」 友B「オレも」 友C「オレも」 ‥‥以下略。 弟 「!!!」 「オレって特別感」が 一日にして打ち砕かれた瞬間でした。 弟よ、クラスメイトは、早生まれをのぞき、 もれなくみんな、ひつじ年生まれなのだよ。 あぁ、あの頃は可愛かったなぁ、弟。 一児のパパとなった今も、わりと可愛いけど。 (姉は辰年、じいちゃんとお揃い♪)
- それはあたりまえだ。
-
「母さん、クラスほとんど寅年だ!」
といって、学校から帰ってきた日が
うちの子にもありましたよ。
あほ自慢男子が一度はくぐり抜ける関門です。
現在高3の甥が、まだ幼稚園児だった頃のこと。 彼はおとなりに住む、 小学校5年生のMちゃんのことが大好きでした。 学校から帰ってくるMちゃんに、 「おかえり」を言ってあげたい。 しかし彼よりオトナなMちゃんは、 クラブ活動もあるし、習い事もある。 何時に帰ってくるかわかりません。 でも、待ちぶせは格好悪い。 さりげなく、声をかけたい。 考えた彼が生み出した案は、 「セミになる」でした。 「セミになってたら、 Mちゃん俺に気づかないよね!」と。 帰ってきたらすぐさま木から降りて俺に戻り、 声をかける作戦でいくと。 Mちゃん宅の玄関に面した、 自宅の庭にある木にしがみつき、 「み〜〜〜んっ、み〜〜〜んっ」 と鳴く息子の姿に、 「○○(甥の名前)がセミになってるの〜!」 と大笑いしながら、 当時姉が電話してきたことを思い出します。 (ghost)
- めちゃめちゃ好きだわー、この話。
- なんか、せつないわ(笑)。
私が子供の頃こと。 小学校2〜3年くらいだった私は、 2歳年上の兄に突然トイレへ呼びつけられた。 小鼻をふくらまし、自慢気に話し始めた兄。 「いいかー、よく聞け。 兄ちゃんはな、じつは‥‥ タマが3つあるんだ!」 本人にとっては、大発見を とうとう妹に告白してしまった、と、 打ち震えている感覚だったのでしょうが、 そもそも「タマ」を持ち合わせていない私には、 2つだろうが3つだろうがどうでもいい話。 私の乾いた「ふーん。」が 気に入らなかったのか、 結局、ひとーつ、ふたーつ、みっつー、と、 チン○ンを広げる兄と一緒に、 何度もタマの勘定をやらされた。 今、4歳になった息子が、 チンコチンコ言うだけで、 大爆笑する姿を見ながら、 この時のことを思い出してしまう。 あ、当時、兄が 余分なタマとして数えていたのは、 チン○ン本体の先っちょのことでした。 兄のタマは、2つです。 (gyu)
- 兄は、勘違いしてたんやな。
- 大告白だったんだよ。
- 自慢気に、というとこが理解不能や。
好きな食べ物に「コーンフレーク」を 選んだ子がいましたが、わたしはそれ以上です。 親も参加した、幼稚園のバス遠足。 みんなが好きな食べ物を順に言って、 わたしの番が来ました。 わたし「好きな食べものはおしょうゆ‥‥」 ここで母は、料理じゃないことに ショックを受けたそうですが、 わたしの答えは‥‥。 わたし「‥‥をかけた御飯です。」 友達はもちろん、そのお母さんたちも大爆笑! 「食べさせたこともなかったのに、 なんであんなこと言ったの!」 と、ハタチを過ぎたいまでも怒られています。 (K子)
- きっと、食べてみたかったんだろうなぁ。
- 順番に言わされるという緊張のせいもある。
私は昔、バニラエッセンスと砂糖で カラメルシロップを 作ろうとしたことがあります。 色とか匂いとか名前とか、 あと料理絵本の雰囲気とかで これが材料だろうとアタリをつけたのです。 お母さんのいないときにこっそりしょうゆ皿に バニラエッセンスを出して、 砂糖を加えてざりざりと。 砂糖醤油じみた見た目のそれを、 わくわくしながら舐めました。 ‥‥‥‥ひどい味でした。 あまりのショックで私はもうそれを どうすることもできず、 しばらくうろたえた後、ラップをかけて 冷蔵庫の最上段にしまいこみました。 それから10年くらい経ってから話題にしたら 「あれはアンタだったのか!」と驚かれました。 弟の仕業だと思っていたようです。 「どうりでご丁寧にラップなんかしてあると 思ってたのよね〜」と、ケラケラ笑う母。 そういえばバレた記憶、なかったような。 ひょっとして代わりに 怒られた(もしくは笑われた)のかな。 だとしたらごめん弟よ。 日頃の行いって大事だよね。 (文車)
-
10年経って覚えている
お母さんもすごいですね。
-
それほど不気味な一皿だったんでしょう。
味もみたはず。
うちの姉妹が4歳と8歳の頃、 トイレトイレーと言いながら 2人一緒に入って行ったので なんとなく嫌な予感がして覗くと、 前後に並んで小をしていました。 前に座っている妹が 「きゃー、もう、あたったー」とか言って 2人ではしゃいでいました。 私はあきれて笑いたいのを我慢して怒りました。 が、それから2〜3回同じ事があり だんだん笑いを我慢する必要なく 怒れるようになったら、しなくなりました。 (☆ニモ☆)
- はしゃぐなー。
- 笑うというか驚くというか‥‥すごいです。
今日とれたての出来事です。 小学1年生の長男が、 学校から帰るなり目を輝かせて言いました。 「お母さん、今日にじを見たよ! すごくきれいで大きかってんで!」 それはラッキーだったね、いいことあるかもね! ‥‥と言いながら、息子が感性豊かに 成長していることをうれしく思っていました。 「にじの下はくぐれるねんで」 へぇ〜、そうなんだ。 「そんで下に行くと光ってるところがあるねん。 何があると思う?」 なんだろう‥‥お母さんわからないなぁ〜。 (しばらく夢の世界にお付き合いしてあげよう) 「お金がたくさん落ちてるねんで!」 へぇ〜、すごいなぁ (‥‥あれっ? 急に現実的な路線に!?) 「ひょっとしたらDSとか 落ちてるかもしれないねん‥‥」 ‥‥おいおい‥‥それは君の願望だろうよ‥‥と 心のなかでツッコミをいれつつも、 息子のキラキラした眼差しを壊すまいと 必死に笑顔を保つ母でした‥‥。 (私はWiiが落ちてると思う)
-
望みを叶えるために
銀の靴を履いて虹を渡っていくんやもんな。
- 『オズの魔法使い』だね。
長男7歳、和室から元気に問いかけて来る。 「ねーねーおかーさーん! 壁、走っていーいー?」 いろいろひっくるめて、ダメ!! (なすこ)
- 「いいよ」と言うとやりそうでこわい。
- あとさき考えないからね。
かわいいとしか言いようがない
私が4歳くらいの頃。 歳の離れた姉が寝かしつけてくれていました。 ある夜、なかなか私が寝ようとしないので 困った姉が 「ちゃんと寝た子にはお菓子をあげるよ!」と。 お菓子が欲しい私は「寝る〜!」と言って 布団に入って目をぎゅっとつぶっていました。 ‥‥数分後。 姉「(小声で)寝た人〜?」 私「はいっ!」 目をぎゅっとしたまま手を元気よくあげました。 お菓子はもらえませんでした。 (三十路姉妹)
- さすがお姉ちゃんや。
- ひっかかって、もー、かわいいなぁ。
娘が3歳になったばかりの頃のことです。 突然、 「おかあさんのこと、きみどり大好き! おとうさんのことはむらさき大好きなの!」 と言い出しました。 大好き、と言われたことをうれしく思いつつも 何で色がつくのかな? と不思議に思っていましたが、少ししてから、 いつも私と夫が 「○○ちゃん(娘の名)のこと、 大・大・大好きだよ」と言っているのを 「だいだい(色)・大好き」 と聞いていたことが判明。 大好き、の前にはキレイな色をつけるものだと 理解していたようです。 年長さんになった娘にその話をしたところ、 まったく覚えていなかったようで 「そんな事言ったっけ〜?」 と言いながら笑っていました。 (矢)
- かわいい。
- ご両親も、かわいい。
- 心がほんわりするなぁ。
-
ちょっと話が変わりますが、
思い出したことがありまして。
私はとても小さい頃、
色の名前を言えるようになり、うれしくて
クレヨンの箱を端から指さして、
「赤いろ」「青いろ」と言うのが趣味でした。
- いいね。
-
ところが「黄色いろ」「茶色いろ」と言うので
母が「2回くり返さない」と教えました。
- ほう。
-
次の日から
「赤いろ」「青いろ」「黄いろ」
「茶いろ」「みずいろ」「だい」
- わははははは。
- 2回くり返したらいかんからな。
大人になってから 両親に聴いた私のエピソードです。 童謡が大好きだった私。 ギターを弾くお父さんと よく一緒に歌っていました。 でも1曲だけ、 歌うとどうしても泣いてしまう歌が。 それは『クラリネットこわしちゃった』。 あの 「♪ど〜〜〜しよ、ど〜〜〜〜しよ」 のところに来ると、 せっかくパパからもらったのに ホントにどうしよう‥‥ という気持ちになったのか、 出る音が少なくなっていくにつれて どんどん涙声になって、 最後には泣き出してしまっていたそうです。 お父さんはそれが可笑しくて よく歌わせていたとか。 そんな私は吹奏楽部に入ってサックスを始め、 37歳になる今でも楽しく続けています。 本当に楽器をこわして 泣いたことも数知れず‥‥。 (今も修理中)
- 音楽好きのお父さんと娘。
- 長じてサックスを吹くことに。
-
なんか、あかるくて
あの歌がぴったりやね。
昨夜は大変な雷雨でした。 あまりの雷鳴に2歳の息子は怯えることしきり。 布団の中でも 「おたたん(お母さん)、 こあいよぅ‥‥」と涙声。 とても眠れないようだったので、 めいいっぱい明るい声で、 「怖くないよ! あれはね、お空のカミナリ様が どんどんどんって太鼓を叩いてるんだよ!」 息子「たいこ?」 私「そう、太鼓! 太鼓楽しいよねー。怖くないよねー」 息子「たいこ、こわいない‥‥」 納得したのか、目を閉じる息子。 やれやれこれで寝てくれるわい と安心した5分後。やおら立ち上がると‥‥。 「もう、たいこおしまい! ナイナイしてっ!」 「‥‥な、なに?」 「ねんね、できないでしょ! たいこ、おひるにしなさい! おたたづけの、時間よっ!」 ぷりぷり怒りながら、また、寝ました。 可愛いなあ。 (さてらいと)
- かわいいなぁ。
- かわいいとしか言いようがないなぁ。
- 今日も最後にこちらをどうぞ。
ほろりとさせる話
娘は2歳半から、病院暮らしを繰り返し、 家にほとんどいませんでした。 ある日、息子が一緒に着いて来て、 「なおちゃんに、会いたい」と言います。 小児病棟は、15歳以下は入れません。 廊下と扉越しに、お互いの名前を連呼する姿は、 映画『卒業』みたいで、大人の涙を誘いました。 もう30間近の二人です。 未だ仲良くしていますが、 さすがにあの時の事を言うと、 「そんな事あったっけ」と ちょっぴり嫌な顔されます。 あんな感動的シーンだったのにねぇ。 (南)
平日は仕事の関係で どうしても子どもたちが寝てからしか 家に帰れません。 家に帰ると、ダンナを含め4人が 夏場はてんでんばらばらなところに ゴロゴロころころと転がっているのですが、 涼しくなってくると ダンナのそばか長男のそばに 下ふたりの娘がくっついて寝ています。 家族の寝方で、季節がわかります。 ちなみに、冬は子どもをかき分けて あったまった布団にもぐりこむと それはもう極楽です。 (長男の横を狙う、三児の母より)
去年、息子が年中さんだったときの話です。 息子の通う保育園では、 1人に1本笹が準備されます。 七夕飾りを作ったり短冊にお願いを書いたりは お家でお願いします、なのですが 1人1枚だけ、いちばん大切なお願いは 保育園で先生が書いてくれます。 七夕が近づくと、保育園中に笹が飾られます。 「AKBになりたい」 「かめんライダーになりたい」 「とびばこがとべますように」 などなど、どの短冊にも かわいらしいお願いが満載。 中には「ハンバーグが食べたい」なんて子も。 そんな中、息子の短冊には こう書かれていました。 「おかあさんのおなかから あかちゃんがうまれますように」 実はそのとき、 母の生理は10日ほど遅れておりました。 わりと規則正しい方なので、 もしかしたら? と思っていました。 しかし、そのちょうど 1年ほど前に流産をしており、 期待しすぎないでおこう、 と自分に言い聞かせてもいました。 もちろんそんなこと息子は何ひとつ知りません。 彼はただ単に弟か妹がほしかったのでしょう。 ちょっと前にお兄ちゃんになった クラスのお友だちが、 うらやましかったのかもしれません。 それでも、その短冊に 母の揺れる心はどれだけ救われたことか。 ちなみに、その後無事にお兄ちゃんになった 息子の今年のお願いは 「ほそながいぼうがとくいになりますように」 でした。去年とは違う意味で母、絶句。 (ちまき)
ある日、保育所の先生とスーパーで 再会した母が聞いてきたお話です。 私と3つ上の姉が通っていた保育所では、 夕方になるとクラスも年齢も関係なく、 ひとつの教室に集められ、お迎えを待ちます。 その再会した先生は、妹のわたしを すごく可愛がってくれていたらしく、 母が見えると 「○○ちゃん(私)のお母さん来たよー」 と私に声をかけたそうです。 すると、姉が 「お母さんは○○ちゃんだけの お母さんじゃないもん!」と怒ったそうです。 先生はこの姉の一言が今でも忘れられないと、 申し訳ないことしたわ、と、 話してくれたのだとか。 妹の私がぼんやり両親や姉に甘えていた頃、 幼い姉は我慢してくれていたようです。 そして、姉(26歳)私(23歳)となった 今でも覚えてくれている先生にも 感謝の気持ちを感じました。 (ふみえ)
うちのピカピカの1年生の息子は 発達障害の診断をうけています。 環境の変化や、いつもと違うこと、 友だちとのあうんの呼吸の コミュニケーションがちょっぴり苦手です。 学校には元気に毎日行ってくれているのですが、 いろいろと、大変なことが多いのでしょう。 帰ってくると「ママ〜」と 甘えん坊に大変身します。 先日 「そんなに甘えん坊で、 ママのいない学校では大丈夫なの?」 と聞いたら 「大丈夫、とうめいなママがいるから」 との返事。 「とうめいなママ」は いつも彼のそばにいるんだそうです。 「とうめいな声」も ちゃんと聞こえるんだそうです。 がんばってね、大丈夫だよ、っていう。 そうやって、自分に言い聞かせて、 慣れない環境で一人で頑張っていたんですね。 きっと明日も授業中に、 「はなくそほじっちゃダメ!」という とうめいなママの声が聞こえることでしょう。 とうめいなママは、キミがどこにいても すっかり大人になっても、 ずーっとずーっとそばにいます。 (ししりあ)
ムスメが生まれて間もない頃、 私が慣れない育児で 乳が出ない、なかなか寝ない、と いっぱいいっぱいだったときに、 私の母がかわりに抱っこでムスメを 寝かしつけてくれることがよくありました。 窓際で、逆光の中、微笑みながら ムスメを抱いてゆらゆらしている母を見て、 私もきっとこうやって 育ててもらって大きくなったんだ、 そして私もいつかムスメのこどもを 抱いて寝かしつけるのかもしれないな、 とぼんやり思って 泣きそうになったのを覚えています。 いのちってつながってるんだなあ。 と、ものすごく腹に落ちた瞬間でした。 (まーはは)
-
「とうめいなママ」は、
名言やね‥‥。
-
また、顔がぐしゃぐしゃに
なっとるがな‥‥。
-
明日は金曜日。
通常版でまた、お会いしましょう。
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おかあさんと子どもで、おそろいにもできますよ。
サイズがなくなってきているものもありますので、
欲しい柄があったらどうぞおはやめに。
この冬は、親子でしっかり、あたためよう!
)くわしくはこちらをどうぞ
2012-10-25-THU