子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。

ラスト3

nagata
10月最後の週があけましたね。
sugano
この連載も残すところあと3回。
nagata
では、さっそくまいりましょう。
sugano
はい。やっぱりこのコーナーからで
ございましょう。
nagata_sugano
どうぞー。

勝ち抜き、あほ自慢!

私が幼稚園で、生まれて初めての運動会でした。
かけっこの時、小学生の兄と母が
スタートラインのそばまで応援にきてくれて、
「よーい、ドン」と同時に
「ようこ〜!」と叫びました。
呼ばれた私は「なーに?」と振り返り、
母と兄を探しました。
「がんばれ〜!」と叫ぶはずだったふたりは、
予定を変更して
「あほ! 走れ! あっち!!!」
と叫ばなくてはなりませんでした。
大人になっても、兄に何度も笑われます。
母は天国でそれを聞いて
笑っているでしょうかね。
(ようこ)
nagata
ああああああ。
sugano
幼稚園の学芸会では、親は舞台上のわが子に
手を振らないように注意されるね。
nagata
子どもは舞台から
何も考えずに「ママー!」と
手を振っちゃうからね。
姪っ子、2歳。運動会のかけっこ。
「ようい」の掛け声で、右手を前に、
前傾姿勢で、左手を後ろに格好よく構えた。
「ドン」で走り出す。
でもなぜか上半身は微動だにせず、
右手を前に左手を後ろにしたまま
足だけでひたすら走る姿は忍者。
そのまま完走、見事に一等賞だったそうです。
弟夫婦から聞いた話で大爆笑でした。
(よしのだ)
sugano
忍者走法!
nagata
おみごと。
私が生まれた七日目のお祝いに
祖母が尾頭付きの鯛を家族に1匹ずつ
焼いてご馳走を作ってくれたそうです。
これからお祝いを始めようとした時、
ふと鯛が1匹、
お皿から無くなってるのに気づいた父。
当時3歳の兄のすがたも見えない。
庭まで探しに行くと池のそばに兄発見。
池の中に鯛発見!!
父が「何してるの!?」と聞くと兄はすまして
「泳がせてんねん!」と答えたそうです。
(おはなはん)
nagata
猫の仕業かと思ったら。
sugano
泳がせてたのか。
保育園の帰り道、手をつないで歩いていると
息子がしゅんとしながら言いました。
「オレきょう、ほいくえんでゲボでちゃった」
びっくりして
「ええっ、大丈夫だったの?」と聞くと
「だいじょうぶ。
 ハンカチたべただけだから」と。
いや、あの、しんみりしてても
かくせてませんよ、キミの奇行。
「もうハンカチはたべません」
と約束した5歳の夏でした。
(ちまき)
nagata
ハンカチか。
sugano
食べ切ったんやったらそれはそれですごい。
医師です。
僕がまだ学生で救急部で実習をしていた時、
幼稚園でお友達とぶつかって
おでこにケガをした男の子がいました。
キズがけっこう大きくて、
縫わないといけなかったので、
完全にパニックになって大泣きして暴れる
その男の子を数人がかりで
何とか抑えこんだのでした。
すると観念したのか、男の子は涙ながらに
「(縫い終わるのに)何秒かかる?」と。
注射器を隠しながら外科の先生が
「うーん、500秒!」と言うと、男の子は
「150秒までしかわかんないよー!!」
と言って再び大暴れ。
本人は大真面目なだけに、
みんな声を殺して笑ってました。
(星の王子様)
sugano
500秒言われたらとっさに私もわからんわ。
nagata
そういうところで先生が正直でいいなぁ。
sugano
すぐ終わるから、とか言わへんのやな。
末っ子の私は数々の武勇伝があり、
親戚での集まりでは必ずと行ってもいいほど
私の幼い頃の話題が出ます。
ある日家族の前で私は
「英語が話せるようになった」
と発表をしたそうです。
母「じゃあお母さんは何て言うの?」
私「おかるさん!(巻き舌で発音よく)」
母「(笑いをこらえて)
  すごいねー! お父さんは?」
私「おとるさん!(巻き舌で発音よく)」
母「すごいね〜! 誰に習ったの?」
私「とりで(一人で)」
そうです。当時の私は
単語を巻き舌で発音よく言うと
英語になると思ってたのです。
しかもとりで(一人で)何かをすることが
すごくかっこよく思えていたお年頃。
とりで英語を話せるようになったと、
自慢をしていたそうです。
巻き舌で話しても
英語にはならないと気づいた時は、
すごくビックリしました。
(sugar)
nagata_sugano
わははははははは。
息子が3〜4歳くらいの頃、
人混みを見るとうれしくて突っ込んでいき、
追いかければ大喜びで逃げ回るので、
出かけるたびに
迷子探しに明け暮れておりました。
数々の迷子センターにもお世話なり、
捕獲された息子を迎えに行けば、ニコニコ笑顔で
「お母さんが迷子になった」
と係の人に言ったと大笑いされる始末。
やつはまったく自覚のない迷子でした。
とある休日、近所のスーパーに
家族4人で出かけた時に、
2階の衣料品売り場で息子を見失いました。
いつもお目付け役の3歳上の姉の目をかいくぐり
フロアを一回りしても発見できません。
5階のおもちゃ売り場から地下の食品売り場まで
家族で手分けして探しましたがみつからず、
夫が「家に帰っているかも」と
家とスーパーを往復してもみつからず、
あっという間に小一時間。
「こりゃあ、もう交番かなあ」と思いながら、
再びやつの消えた2階へ戻ると
(犯人は現場へ戻ると言うし)、店員さんの横を
チョロチョロ歩いている息子を発見。
「この子、試着室から出てきたんですよ」
なんでも、ずーっと試着室の
カーテンが閉まっており、
不審に思ったお客さんが、
店員さんにカーテンを開けてもらったところ、
中からやつがピョコンと飛び出してきたとか。
息子は得意の笑顔で店員さんにバイバイし、
もう、腹が立つのを通り越して、
呆れるやらおかしいやら。
最後に、なかなか合流できない夫を館内放送で
呼び出してもらい、ようやく全員集合。
娘がいまだに
「あの時はお父さんを呼び出したんだよね〜」
と言います。
そんな息子も今では
小学5年のサッカー少年になりました。
迷子は卒業しましたが、やっぱり走ってます。
(GPSと孫悟空のわっかが欲しかった)
sugano
お母さんはほんまに
「目」がいちばん忙しい。
nagata
ディフェンスの目をかいくぐる
名フォワードになってください。
甥っ子、去年の9歳の誕生日。
「何が食べたい?」とママに聞かれ、
「水炊き!」というまさかのリクエスト。
誕生日に? 
お寿司とかから揚げとかじゃなくて?
という再三の確認にも決してぶれることなく
「水炊き」推し。
そして今年のリクエストは、
「あったかいお豆腐(湯豆腐)!」だそう。
「あと、これ!」と指さしたのは、
そのとき食べていた「白菜の煮びたし」。
「ラクだけど、誕生日なのに華がない!」
とママは頭を抱えています。がんばれ、ママ!
(momoringo02)
nagata
ヘルシーだね!
sugano
しぶいぞ!
1歳上の私の兄はファミコン番長で
うちは男子のたまり場。
(私は『ドラクエ』のレベル上げ係でした)
好きが高じてか、今では
某有名コンピューター会社に就職し、
部下もいるとか。あのおたくっぷりも
無駄ではなかったのだと思わせられます。
自分たちが小学生のとき、
お正月に親戚で旅行に行ったときのことです。
昼食後、兄と従兄弟2人は
つるんでゲームコーナーに行きました。
私は母親とどこかで待っていた気がします。
そこへ兄たち3人がギャーギャー言いながら
戻ってきました。
「○○(兄の名前)がゲームんとこに
 財布置き忘れて金とられた〜!!」
お正月なので、お年玉で潤っていたお財布、
何千円かは入っていたはずです。
母たちは大慌て。冷めた小学生だった私は
「置き忘れるなんてばっかだなぁ」
と思いながら、その騒動を見ていました。
その後もずっと「あんときはね〜‥‥」と、
そのことは語り草でした。
それから約30年。
私の7歳下の妹が昨年結婚をしました。
その披露宴の始まる前の親族控室で、
久しぶりに親戚が集まって、例の財布の話に。
従兄が
「いや〜、あんときから
 ○○は大物になると思ったなぁ!
 お年玉、ゲームに全部つぎ込んで、
 母さんにばれるとまずいから
 とられたことにしよう
 って言うからさ〜」って!!
その場にいた兄は苦笑い、
私も初めてきいた話に目がテン、
とっさに母の表情を確認すると、
30年前の息子の嘘に本気で動揺していました。
こんなタイムカプセルのようなオチがつくとは。
(ゆうこ)
nagata
うわぁ、お母さんの動揺が。
sugano
い‥‥妹の結婚式でよかったな、
兄の結婚式じゃなくてな。
nagata
うん。結婚式でそのエピソードを
披露されてしまうところでしたね。

おしゃま女子

大変しっかりした姉妹をそだててしまいました。
7歳と5歳の娘達は
「この色素敵ね」と言いながら
買い物ごっこをするけれど、
実際にお店にいくと
「数字が赤くない物は買っちゃダメ」
とすぐ確認。
おままごとをすれば
「なんか野菜、なんか野菜‥‥」
と言いながらうろうろし、
「あ、ブロッコリーッ♪」と手にとると
パソコンらしきものに向き合います。
どうやら冷蔵庫にあった物でできる
レシピを検索してる様子。
旦那の実家で洗濯物をたたんでいた時には
ばぁばに「上手にたためるわねぇ」と
ほめてもらえて、ママ鼻高々。
しかし、たたみ終わった靴下を見て
「誰ですか、こんなたたみ方をしたのは。
 これではゴムが伸びてしまうでしょ」
とダメだしを始めた。
それはね、ばぁばがたたんだ靴下なのだよ。
ばぁばは笑ってくれましたが、嫁は冷や汗‥‥。
(Az)
sugano
わははははは。
nagata
しっかりしてる!
娘が3歳の頃、遊びに来ていたおばあちゃんと
食事をしていた時のお話です。
デザートを食べている時、
先に食べ終わったおばあちゃんに
自分の分を分けてあげる!
と、自分の食べかけの果物をあげようとする娘。
おばあちゃんは
「おばあちゃんもう自分の分食べたから
 ○○ちゃん食べなさい」と優しく断りました。
娘はそれでもあげたい様子で、
「あげる」「いいよ」としばしの押し問答の末、
どうしてももらおうとしないおばあちゃんに
娘は言いました。
「‥‥気持ちだけもらっておくってこと?」
おばあちゃんが笑い崩れていました。
(coco)
nagata
うぷぷぷぷぷ。
sugano
おしゃますぎてたまりません。
今年の夏、旦那が友達と海で
バーベキューをしに行ったときのことです。
私は所用で行けなかったのですが、
成り行きで友達の娘(小2)の
相手をしていた旦那(34歳)。
好きな男の子の愚痴を聞いたりしていたら、
とても気に入られてしまったとのこと。
その子にせがまれて二人でボートで
少し沖のほうまで出て、疲れた旦那が
「みんなのところ(砂浜)に戻ろう」
と言ったら、なんと
「奥さんと別れて私とつき合うって
 言ってくれるまで戻らない!」
と言われたそうです。
さらに日が暮れたあと、
みんなで星空を見ているときに
「キスして」と目をつぶられた旦那。
もちろんキスするわけないですが、
かなり焦ったという旦那。
適当にあしらえば良かったやん、
と言った私に対して旦那は
「なんか目が真剣すぎて‥‥」とのこと。
34歳の男をたじろがせる7歳、恐ろしすぎます。
(りらっくまもん)
sugano
おしゃますぎ‥‥というか、小2か。
nagata
まいるなぁ。
sugano
そら本気やろ。
ある日庭で遊んでいたら姉が言いました。
「今は夢の中なんだよ。
 さっきお昼寝したでしょー。
 あれから起きたと思ってるけど、
 ほんとはまだ夢なの。だからほら、
 お山の木がいつもより1本多いよ」
当時絶対的存在だった姉にそう言われたら
「! ほんとだー!」とすぐ信じた私。
それが面白くて調子に乗った姉は
「ね! だからほっぺつねっても
 痛くないよ、ほら」
と私のほっぺをやんわりぎゅっ。
でも信じてる私は「ほんとだー!」と
姉のほっぺを思いっきりギュギューッ。
「‥‥ぜんぜん痛くないよー」と
やせガマンする姉を、
無邪気な妹は何度もギュギューッ。
ほっぺが真っ赤になったころ
「あ! 今夢終わった! 夢醒めたよ!!」
と、それでも最後まで設定を貫いた姉でした。
(みー)
sugano
姉ちゃん、自分演出第一。
nagata
からだはっています。
私が5、6歳ぐらいのころの話ですが、
ある日の夜に2階に上がると、
畳まれた布団にもたれて
倒れている母がいました。
布団を敷く最中に疲れて
寝ちゃっていただけなのですが、
私は何を思ったか、
冷静に母の手首をとって脈を確認しました。
それによって目を覚ました母は
「生きてるよ」と苦笑い。
当時の自分、冷静すぎだろ。
(いそべもち子)
nagata
ときどき子どもって。
sugano
状況が実感できず、
一時的にあほになって冷静なとき、あるな。
nagata
あほ冷静とでもいうのかな。
sugano
妙におかしいんです、その状態。
幼稚園児だった娘からの
人生最初の手紙の話です。
まだ赤ん坊だった息子を2階で昼寝させ、
1階に下りていくと絵を描いて遊んでいたはずの
娘の姿が家中どこにも見当たらない。
テーブルの上には紙が1枚。
娘の字が暗号のように並んでいる。
解読すると同時にサーッと引く血の気。
手紙には、
「わたしわそと。
 しんぱいしないで。
 ままだいすき。」
と、顔のついたハートが添えられてありました。
ダッシュで娘の名前を叫び
庭を駆け巡るもみつからず。
ガレージに駆け込み、旦那に
「娘はどこ?!
 置き手紙を残して消えちゃった!」と言い、
「はあ? 娘はまだ文は書けないだろう」
とうたぐる彼に手紙を見せる。
文を書けたことに驚き、感激する旦那をよそに、
ありとあらゆる親にとっての
悪夢の数々が私の頭を覆い尽くす。
とりあえず携帯を家の中に取りにいくと、
何やらくすくすと笑い声が‥‥。
家中や外を錯乱しつつ走り回る私を尻目に、
なんと彼女はリビングのソファの上に、
毛布の下にかくれて面白がっていたのです。
ほっとしたのと、
心臓が止まるかと思うほど心配したのと、
小さい子の罠にまんまとハマってしまった
情けなさで一気に脱力‥‥。
その手紙はもちろんアルバムへ。
読み返すたびにサスペンス感がよみがえります。
(スマイルハート)
nagata
さいごに「だいすき」があるのが リアル〜。
sugano
わかってるゥ〜。
私が保育園の頃、ひな祭りには
お内裏様とお雛様になって、
好きな子と一緒に写真を撮ってもらえました。
私はとも君が好きで、とも君を指名。
私のことを好きだった(らしい)まー君は
何を思ったか、
「ひーちゃんと結婚できないなら、
 ここから飛び降りてやる」と、
子ども用の椅子の上から飛び降りたそうです。
飛び降りた本人も、飛び降りさせた私も
このエピソードは記憶になく、
他の子によって小学生の間も語り継がれました。
当時が一番のモテ期だったのかも。
(マー君とは結ばれず)
nagata_sugano
わはははははは。
私が小学校低学年の頃のことです。
私には4歳年上の姉がいますが
いつも一緒に遊んで欲しい私に対し、
自分の同級生と遊びたい姉。
あまりの私のしつこさに、姉の同級生軍団から
「このコーラおいしいよ」
とコップに入った醤油を渡されました。
この時から女の上下関係を覚え、
先輩には逆らえないということを学びました。
(中村屋)
nagata
逆らえませんね。
sugano
震えあがります。

つわものママ

私の母は昔から肌が綺麗で、
おおざっぱな性格もあり
肌の手入れもお化粧もほぼしない人です。
そんな母ですが、
今くらいの乾燥する時期になると
手足がカサカサになる私達に
保湿として塗ってくれるクリームがありました。
「これ塗っときなさい!」
外国製みたいな円形の入れ物に、
乳白色のクリーム。
母もたまにがしがしと自分の顔に塗ってました。
子供なので、商品名もブランド名も
わからないままだったのですが。
つい最近、実家に帰っていた姉が
そのクリームを見つけたとメールをくれました
そのクリーム、容器の裏面を見ると、なんと、
「化粧おとし用コールドクリーム」
だったそうです‥‥。
お、おかあさん?
(ごにん)
sugano
お、おかあさん!
nagata
つわものだ、まちがいなく。
私が10才くらいの頃、
料理の上手な母が魚をさばいていました。
まわりをウロチョロしていた私に
「ほら!」とうれしそうに何かを見せる母。
左手に、小さな風船が‥‥。
それが魚の浮き袋だと教えてくれた母。
私「!!!!」
そぉっと、まな板の上を見ると
解体された魚が‥‥、
おかぁの手、血まみれ! ‥‥す、すごい!
母を尊敬するようになった瞬間でした。
(くりたろ)
nagata
理系の母だったんでしょうか。
sugano
調理を自分流たのしむその姿勢、
見習います。
私は自分でいうのもなんですが、
スレンダーでボーイッシュ。声も大声で低い。
息子が4歳の時、
お風呂に一緒に入っているときに言いました。
「お母さん、ほかのお母さんは女だけど、
 お母さんは女?」
なぜ、ほかのお母さんは女とわかっているのに。
しかも、お風呂場で。
あの時は、あまりの怒りに
「お・ん・な・だ・よ」っと大声で起こってしまい
息子を怖がらせてしまいました。
あれから10年。幼児の子に運動を教えていますが、
わかったことがあります。
時々「先生、女?男?」ときかれますが、
決まって4歳児です。
3歳にも5歳にも聞かれたことはありません。
なんでしょう? 4歳ころから徐々に、
男か女かを気にするのでしょうか?
そして、5歳には、
絶対的な何かをわかるのでしょうか?
(たかひろりん)
sugano
発見ですね。
nagata
おれも思う。 4歳にはなにかある。
息子たちよ、告白しよう。
「やられた子の気持ちがわからないの?」なんて
きみたちは日々私に叱られているが、
何を隠そう、この母は小学生の頃
帰りの反省会で毎日毎日
「私のことをバカと言ったから
いけないと思いまーす」とか
「誰々くんをぶったのに謝ってないので
いけないと思いまーす」とか
言いつけられていた。
外そうじをサボって石投げ戦争してたとき
まりこちゃんの額に小石を投げて割ったのに
逃げ足速く群衆にまぎれこんで
バレなかったのも母さん。
行き先も告げず真っ暗になっても帰らず
近所中の人が探してくれてたなか
こっそり家に忍び戻ってて
おひなさまの一番下の段にチョンと座って
ひなあられをむさぼり食ってたのも母さん。
工事現場があれば必ず行って
積んである資材の上によじ登って
崩して逃げてたのも母さん。
パワーショベルが掘った穴があれば
「助けてくれえ! もうすぐ手が届く〜!」
と叫びながら、自らちょっとずつ穴に沈んでいき
やがてほんとに手も届かない深さになり
リアル救助ごっこで砂だらけで皆に
引き上げられていたのも母さんだ。
台風や吹雪や雷の日には
満足するまで雨やら風やら浴びていたものだ。
石油ストーブにロウソクくべて
火柱上げて部屋の天井を焦がしたのも母さん。
あまりのいたずらっぷりに、
まだ若かったおじいちゃんが下着姿で
金槌を振り上げて道路まで
追いかけてきたこともあったさ。
線路に入ってスーパーマンのポーズで
電車を止めたり、遠足なのに
首までつかって川に流されていったり、
同級生も、それはそれはアホアホだらけだった。
あれがみんな大人になっているのが驚きだ!
都会のマンション暮らしのきみたちに
この母は追い抜けまいよ。
ふっふっふっ、
せいぜい頑張ってみることだな。
これから一生、困ったときには相談にのるぜ。
(いつわりの優しいママより)
nagata_sugano
‥‥‥‥‥‥‥金メダルーーッ!!

かわいいとしか言いようがない

雨の日の登園中。
傘をさす私に3歳の息子が言いました。
「おかあさんが
 おそらにとんでいかないように
 手をつないでるね」
守られてるのは私の方のようですー。
(さっくさく)
sugano
ほへー。
さっきの興奮が冷めやりませんが
うって変わってこちらのコーナー。
nagata
かわいいとしか言いようがないなぁ。
sugano
つづけてどうぞー。
「わああ、なつかしい〜」
4歳の娘が、おもちゃ箱の底から出てきた
アンパンマンのカードを見て、
よろこんでました。
母はうしろで
「4歳のくせに、なつかしいとか言って‥‥」
とにやにや。娘はさらに、
「えー、そうなのお! 知らなかった〜!」
と大きな独り言の後、キラキラした眼で
「お母さん、あのね、見て!
 ジャムおじさんて、
 『ジャムおじさん』なんだね!
 ほら、書いてある」
「ん?」
「小さい時、○○ちゃんは、
 じゃもーじさんだと思ってたんだ。
 ちがったね。あははは〜」
「小さい時」っていつでしょう?
(もち丸)
三人兄妹の末の次女が2歳くらいのとき。
テーブルのベビーチェアに腰掛け、
5人家族の楽しい晩御飯。
次女は自分で上手に食べてるので、
皆もそれぞれ自分のご飯に集中し食べてる最中。
突然、
「うあーん、うあーん」と大声で泣く次女。
普段そんなに大きな声で泣くことは
ほとんどなかったため、驚いて
「どうしたの!? どうしたの!?」と聞くと、
「かんだー、かんだー、」と。
てっきり舌を噛んだ、と思い、
慌てて口の中をのぞいても、
食べ物も入っていてあまりよくわからず‥‥。
ごっくんしてから改めて
「お口、痛いの?」と聞くと、
「ここ」と、指差したのは
ひだりの二の腕。どういうこと?
と思ったら、そこについたご飯粒に、
直接口を運び、かぷっ、とかぶりついたら、
プクプクの腕のお肉もかじったそうで‥‥
可愛い可愛い歯型がクッキリついていました。
(Naoe42)
小学1年生の兄と、2歳半の弟。
弟は「にーに」が大好き。
ある日のこと、
お兄ちゃんは座布団に腹ばいになり、
一生懸命、マンガを読んでいるのですが、
その上によじ登った弟が、何か叫んでいる。
よくよく聞くと
「にーに、だいしゅき!
 にーに、だいしゅきっ!」
‥‥つまり、お兄ちゃんが大好きなあまり、
親ガメの上の子ガメのごとく、
背中にしがみついて必死に主張しているのです。
ちなみに、背中の上でどれだけ叫ばれても
お兄ちゃんは平気で読みふけっておりました。
(はやま)
よくしゃべる2歳の娘。
私が、
「バス間に合うかなあ」と言えば、
「間に合うんじゃな〜い?」
「○○ちゃんに会えるかなあ」と言えば、
「会えるんじゃな〜い?」
「○○売ってるかなあ」と言えば、
「売ってるんじゃな〜い?」と返ってきます。
意味はそんなに理解してなく、
ただオウム返しだとわかっているけれど、
ちょっと元気が出ます。
(あやこ)
息子が年少さんだった頃、
アイロンをかけている私の横に座って
じーっとアイロンを見ながら、
プシューッとスチームの音がするたび、
アイロンに「なんって言ってるの?」
と尋ねていました。
映画『WALL・E』が大好きだった彼は、
電化製品もお話すると思ってたようです。
なので、その度に
「○君におはようって言ってるんだよ」とか
「ぼくがんばってるよ」とか代弁してあげると
にっこり笑って目をキラキラさせていました。
今でも、アイロンをかけるたび
心に浮かぶ思い出です。
(ともママ)
わたし、甥っ子(1年生)が赤ちゃんのころから
あの小さくてかわいい指や足を
はむはむと甘噛みするのがすきでして‥‥。
隙あらばちょっと噛む。
まだ5歳だったある日、
「あーおなか減った〜」と
何気なくつぶやいたわたしに
「じゅん(甥っ子)のゆびたべたら?」と
かわいいかわいい手を差し出してくれました。
おなかいっぱいにはならないけど、
お言葉に甘えてぱくっと頂きました。
ずーっとずーっと、ぷにぷにのつるつるの
小さいままならいいのになあ。
(momoringo02)
姉の次男がたぶん2歳くらいのころ、
お葬式がありました。
式典ではおとなしくできる子たちで、
その日も私の隣にきちんと座っていましたが、
終盤になると「もう、おわりー?」と
尋ねてくるようになりました。
甲高く響く声ですので、
そのたび「もう少しだよ、頑張って」と
小声で言い聞かせていましたら、
とうとう、椅子にぐたりともたれかかって
「○ちゃん、もう、がんばれない」と。
聞き分けがいいから安心してたけど、
そうか、まだ2歳だった、と、微笑ましくも
たいへん申し訳なく思った出来事です。
(きょ)
娘が2歳の頃、
右手と左手でジャンケンしてました。
(☆ぴぃ☆)
sugano
かわいい。 ぷにぷに期の子どもは特にかわいい。
nagata
その時期は長くはつづかないんだよね?
sugano
小学生くらいまでかなぁ。
nagata
その先はどうなるの?
sugano
ごつごつか、しゃなしゃなになって、
おもしろさが変わっていくねん。
nagata
このコンテンツやってると、
子どもの小さかったころのことがなつかしい?
sugano
思い出しはするけど‥‥
なんだか、子育てっていつまで経っても
現役感あるやん?
子どもといえば、昔の子どもではなく
いま目の前にいる子ども。
でも、忘れられない思い出はいっぱいあるよね。
nagata
あるねぇ。
今日も最後にこちらをどうぞ。
sugano
ほろりとさせる話です。

ほろりとさせる話

長女3歳の時、待望の二人目を妊娠するも、
続けて二回流産した私。
つらさや焦りで布団で泣いてると、
横にいた娘に
「○○がいるから淋しくないよ!
 大丈夫だからね」と励まされ、
驚きやらうれしさでまた泣きました。
その時の笑顔は今でも大切な思い出です。
今は6歳になり1歳の長男の良き姉です。
(ゆかたん)
私が幼稚園児のころ、
母が扁桃腺の病気を患い手術&入院することに。
入院期間など詳しいことは記憶にないのですが、
母の実家の近くの病院での治療だったので、
家族で実家に
一時帰省していたことは覚えています。
母が手術のために入院している間、
祖父母・父・兄と私だけの、
母のいない生活となりました。
それが何日続いたのかは覚えていません‥‥が、
母が帰ってきた日の
夕食での出来事は鮮明に覚えています。
おそらく母はその日の夕方には
帰ってきていたのですが、私も母も
何事もなかったかのように過ごしていました。
そして夕食‥‥家族全員がそろっての夕食に、
それまでの寂しさが
一気に噴き出してしまった私は、
「うぇぇーん、おかあさーーーん!」
と言いながら、嗚咽するほど号泣。
(おそらく退院祝いということで
 豪華だったであろう)食事もろくに食べられず
とにかく泣いていたのを覚えています。
周りの家族はびっくり&微笑ましかったのか、
「ほらほら、せっかくお母さんが帰ってきたのに
 泣いちゃダメでしょ」と微笑む祖母。
「なんで泣いてるんや、母ちゃんは
 ここにいるんやで、ははは」
と茶化すように笑った祖父と父。
そして、今でも忘れない、
ちょっと申し訳なさそうに困ったような、
恥ずかしいような、くすぐったいような、
はにかんだ母の表情‥‥。
今思い出すだけでもちょっと泣けそうな、
私の大事な思い出です。
(めろでぃ)
4歳と1歳姉妹の母です。
育児休暇後この春から仕事復帰しました。
新しい部署で慣れない仕事、
2人の育児と家事で体力的にも精神的にも
いっぱいいっぱい。
あぁ、もう働くのは限界かなぁと思い、
ある日長女に聞きました。
私「ママ、おうちにいて、
  ○○といっしょにいられる方がいい?
  それともお仕事してたほうがいい?」
娘「おしごとしたほうがいい!」
私「なんで?」
娘「だってママがんばってるもん。
  がんばってくれてるもん、○○しってるよ」
保育園でたくさんお友達と遊べるから〜、
なんてお気楽な理由を想像してたら思わぬ答え。
「‥‥そっか」としか返せず、
トイレに行くふりをして
こっそり泣いてしまいました。
無意識に欲していた言葉を、
まさか娘からもらうとは。
今だ働き方については模索中ですが、
どういう形であれ、
がんばる後ろ姿は見せていこうと思っています。
(ルルル)
10年前の、
子供達が小学高学年のときのことです。
車を買い替えることになりました。
それまで乗っていた車は、
元々中古で購入したもので、
下取り価格もつきませんでしたが、
せめて洗車した状態で
引き取ってもらおうと思っていました。
が、洗車しないままその日を迎えてしまい、
おまけに数日前には強い風が吹いて、
ますます埃だらけに‥‥。
新車を届けてくれた販売店の方が、
引き換えにその中古車に乗って
帰られることになっていました。
その方と夫がしばらく談笑している間、
玄関前に横付けされた中古車のまわりを、
娘と息子がニコニコしながら
グルグル走っていました。
幼い頃、うれしい「もの」があると
よくそうしていたのですが、
久々のグルグルです。
いよいよ中古車とお別れ。
走り出した車のリアウィンドウ、
埃だらけのそこには子どもたちが
大きく指で書いた、「ありがとう」。
ああ、本当にありがとう。
きれいにしなくてごめん、でも、うれしかった。
(のほほんほん)
私の父は私が2歳、
兄が5歳の時に亡くなりました。
病気だったのですが、あっという間で、
母はとても辛かったそうです。
毎日泣いている母に、兄は
「大きくなったら、
 僕が○○(私)と結婚して、
 お父さんになってあげるから」
と言ってくれたそうです。
めちゃくちゃなんだけど、すごくうれしかった、
でもまた泣いてしまった、と母。
今では、そんな兄も私も
無事、それぞれの相手と結婚し、子供を授かって
母の偉大さも、幼い子供をおいて逝ってしまった
父の無念も少しわかるようになりました。
家族皆で毎日元気で
大切に頑張って過ごしたいですね。
(ゆうこ)
社会人になってから数年たちますが、
生活面(家事など)は
完全に甘えきって生活しています。
‥‥最近気づきました。
ふとした会話で「昔あんなの食べたね」と言えば
「たまたまあったから」と買ってくる。
朝調子が悪いと言えば、
昼のうちに治った自分はけろりと忘れていても、
夜に「どう?」って訊いてくれる。
私がいいねって言って買った苗だから、
私の部屋から見える場所に植えてくれる。
いつでも様子を見ていて、
いるかな、と思ったものをくれる。
それを、気負うことなく、ごく自然にやっている。
どうして、そんなにずっと、
誰かのことを想って暮らせるんだろう。
そんな母親に、
私もいつかなれるものなんでしょうか。
(きょ)
私がちいさかったころのお話です。
私の両親は共働きで、
看護師をしていた母に代わり、
昼間は祖母と国鉄職員の父が
私の面倒をみてくれていました。
父は貨物列車の車掌だったので、
夕方仕事に出掛け、朝方なにかしらお土産
(チョコレートだったり、
 コーヒー牛乳だったり)を携えて帰宅。
枕元にそっと、お土産をおいてくれる
そんな父が私は大好きでした。
ある日のこと、父がいつものように
仕事に出掛けようとしていると、
私の姿が見えない。
慌てて近所を探し回ったところ、
一区画先の路地で、父の靴を履き、
ノロノロ歩いていた私を見つけ無事捕獲。
「お父さんの靴なんか履いてどうしたの?
 歩きにくかったでしょ」と尋ねる父に、
「だって、お父さんに
 お仕事行って欲しくなかったから‥‥
 靴がなければお父さん、
 お仕事行けないでしょ?」
と答えたそうな‥‥。
結婚して家を出た今でも、
私の小さい頃の夢を見ると、
電話をしてくる可愛いお父さん!
私たちはいつまでも親離れ、
子離れのできない親子です。
(labjohn)
初めて子を産み、興奮も覚めやらぬ中、
生まれて2日目にけいれんを起こし
別の病院に救急搬送されてしまった息子。
私はNICU(新生児特定集中治療室)に
通う日が続きました。
いろんな赤ちゃんがいる中、
看護師さんが言ってくれた言葉は
今でもしっかり覚えています。
「赤ちゃんの生命力ってすごいのよ。
 生きるために生まれてきたから」
そんな息子ももうすぐ15歳。
元気に学校行ってます。
君の生命力、すごいよ。
生まれてきてくれてありがとう。
(神戸牛)
甥っ子小1の時の作文です。
「いもうとへ
 あそんでくれてありがとう。
 ○○がしょうがくせいになって
 チャンスがあったらむかえにいくからね。
 大きくなってきれいな人になって、
 あそんだりおべんきょうをしたりし、
 いろいろなことをしてせいちょうし、
 りっぱなしょうがくせいになりますように。
 まだちっちゃいからたくさんあそんでね。
 ○○がどんな人になるのか、
 どんなせいかくになるのか
 たのしみにしているよ。
 いつもわらってくれて、ありがとう。」
当時手紙の相手は、まだ2才なんですが。
(オババカの自覚はある)
sugano
すばらしいなぁ。
nagata
すばらしいです。
sugano
きょうはたっぷりやったなぁ。
nagata
週明けだし、もう終わりだからね。
sugano
あと2回やなぁ。
nagata
しゃあないな。
sugano
それではまた明日。
nagata
お会いしましょう。

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2012-10-29-MON