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岸 |
このプロジェクトの、植栽を施す
「マウンド」の考え方なんですが、
これは、平らな小規模の公園のような場所だと
うまくいくと思います。
埋め立て地に10mくらいの
丸いマウンドを作っても、
同様にうまくいくでしょうね。
横から散乱光が多量に入ってくるので、
宮脇先生のおっしゃるように、
地面に草が出て、低木、中木、高木、
きれいに生えそろうと思います。
ところが、そのマウンドの幅が
30m、50m、100mになってくると、どうか。
光がどうやって入ってくるのかを、
専門的に検証されていないのではないでしょうか。
木を密植して、管理を手薄にしてしまうと、
全部がモヤシ林になってしまう恐れがあります。
枝もなくモヤシのように育った木は
強風にさらされれば倒れてしまいます。
倒木の散乱するモヤシ林は山火事の危険も高いでしょう。
地べたも日が当たらず真っ暗ですから、
まったく保水力がなくて、
水は土とともに流出して
水害も起こりやすくなりますね。
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清順 |
うーん、そうですね。
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細川 |
そこのところは、財団のなかに
発起人としていろいろな考え方の人に
ご参加いただいているので、
よく検討、検証していかなければと思いますね。
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岸 |
少しずつ、プロジェクトの専門家と地元の考えを
すりあわせながら、
いいモデルができていくといいのかもしれない。
そりゃ、300kmは
つながらないかもしれないけれども。
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糸井 |
どうもこれは、300kmの緑の防波堤を
いっぺんに作る計画に聞こえてしまいますが、
細川さんはそうじゃないとおっしゃっていますね。
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細川 |
そうですね。
東北の海岸線はとても長いし、
複雑に入り組んでいる。
そりゃ、300kmも、一直線には
つながりませんね。
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糸井 |
つながるというイメージは、
わかりやすいのですが、
そこはあんまり考えすぎないほうが
いいかもしれない。
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岸 |
ビジョンとして、わかりやすいんですけれどもね。
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細川 |
さきほども言いましたように、
国有地、公有地、私有地が
入り乱れているということもあって、
全部をつなぐのは、
なかなかむずかしいと思います。
「つながる」というよりも、
点と線で、デコボコもあって、
ということでしょう。
ぽっこりとしたマウンドができたら、
そこから例えば少し離れたところに
また別のマウンドができる。
それをできるだけつなげていく。
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岸 |
そうですね。
極端なことを言ってしまいますと、
数年前、仕分けで話題になって
おおいに誤解されてしまった「スーパー堤防」と
似たものになるかもしれませんね。
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糸井 |
「スーパー堤防」というのは?
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岸 |
「スーパー堤防」は、普通の堤防じゃ
ないんですよ。
川の脇に土砂でもって
安全で巨大な高台を作る、ということなんです。
「全部つながるのに何年かかりますか」
と、国交省に聞かれれば、
400年かかります、とか、答えるしかありません。
400年経たないと
つながらないものをどうして作るんだ、
そんなものは無駄だとなって
予算を切られちゃったわけですけど、
最初から全部つなげる気なんか、ないんですよ。
全部つながなくても、そこは
みんなが逃げてこられる公共の高台になる。
東日本で津波被害を受けたかなりの都市でも、
沿岸に再定住するとしたら、場合によっては
高台を作ろうという話があります。
例えば、高台の裾を
広大な森にしていくとすると、
ある高さの津波が来たときに、
「てっぺんはさらに安全」というようなことは
あると思います。
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糸井 |
そういう「高台作り」のようなものと合わせ技、
という考えもあるのかもしれませんね。
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岸 |
そういうことです。
このミッションのおもしろいところを
うまくすくい出して、
限度を超えた無理はしないという采配を
細川さんがしていかれるのだと思います。
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細川 |
はい。
いろいろな考え方も取り入れて
やっていきたいと思います。
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糸井 |
その「おもしろいところ」というのは
わかりやすいから、
飛びついちゃうんでしょうけど。
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岸 |
そうなんですよ。
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清順 |
うーん‥‥その
「おもしろいところ」という部分で、
ちょっと心配だったところがぼくにはありました。
例えばおっしゃるとおり、100万本の苗を
今年用意したとしましょう。
何平米に、何量目ぐらいの土を持ってくるのか、
ほんとうにその100万本の苗を
植える場所ができるのか、
そこが不安になりました。
ぼくは植木屋のはしくれで、苗を育てています。
さきほど岸先生がおっしゃったとおりで、
常緑樹で密植していくと、
木は、すごく根っこが弱くなります。
木はやっぱり、隣の木を意識するんですよ。
そうすると弱くなる。
太陽にしっかり当てて植えられた木は、
掘るのが大変なんです。
ぼくは、植木を掘り起こす機会が多い仕事なんで、
身をもって経験してるから、よくわかります。
「100万本植えないといけない」
という意識になってしまうと、どうしても
ピッチが短くなってしまうんじゃないかな。
「100万本」という数字が、
世の中には重要だったりするのかもしれない。
でも、森作りのうえでは、
どうなのかな、って思います。
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細川 |
それはわかりますが、
財団としては事業計画なり予算なりというものも
対外的にも出さなければなりませんからね。
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清順 |
震災後、津波の被害がひどかった土地に
いろんな企業や団体が支援活動をしました。
植物や緑や花で活動できることもあるはずだって、
たくさんのボランティア団体が
たちあがったんですよ。
ぼくも、お手伝いできることをさせていただき、
応えられることだけやらせていただきました。
でも、ある政治家が
「こんなときだからこそ、花を植えてください」
といって、花の苗をたくさん、
段ボールに何十箱と、被災地に送ったんです。
だけど被災された方々は、まだそのとき
自分たちのこともできない毎日でした。
植える場所もなければ水も貴重なときに
花の苗が届いて、
結局全部枯らしてしまったことがあったそうです。
その状況を見た人がすごく悲しかったと
おっしゃっていました。
やっぱり受け入れる「器」というか、
場所、人が必要だと思います。
100万本というと、
ぼくら若いもんでも「ギョッ」とします。
でも、その数字に
こだわっていくべきなのか、どうなのか、
と思います。 |
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(つづきます) |